ベルサイユに君臨した太陽王ルイ14世は秘密結婚をしていました。
その相手は貴族でもない庶民出身でありルイ14世より3歳も年上の女性であった。
それにもかかわらず最強の勝ち組として女道の頂点まで登りつめたこの女性はいったいどういう経歴の持ち主だったのでしょうか?そしてなぜルイ14世から愛されたのでしょうか?
(ベルサイユに君臨した太陽王、ルイ14世)
1635年11月27日フランソワーズ・ドービニェ、(後のルイ14世と秘密結婚する)は殺人、賭博など様々な罪状で収監されているポワトゥー地方二オールの監獄で誕生した
父親はコンスタンは最初の妻を殺害した前科があり獄中、母親ジャンヌは看守の娘であった。
フランソワーズが4歳の時父親が恩赦となり釈放されると、一攫千金を夢見てカリブ海に浮かぶマルティニーク島に一家で移住しました![ニコ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/022.png)
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しかし現実は厳しく一家は貧困生活を強いられ物乞いをするまでに落ちぶれてしまいます![えーん](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/018.png)
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なんとかパリに戻りましたがまもなく父親は客死。兄は溺死、母親も気苦労でやつれはてやがて死亡。
13歳で孤児になったフランソワーズはウルスラ派のカトリックの尼僧院に入れられることになりました。
しかし当時持参金もなく尼僧院入りした少女の運命は過酷なものでした![えーん](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/018.png)
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尼僧院から一生出ることが出来ず、ほとんど下女がわりの修道女として酷使されました![ショボーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/017.png)
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我慢の限界まできたフランソワーズは叔母に
『尼僧院での暮らしは死より厳しいのです。』
と助けを求めましたが、叔母は助けてはくれませんでした。
しかしようやくこの時になってフランソワーズは
自分の運命は自分で切り開くしかないと気が付きました![ムキーッ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/074.png)
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尼僧院を脱出したフランソワーズは後見人であったヌイヤン夫人のもとへ逃げ、自分の未来を切り開くためパリへ向いました。
16歳となっていたフランソワーズはマルティニーク島育ちであることから〝西インドの乙女″という触れ込みで社交界へ![ニコニコ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/024.png)
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そこで42歳のポール・スカロンと出会います。
ポール・スカロンは人気作家でしたが奇病で体が変形し下半身が不自由なため車椅子生活を余儀なくされていました![ショック](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/053.png)
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ポール・スカロンはフランソワーズが貧しく身寄りがなくこのままほっておけば再び尼僧院送りになることを知るとフランソワーズに求婚しました。
出口のない貧窮から脱出するためフランソワーズはこの結婚を承諾し、16歳と五か月でスカロン夫人となりました。
さらに夫スカロンは幼い妻にラテン語やスペイン語、イタリア語を教え、奇形の夫の看病という苦労もあったが知性と人脈作りにおいてフランソワーズに大きな黒字をもたらしました![ドキドキ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/031.gif)
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しかし夫スカロンの病は徐々に悪化し25歳でフランソワーズは未亡人となってしまいます。
再び寡婦年金で過ごす苦しい貧困生活を送ることになったフランソワーズでしたが30歳の時運命の出会いが訪れます。
それは知人の紹介でであったモンテスパン侯爵夫人です。
モンテスパン侯爵夫人はフランス王ルイ14世の公式寵姫としてベルサイユに君臨していました。
モンテスパン侯爵夫人はルイ14世との間に生まれた6人の私生児たちの面倒をみてくれる家庭教師を探していました。
モンテスパン侯爵夫人に気に入られたフランソワーズは家庭教師としてベルサイユ宮殿に招かれました。
モンテスパン侯爵夫人は産みっぱなしで全く育児をしなかったので子供たちはフランソワーズを実の親のように慕いました![ニコニコ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/024.png)
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これに目をとめたのがルイ14世その人です。
優しく子供たちの面倒をみてくれるフランソワーズに敬意をしめし、マントノン城を与えました。
フランソワーズは1674年12月27日マントノン侯爵夫人となり一国一城の主にまで出世しました。
しかしフランソワーズの出世はまだまだ続くことになります。
なんと今度はルイ14世本人から愛を打ち明けられたのです![びっくり](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/031.png)
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絶対君主であるルイ14世は当時45歳。
華麗な恋愛遍歴を送ったルイ14世は幼いころから苦労続き波乱万丈の人生を送っており、家庭的な安らぎを求めていたのです。
この時モンテスパン侯爵夫人は黒ミサ事件に巻き込まれ、ルイ14世はモンテスパン侯爵夫人を信用できなくなり、1691年にモンテスパン侯爵夫人は宮廷から追放されました。
今度は若く美しいフォンダンジュ嬢に惹かますが、フォンダンジュ嬢は美しいだけで話し相手にはな亥ませんでした。
(ルイ14世時代のトイレ。ルイ14世は消化不良のためしょっちゅうお腹を下していたそうです
)
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健康にも問題を抱え始めていたルイ14世はひたすら孤独だったのです![ぐすん](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/061.png)
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ルイ14世は安心できる話相手を欲していました。
フランソワーズには母性愛があり、謙虚で落ち着きがあり控えめで思いやりがあり、ルイ14世の疲れた心を癒してくれる存在だった。
ルイ14世はフランソワーズに自分の公式寵姫となるように、と告げるとフランソワーズはなんと、
『正式な結婚以外、私は誰とも結ばれたくありません。』
となんと王の要求を拒否し、さらにベルサイユ宮殿を去ることを告げた![ポーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/040.png)
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これに一番驚いたのはルイ14世本人だった。
何がなんでもフランソワーズをそばにおきたいルイ14世は王妃が没して二ヵ月後、国王付き司祭や大司教ごく限られた友人立ち合いの下、ベルサイユ宮礼拝堂でフランソワーズと深夜に秘密の結婚式を挙げた。
ルイ14世は45歳。フランソワーズは48歳であった。
それから32年の月日が流れた![ニコニコ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/002.png)
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1715年8月30日重病の床にあったルイ14世はフランソワーズに、
『あちらの世界で待っているから、もうこの場を去るように。あなたほど愛した人はいなかった。』
と別れを告げた。
ルイ14世崩御の後フランソワーズはベルサイユ宮殿にほど近いサン=シール女学院に隠棲し、人々の忘れられた頃83歳で世を去った。