中国の春秋時代のこと、
15年後、夏姫は笄年を迎えた。笄年とは女子が15歳になり成人になった証としてはじめて笄で髪を結い上げることをいう
夏姫は〝天女の生まれ変わり〟と言われるほどの絶世の美女だった。
姿かたちはこの上なく美しかったが15歳にして男性を籠絡する手管を持っていた。
3人の兄たちは美しい妹を偏愛し、しだいに奪い合うようになった。
夏姫は兄たちと通じていたとも言われている。
夏姫の兄、子蛮は毎夜のごとく夏姫の寝室に忍んでいった。その営みは激しく朝にまで及ぶこともしばしばだった。
それにつれ兄、子蛮はみるみると痩せていったのである。
反対に夏姫の方は天性の美貌に妖艶さが加わりますます美しくなっていった。まるで男の精を吸い尽くす妖花のように。
こうして1年も経たずに子蛮は死んだ。
ほかの兄弟たちも恋の鞘当てを繰り返して互いに憎み合った。(後に殺しあった)
その背景に夏姫の存在があることに宮廷の誰もが気づきはじめていた。
そこでスキャンダルを抑えるべく父の穆公は臣下である夏御叔に急いで夏姫を嫁がせた。
夏御叔は夏姫を溺愛し、17歳の時に夏姫は息子、夏 徴舒(か ちょうじょ)を産んだ。
しかし夫、夏御叔はまもなく死んでしまった。
息子の将来を心配した夏姫は陳の孔寧、儀行父、平国と関係を持つ。
おかげで陳の国の政治は乱れた。
あろうことか宮殿で夏姫の衣を身につけて浮かれ騒いでいる君臣をいさめた忠臣が殺害されるという殺人事件まで起こってしまった
そして紀元前599年ついに惨劇は起こった。
真夜中夏姫の館を出た陳の国王の額に一本の矢が突き刺さった。
凶手は夏姫の息子、18歳になっていた夏徴舒であった。
実の子でありながら夏徴舒は久し振りに母の顔を見て驚いた。
とうに30歳は過ぎたというのに夏姫はまるで20歳そこそこの若さと美を保っていた。
だが夏姫の美貌は息子夏徴舒にとって憎むべきものであった。
この美しさ故にこの女は母ではなく女として生きたのだと。
しかし夏徴舒の命運は長く続かなかった。
陳は楚に滅ぼされ、夏徴舒は主君を殺した反逆者として刑死する。
〝車裂き〟という、当時最も残酷な刑だった。
その戦乱の中、夏姫は楚の捕虜となり楚の国に連行された。
楚王もまた夏姫の美貌に驚いた。40歳はゆうに超えていたにもかかわらずまたしても20歳ぐらいにしか見えなかったという。
楚王は夏姫を自分の後宮に入れようと考えたが、夏姫は陳国を滅ぼした不吉な女と思い直し、夏姫を祖国鄭に帰した。
20年ぶりに懐かしい故郷へと帰ってきた夏姫。
楚の巫臣は夏姫のために計略を巡らせ、2人は晋に亡命します。巫臣は晋で宰相となり夏姫は娘を産みました。
その娘は賢臣として名高い晋の公族羊舌 肸(ようぜつ きつ)の妻となった。
その後夏姫は50歳になっても相変わらず若かったがその美貌はまさに〝男を滅ぼす〟美しさと言えた。