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(白いドレスの女性がキャロライン・マチルダ王妃1751~1775)
 
「月が綺麗ですね」は英語の「I love you(私はあなたを愛しています)」を夏目漱石が訳したもの。同じく文豪の二葉亭四迷は、「Yours(私はあなたのものです)」というセリフを「死んでもいいわ」と訳しました。
 
 
情感たっぷりで素敵ですね。こんな風に言い合える相手に巡り合えたらきっと幸せでしょう
 
 
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しかしキャロライン・マチルダの場合、愛を知った瞬間から運命の歯車は、若死にへと確実に廻り出してしまいます。
 
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キャロライン・マチルダは、1775年イギリス王女として誕生しました
 
キャロライン王女は、宮廷ではなくロンドン郊外のキュー村で養育されることになりました。かなり自由な生活だったらしく、自然に親しみ、乗馬も得意、読書好きの明るい髪色に青い目の少女に成長
 
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もちろんイギリス王女にふさわしく、どこの国に嫁いでもいいように、英語、ドイツ語、イタリア語、フランス語、デンマーク語の読み書きが出来、歌も上手でさらに美声、チェンバロも巧みに弾きこなした。
 
 
キャロラインは生真面目で努力家の優等生タイプで何事にも真剣に取り組んだ。
 
 
 
1776年、キャロライン王女は15歳で17歳の若きデンマーク王クリスチャン7世と結婚し、デンマーク王妃となりました。
  
 
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(キャロラインの夫、クリスチャン7世)
 
しかし夫となったクリスチャン7世には精神障害があったと言われています。(病名は統合失調症が有力でアスペルガー症候群説も)
 
夫となる王の深刻な病状について全く何も知らされていなかったキャロライン王妃は、おおいに困惑します。
 
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突然気分を変える突拍子のなさ、言葉の暴力、幻覚をみたと騒いでコペンハーゲンを徘徊しては、女性に火傷を負わせたりと、夫であるクリスチャン7世はすでに狂気に陥っていた。
 
 
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さらに夫、クリスチャン7世は、〝 キャロライン・マチルダ王妃を愛せない″  と公言!します。
しかも理由は、『一人の女性を愛するのは時代遅れだから』。。びっくり
 
 
それでもキャロライン王妃は結婚後まもなく使命を果たす。16歳で世継ぎの男子を産みます。
 
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1769年クリスチャン7世は外遊に出て、外遊先で新しく雇った医師ストルーエンセを伴ってデンマークに帰国。
 
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(王妃の愛人でドイツ人医師ストルーエンセ)
 
 
医師ストルーエンセのおかげでクリスチャン7世の躁と鬱の極端な発作は収まり、精神的に落ち着いてきた。
 
ストルーエンセはキャロライン王妃より14歳年上の31歳だった。
 
ストルーエンセには王の病が完治するものではないとわかっていました。
 
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(左からクリスチャン7世、キャロライン王妃、ストルーエンセ。後ろの女性は侍女)
 
 
しかしストルーエンセはクリスチャン7世は決して愚かなわけではなく、制御できない言動に本人も苦しんでいることを見抜きます。そしてできる限り根気よく話に耳を傾け、行動を共にし、押さえつけようともせず、そうかと言って好き勝手もさせなかった。
 
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放任されるのは見捨てられるのと同じことでそれこそ彼なりに病に苦しんでいたクリスチャン7世の最も恐れていたことだったからだ。
 
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まだ18歳のキャロライン王妃には生来の陽気さに欠けており、クリスチャン7世の精神障害を受け入れることは理解し難く、まもなく鬱状態に陥ってしまうそしてストルーエンセが王妃の治療に当たることになりました。
 
 
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ストルーエンセは精神的に不安定な王と王妃にすぐに大きな影響力を及ぼすようになる。
 
 
そしていつの間にかキャロライン王妃とストルーエンセは恋に落ちようとしていた。
 
 
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まだ若い王妃キャロラインは恋の輝きでいよいよ魅力を増していた。
キャロライン王妃は初めて幸せとは何か、愛されるということはどういうことなのかを知った。
 
1770年にはふたりの愛人関係は公然の秘密となっていた。
 
 
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しかし王妃キャロラインは妊娠してしまう。
 
世継ぎの男子を産んで以来、王とベッドを共にしていないのは宮廷中が知っていた。愛する人の子が産みたいキャロライン王妃は、再びベッドに愛していない夫を招き入れた。
 
1771年キャロライン王妃は、王女ルイーゼを出産する。
 
 
無事出産したものの王女ルイーゼが王の子だとは誰も思っていなかった。
 
 
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(成長するとストルーエンセそっくりになった王女ルイーゼ・アウグスタ)
 
ストルーエンセはすでに医師という枠を超えて、大臣、デンマークの事実上の摂取にまでのぼりつめたが、同時に傲慢な一面もあった。
ストルーエンセは野心的であまりに多くの敵を作りすぎていたのだ。
 
 
 
 
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1772年1月17日、クリスチャンボー城で前夜から華やかな宮廷仮面舞踏会の余韻のまま、ぐっすり眠っていたストルーエンセ、キャロライン王妃は突然逮捕された。
 
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逮捕から40日目、惨たらしい拷問の末にストルーエンセは遂に国家を乗っ取ろうとしたことを自白する。
 
 
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それを知ったキャロライン王妃は夫、クリスチャン7世にストルーエンセを助けるための手紙を書いた。  
 
 
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自らの不貞を認め、ストルーエンセとの関係は宮廷でよくある愛人関係であり、決して政治的な理由からではない、と必死に命乞いをした。
 
イギリス王女として生まれ、今デンマークの王妃であるにもかかわらず、一介の平民の医師のため、すべての誇りと義務を捨て、キャロライン王妃は愛する人をかばった。
 
 
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それは同時に王室の名誉を傷つけることであり、一介の平民の医師のため王室の名誉を傷つけるなど王妃として絶対にしてはならないことでもあった。
 
 
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しかしストルーエンセの死刑はさけることのできないものだった。
 
 
右手を斬り落とした上、斬首。遺体は四つ裂きの刑にされた。家畜のように切断され34歳の無念の死を遂げた。
 
 
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(ストルーエンセの処刑。)
 
キャロライン王妃はハノーファーにあるツェレの城に追放された。わすが20歳の王妃は強い悲しみに苛まれ、体と心が上手く動かない。
 
猩紅熱にかかり、病と闘う気力をなくしていたキャロラインは愛を知ってしまったが故に23歳で若死した。
 
 
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キャロライン王妃とストルーエンセの娘、王女ルイーゼはデンマーク宮廷で育てられ、彼女の五代目の子孫がスウェーデン王と結婚したため、現スウェーデン王室にはストルーエンセの血筋を引いていることになる。
 
 
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一点の曇りもない真心と自己犠牲、そして愛とこの人のためなら死んでもいいという、嘘偽りない気持ち、その気持ちは素晴らしいですが、少なくとも王妃という立場では決して幸せになれないとキャロライン・マチルダ王妃が証明しているように思います。
 
 
 
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一方、一生恋というものを理解しなかったクリスチャン7世は、ストルーエンセの死後も彼を高く評価していた。ストルーエンセ処刑の3年後、王が描いた絵には次の文言が記されていた ― "jeg havde gerne reddet dem begge to" (2人とも助命できればよかったのに