私たちは皆変死するのです。ー  皇妃エリザベート
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シャルロッテ・フォン・ベルギエン 1840〜1927)


シャルロッテ・フォン・ベルギエンは1840年6月7日にベルギーでベルギー国王レオポルト1世とその王妃ルイーズ=マリーの第1王女としてラーケン宮で誕生しましたニコニコ






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(幼少期のシャルロッテニコニコドキドキドキドキ可愛いですね😍





シャルロッテは唯一の王女でしたので父王レオポルト1世から溺愛されて育ちましたニコニコ  ドキドキドキドキ

そのためかなり気位の高いプリンセスに成長しましたショック



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1856年16歳のシャルロッテはオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフの弟、マクシミリアンと出会い、翌年結婚。


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(結婚直後のシャルロッテとマキシミリアン)




夫婦仲はよかったのですが、義理の姉でエリザベート皇后とは上手くいっていませんでした。

シャルロッテは自分は王女なのに、バイエルンの傍流に過ぎない皇后エリザベートがウィーン宮廷では自分より身分が高いのを苦々しく思っていましたムキームキームキーむかっむかっ





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(絶世の美女で有名なエリザベート皇后)

また夫マクシミリアンも野心的で人気者だったので兄である皇帝フランツ・ヨーゼフは自分から弟が帝位を奪うのでははてなマークと警戒されていました。





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(シャルロッテの夫、マキシミリアン)




そのためマクシミリアンは27歳の若さでイタリアにあるミラマーレ城で隠棲生活を余儀なくされていました。




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(マキシミリアンとシャルロッテが暮らしたミラマーレ城)


ミラマーレ城で妻シャルロッテと静かな暮らしをしていましたが1863年フランス皇帝ナポレオンから突然『メキシコ皇帝になってほしい』という誘いが届く。




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当時メキシコはスペインから独立したとはいえ内戦状態だったショック


しかし皇帝の道はおろかすべての活躍の場を奪われていたマクシミリアンにとって、たとえ異国の地であろうとも〝皇帝〟という響きは魅力的なものだった。





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妻であるシャルロッテもまた夫が皇帝になり自分が皇后になることを夢見たラブラブ






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(1864年 ヴィンターハルター作  シャルロッテ)



1863年マクシミリアンが皇帝即位を受諾。

1864年にはミラマーレ城にて即位式が行われ、シャルロッテは念願の皇后となったラブビックリマークビックリマーク




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(メキシコ皇后になったころのシャルロッテ)




しかしメキシコに到着したマクシミリアンとシャルロッテを待ち受けていたのは無情な現実であった。

内乱は思いのほか切迫しており、しかもマクシミリアンにはほとんど政治的権限がなかったのである。

つまりナポレオンの傀儡に過ぎない〝雇われ皇帝〟だった。





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(ナポレオン3世)

時既に遅しー


このような状況下、メキシコにいるフランス軍はマクシミリアンを置き去りにして本国へと撤退してしまったゲッソリゲッソリドンッドンッ





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シャルロッテはひとりヨーロッパに戻り自分たちを助けてくれるよう尽力した。




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しかしシャルロッテを愛してくれた父王はもう死んでしまっていたし、パリではナポレオン3世に、バチカンではローマ教皇ピウス9世に謁見するが誰からも援助は得られず見捨てられてしまうぐすん


追い詰められたストレスによりシャルロッテはパラノイア(偏執症)を発症し、兄フィリップが精神科医にシャルロッテをみせたところ、精神科医はシャルロッテの発狂を宣言



シャルロッテはミラマーレ城に幽閉されたガーン



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(エドァール・マネは『皇帝マキシミリアンの処刑』でフランスの軍服を着た銃殺隊による処刑場面を描き、マクシミリアーノ1世を見殺しにしたナポレオン3世を批判した。)




1867年もはや抵抗する術を失くしたマクシミリアンは革命軍に捕らえられ処刑された。

35歳だった。


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発狂したシャルロッテはベルギーのバウハウト城に幽閉されたまま60年以上にも及ぶ長い人生を送る。



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シャルロッテは、自分はまだメキシコの皇后であり、夫マクシミリアンはまだ生きていてすぐに帰ってくると信じていた。




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彼女はいつも〝マックス〟(夫マクシミリアンのこと)と名付けられた小さな人形と一緒に寝ていたと言われている。


シャルロッテは精神を病んだまま1927年に86歳で死去した。




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