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大英帝国をかつてない繁栄に導いたヴィクトリア女王。

そのヴィクトリア女王には大きな悩みがあった。世継ぎである皇太子エドワードの花嫁探しである真顔


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(大英帝国を繁栄へと導いたヴィクトリア女王)

皇太子エドワードは問題児で無鉄砲、規則に縛られるのが大嫌いで、女性好き、しかも器量好みで遊んでばかり、並みのプリンセスではウンと言わないガーン


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(皇太子エドワード、後のエドワード7世)

皇太子の花嫁探しはひどく難航したあせる

ヴィクトリア女王は、デンマーク王室の美人姉妹の噂を聞く。特に長女のアレクサンドラ王女は大変な美人だとか。。

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(アレクサンドラ王女と妹。妹は後にロマノフ家に嫁ぐニコニコ

ヴィクトリア女王はさっそくデンマークへ使いをやり、アレクサンドラ王女をオズボーン宮殿に招いた。


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(美人姉妹として有名だったデンマーク王室のプリンセスたちラブドキドキ

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アレクサンドラ王女は17歳。
アレクサンドラ王女は自然でのびのびとしており、聞きしに優る素晴らしい王女だったニヤリ


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アレクサンドラ王女は髪は明るい茶色。
美しい肌に薔薇色の頬、輝くすみれ色の瞳が忘れがたいほど美しく、さらに親切で愛情深い性格だった。

(しかしその一方で頑固で短気、時間に信じられないほどルーズな女性だったと言われている。)

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ヴィクトリア女王はすっかりアレクサンドラ王女を気に入り、この美貌の王女を妃に迎えれば問題児の皇太子エドワードの素行もきっと変わると信じていた。

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アレクサンドラ王女のことはヴィクトリア女王の長女も絶賛している。


これまで出会ったなかでアレクサンドラ王女のような優雅で美しい女性にあったことはありません。アレクサンドラ王女はとても愛らしいのです。

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声も歩き方も立ち居振る舞いにも文句のつけようがありません!最も貴婦人らしく高貴な姿をしておられます。こんなに印象深い方に出会ったのは初めてです。』


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こうしてイギリス皇太子エドワードとデンマーク王室アレクサンドラは1863年に結婚した。


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(結婚時のふたり)


ヴィクトリア女王や王室の人々だけでなく、アレクサンドラ王女はイギリス国民からも大歓迎を受けた。

アレクサンドラ王女の優雅さと美しさはもはや伝説的だった。

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(1860年ごろのアレクサンドラ王女。ヴィンターハルター作)

が、しかし皇太子エドワードだけはアレクサンドラ王女のことが気に入らなかったガーン

アレクサンドラ王女と結婚しても皇太子エドワードは奔放な女性遍歴を止める気はさらさらなかった。

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二人の間には三男三女が産まれた。


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アレクサンドラは夫の不倫と自分への愛情のなさを見て見ぬふりをし、その耐え難い屈辱を子育てに向けることで紛らわした。


皇太子エドワードの愛人たちは有名だった。1877年にはリリー・ラングトリーを公式寵姫とした。

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(エドワード7世の最初の寵姫、リリー・ラングトリー)


その三年後にはフランスの有名女優サラ・ベルナールにその座を譲ることになったが、リリー・ラングトリーもまた女優として活躍した。

イギリス皇太子の元公式寵姫という名声が功をそうし、リリーの舞台は大成功を収め、6年間もの間アメリカ中をまわって嵐のような大成功を収めた。

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(フランスの大女優、サラ・ベルナール)



1901年ヴィクトリア女王の崩御により、夫エドワードがエドワード7世として即位。アレクサンドラはイギリス王妃となった。



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既に50歳を越えていたが、30代に見えるほどの美貌を誇った。


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冷めきった夫婦生活の原因は、夫エドワードとの相性が悪かったこともあるが、アレクサンドラにも非はあったと言われている真顔

アレクサンドラはとんでもなく自分本位で想像力に欠けた女性だった、と言われている。また人間性というものが理解できなかったとも。




そして今度はデイジー・ウォーイックという女性を愛人にし、アリス・ケッペルという貴族女性を愛人にした。アリスは当時56歳のエドワードに見初められ、ふたりの愛は12年間続いた。

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(エドワード7世の寵姫、デイジー・ウォーイック)


アリスはエドワード7世から大変愛され、〝la favorits〟(お気に入り)とされエドワード7世の最愛の女性で知られている。




エドワード7世は自分の寵姫アリス・ケッペルが自由に自分の寝室を出入りできるようにしていたため、アリスはアレクサンドラ王妃を無視して寝室に入り、その目前でエドワード7世を愛撫するなどし、王妃であるアレクサンドラを非常に苛立たせたムキーッドンッドンッ


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(エドワード7世の晩年の寵愛を一人占めしたアリス・ケッペル)

夫エドワードの女性遍歴は結婚してから夫エドワードが死ぬまでなんと50年にも及んだ。

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1910年放埓な生涯をおくったエドワード7世は68歳で死の床についた。


イギリス国王エドワード7世が崩御してすぐ、アレクサンドラは夫の亡骸を見たあと晴れ晴れした気持ちになった。

50年間愛されない妻として生きたアレクサンドラにとって夫を一人占めできるのは彼女にとってはこれが最初で最後だったのだ。

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とはいえ、アレクサンドラ王妃は夫を除いて死ぬまであらゆる人々から愛されていた。

1925年80歳という高齢でアレクサンドラはサンドリンガム宮殿でその生涯を閉じた。



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