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18世紀、旅回りの役者からコメディ・フランセーズの大女優となったアドリエンヌ・ルクヴルールニコニコ


フランス上流貴族ブイヨン公爵夫人とフランス大元帥モーリス・ド・サックスの恋人の座を巡る三角関係の末にブイヨン公爵夫人に毒殺されたと言われる。


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実は今日では毒殺ではなく元々体の弱かったため、自然死とされている。時が過ぎ、19世紀になるとアドリエンヌの突然死は小説、戯曲化され、大女優サラ・ベルナールがアドリエンヌ役を演じたり大人気となったニコニコニコニコ


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さらにオペラ化もされ、今日でも人気のある作品である。
しかしオペラ化などの人気により〝ブイヨン公爵夫人に毒殺された〟強くイメージがついてしまった。

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アドリエンヌ・ルクヴルールは1692年洗濯女の娘として生まれ、貧しくみじめな子供時代を過ごした。
父親は半分気狂いで放火したこともある。母親は酒浸りだった。


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14歳の時アドリエンヌはパリに出てきた。

パリで貧しい女優をしていた時にアドリエンヌは役者のル・グランの目にとまり、彼の世話でリール座に雇われることになった。アドリエンヌはロレーヌ、アルザス地方を巡業して次いでリールで演じた。

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10代後半のアドリエンヌは多くの恋愛をし、父親の違う2人の娘を産んだ。

1717年、24歳のアドリエンヌはコメディ・フランセーズ座でデビューし、たちまち大成功を収めた。アドリエンヌは天才的な才能の持ち主で彼女が芝居に出るとたちまち劇場は満員になった。

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この頃のアドリエンヌの容姿については、


『彼女は完璧なスタイルの持ち主で、大きな目は輝きに満ち、鼻はいくぶん鷲鼻だったが、頰はふっくりしており、悲しみ、喜び、優しさ、恐れ、憐れみの感情を表現するに相応しい彫りの深い顔立ちをしていた。』


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と評されている。

さらにアドリエンヌの演技には真実味があり、発声法に対して非常に勉強熱心で、また扮する人物に応じた衣装を丹念に選ぶ工夫をしていた。


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パリでの華々しいデビューしたあとアドリエンヌはフランスの哲学者ヴォルテールと親しくなった。
ヴォルテールは劇作家でもあり、大成功を収めた。後にヴォルテールとアドリエンヌは親友となった。


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(24歳のヴォルテール。)


さらにアドリエンヌはマレー通りにサロンを開いた。そこにはヴォルテールはもちろんのこと上流貴族たちが訪れた。

ヴィルテールにはいくつかの有名な名言がある。その中でも最も有名なものが、


〝私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る〟




ラ・ロシュフコー、リシュリュー枢機卿、メーヌ公妃、ランベール侯爵夫人が常連だった。
伝えられるところによるとアドリエンヌには女優としての才能と同じくらいサロンの女主人としての資質も優れていたニコニコ

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再びアドリエンヌは恋に落ちた。
相手はモーリス・ド・サックス。
後のフランス大元帥である。

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モーリス・ド・サックス。ジョルジュ・サンドは孫ニコニコ




根っからの軍人で12歳で少尉になり戦場で生きてきた彼は無骨者で礼儀作法も教育もほとんど受けていなかった。
アドリエンヌは、彼に読書させ、フランス語を矯正し、音楽や科学、自分のもっている教養の全てをモーリスに教えた。



さらに尽くす女性だったのかアドリエンヌは、モーリスが妻と喧嘩した時は真っ先に慰め、彼にお金がない時は4万リーブルもの大金を立て替えてやりました。

その上モーリスのためにアドリエンヌは自分の馬車や宝石類の一部を売却したりもした。


2人の関係は4年続き、アドリエンヌは2人の愛が永遠に続くものだと信じていた。
しかしそれはアドリエンヌの思い違いだった。

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モーリス・ド・サックスはアドリエンヌを捨てて、上流貴族であるブイヨン公爵夫人のもとに走った。

ブイヨン公爵夫人は名門貴族の生まれでかつ裕福な女子相続人として幼い頃から引く手数多でした。

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(ブイヨン公爵夫人  マリア・カロリナ・ソビェスカ)


短い結婚生活のあと、ブイヨン公爵と結婚し、ブイヨン公爵夫人となったが結婚生活は不幸だった。


1730年ヴォルテール作の『オイディプス王』を演じた後アドリエンヌは急死した。




今日ではその死は毒殺ではなく、自然死・病死の類であっただろう、とされている。

しかしアドリエンヌが生きた時代には毒殺が流行していた。


16世紀の終わりごろから技術としての毒の中心地はイタリアからフランスへと移り、犯罪に毒がもちいられることはますます多くなっていったからだ。

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(ブランヴィリエ侯爵夫人  1630〜1676)


17世紀の連続殺人鬼  ド・ブランヴィリエ侯爵夫人、本名はマリー・マドレーヌ・ドーブレ。

資産家であり、清楚な美貌の持ち主だったニコニコ

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しかしマリーは愛人と共謀して、遺産目当てに父親を毒殺するため慈善病院に熱心に通いつめ、病人相手に人体実験を繰り返して毒の効果を試した後、父親に少しずつ毒を盛って殺害した。

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(ブランヴィリエ侯爵夫人が毒殺する様子)


このような毒は〝遺産相続の毒〟と呼ばれ、早く遺産を手に入れたい人々から需要があったガーンハッ

その後、マリーは遺産を独り占めにするために兄弟たちも始末し、その娘や夫たちも狙った。


裁判では全く罪悪感を見せなかったが、拷問されるとさすがに反省した。死刑を宣告され、斬首された。

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とりわけ貴族の多くは毒の恐怖に怯えるばかりであった。彼らはごく信頼できる人間との晩餐会にしか訪れないようになっていった


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カトリック教会がアドリエンヌの埋葬を拒絶したことから、アドリエンヌの親友だったヴォルテールは彼女を悼み教会を批判する詩Ode sur la mort de Mlle Lecouvreur を書いた。

結局彼女の遺骸は死の翌日深夜、モーリスやヴォルテールらの手によりセーヌ川の縦穴に遺棄されたという。


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ヴォルテール曰く

ひとりで彼女は会得した、自然の言葉を。
愛が彼女の目に宿り、声を借りて語った。
才気、感情、趣味は天賦の才で
彼女は芸を磨き、高尚にした。