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〝美しさが色褪せると女性は善なるものを求める″

若さと美しさと活力に満ちているときはたいていの人間は罪を犯す。しかし年齢、もしくは病気の影が自分に近づいていることに気がつくと自分の罪深い人生を後悔し始めるのだ。


ローラ・モンテスほどその人生を悔い改めた女性はいなかった。

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マリー・ドロレス・イライザ・ロッサナ・ギルバートは1818年アイルランドのリメリックに生まれた。



名前のドロレスを縮めて〝ローラ″ と呼ばれるようになったニコニコドキドキ


父親はスコットランド連隊の士官。母親はエリザ・オリバーでまだ15歳の若さでローラを産んだ。

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4年後夫がコレラで急死したため、まだ若く美しいエリザは夫の親友クレイギー大尉と結婚し、クレイギー夫人となった。

美しいクレイギー夫人は夫の駐屯地に君臨し、娘であるローラはすくすく成長し、たちまち連隊の人気者となった。


大きな青い目と黒い巻き毛の白い肌のローラは兵士たちに囲まれ、王女のような雰囲気を纏っていたていう。


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クレイギー夫人もローラも気紛れな似たような性格だった。あまりに似すぎたために相容れない親子だった。

ローラが16歳の時、まだ若い母親は最高裁判事で金持ちの貴族で60歳のエイブラハム・ラムリーと結婚させようとした。


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(幼い頃のローラ)




ローラは不幸な結婚から逃れるべくトーマス・ジェームズというイギリス軍大尉と駆け落ちキョロキョロ

ローラはインドに渡り、将校の妻として社交生活を大いに楽しんだニコニコニコニコ





夫になったジェームズは酒癖が悪く5年後には2人は別れることになった。(しかし離婚は成立していなかったため後に大問題となる


ローラは自分が美しいことを知っていたし、自尊心がとても強く、人々から注目されたいと強く望んでいた。 

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ローラは英国に帰り、女優になろうとした。そのためにスペインに渡り、ダンスのレッスンを必死に受けた。

ローラは1843年にロンドンで

「スペインの踊り子、ローラ・モンテス


として鮮烈なデビューを飾った。
(ローラはスペイン人では全くないのにスペイン貴族の末裔だと称した😣💦)

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ローラのエキゾチックで完璧なスペイン風の美貌を批評家たちは絶賛したが、にわか仕込みのダンスのため初舞台は大コケしてしまった😣💦





しかし不屈の精神をもつローラはブリュッセル、ベルリン、そして1844年にはドレスデンに赴き、作曲家でピアニストのフランツ・リストと出会う。

リストは上流階級の淑女の憧れの的で人気者だった。
リストはローラの完璧な肉体の虜になった。
リストはどこにいくにもローラを同伴し、彼女のために捧げるソナタまで作曲したが、結局は激しすぎる気性のローラに対応できず、ローラを捨てた。

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(ローラのヨーロッパでの成功のきっかけを作ったフランツ・リスト)

しかしドレスデンでの有名人リストとの情事はローラの国際的知名度を上げることに成功した。

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リストと別れた後はベルリンに行き、国王ヴィルヘルム4世とその従兄弟でロシア皇帝の前で踊り、大成功を収めたニコニコドキドキ

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プロシアの王妃でさえ悪名高い踊り子ローラの踊りを見たがった



とにもかくにもローラの名声はヨーロッパ中に広がっていた。


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(ローラはたいへん美しい足の持ち主だった)


その後ローラはヨーロッパで最も洗練されたパリへと引っ越した。
かつての恋人リストもパリに来ており、2人は仲直りをした。



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リストはローラをあちこちのサロンに紹介した。
ジョルジュ・サンド、アレクサンドル・デュマ、椿姫ことマリー・デュプレシスヴィクトル・ユーゴーなどなど大物たちと知り合います


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そしてローラは運命の恋人、アレクサンドル・アンリ・デュジャリエと出会う。


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デジャリエは29歳のハンサムでお金持ち。


デジャリエはローラと同棲し、彼女との結婚を考えていたが、彼はローラをめぐる決闘であっけなく命を落とす。

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デジャリエの死でローラは前にもまして無鉄砲に危険や冒険を求めた。
ローラが持っていたわずかな真心はデジャリエの死とともに永久に死んでしまった。



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ローラは28歳で圧倒的に美しい、並ぶもののない魅惑の美女だった。彼女はパリを去りバイエルン王国の首都ミュンヘンに行った。


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国王は60歳のルートヴィヒ1世。

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(バイエルン国王ルートヴィヒ1世。ローラのせいで退位)

ローラはルートヴィヒ1世をいとも簡単に魅了した。

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ローラは今まで世界中を旅し、ヨーロッパ中の大物たちと付き合っていたので、ミュンヘンにはローラほどの美しさ、教養、洗練、ウィット、完璧な肉体を持った女性は全くいなかった。


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ローラがルートヴィヒ1世に気に入られて早々、国王は宮廷画家スティラーに命じ有名なニュルンベルク城にある美女ギャラリーに飾るためにローラの肖像画を描かせた。

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(ニュルンベルク城の美女ギャラリー

国王ルートヴィヒ1世は日に日に踊り子ローラにメロメロになり、ローラの言うことは何でも聞いた。

1847年にはローラはルートヴィヒ1世からランズフェルト伯爵夫人の地位、一万フローリンの年金を与えた。


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(ニュルンベルク城)

一方、ルートヴィヒ1世の妻、王妃テレーゼはローラと会うことを断固拒否した

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(バイエルン王妃テレーゼ。徹底的に野生むきだしのローラを宮廷から追い払おうとしました)

ローラがランズフェルト伯爵夫人の爵位をもらうと大臣たちが抗議のため辞任した

しかしローラの傲慢ぶりは日増しに大きくなっていった。


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伯爵家の紋章をつけた馬車にのり、ローラはミュンヘンの高級ブティックで買い物にいった。
その時、


支払いは私のルイ(ルートヴィヒ1世のこと)がしますわ


と言い放った


ローラは並外れて激しい気性だった。気まぐれで人の言うことを全く聞かなかった。自分が馬鹿にされたと感じたら店の店主にも通りすがりの人にも殴りかかった。

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ルートヴィヒ1世はちょっと変態気質というか美しいものを愛する少し変わり者の王様だった。ローラとルートヴィヒ1世の手紙が残っているがふたりの性生活は少し特殊だった



次第に周囲の反感を買っていくローラ。

ミュンヘンの上流社会は決して卑しい踊り子であるローラを受け入れようとしなかった。


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それどころかローラは徹底的に憎まれていた。


1848年、ローラへの反感な革命の引き金となり、バイエルン王ルートヴィヒ1世は退位し、皇太子マクシミリアンに王位を譲った。

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ローラは暴動の最中なんとかバイエルンを抜け出し、イギリス、母国ロンドンに逃げた。


資産家の息子ジョージ・ヘラルドと結婚しようとしますが、前の夫との離婚が成立していなかったため、重婚罪となってしまった。


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そこでまたしてもローラは駆け落ち。
2年間ヨーロッパを放浪した。

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経済的な安心を確保するため、退位したルートヴィヒ1世と落ち合う約束もしていたが、結局上手く行かなかった
スペイン、フランスに逃げたが2人は結局破局した

ローラはアメリカ合衆国へと逃げた。

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アメリカ合衆国でローラは女優活動を始める。人々はバイエルン王の元寵姫を一目見ようとし、ヨーロッパにいた頃から見聞きした有名な美女や王妃の話が人気でした


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アメリカの資産家と結婚したが破局し、ゴールドラッシュにわくオーストラリアへ。
スカートをまくりまげ、官能的なダンスを踊るローラに良識ある人々はローラの舞台をはしたない、と興味を示さなかった


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若い頃の放蕩生活のせいか30歳を超えたあたりからローラの容姿も衰え、金山の鉱夫相手に踊るほどローラ・モンテスは落ちぶれていった。


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ローラは自分のために王国を失い、真心を踏みにじったルートヴィヒ1世のことをよく思い出し、自分の罪深い行いを認め、悔い改め、よきキリスト教徒となろうとした。
(女子修道院に寄付している)


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1860年以降ローラ・モンテスはニューヨークに移住するが、脳梗塞となり左半身麻痺となってしまう。
(若い頃の放蕩生活のつけで梅毒に脳を犯されていたとも)


1861年1月17日ローラ・モンテスは39歳(42歳とも?)でその生涯を終えた。


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ヨーロッパ各紙はローラの死を大々的に報じた。

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(ニュルンベルク城の美女ギャラリー)

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(ルートヴィヒ1世が美女ギャラリーに入れたいがため直々に画家に描かせたローラの肖像画)


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(ニュルンベルク城の内部素敵なお城です

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(ルートヴィヒ1世の孫、ルートヴィヒ2世は有名なノインシュバシュタイン城を建設しました)