『二人の神がローマに偉大な贈り物を与えた。軍神マルスは帝国を、美神ヴィーナスはインペリアを』
と称えられた一人の娼婦がいた。
インペリアの本名はルクレツィアといい、1481年ディアナという一娼婦の私生児として生まれた。
父親ははっきりとはわからないが教皇庁においてかなり力のあった人物だったと言われている。
それを裏ずけるように、母ディアナはルクレツィアを出産後、多額の持参金と共に結婚し、新しい夫には教皇庁での役職が与えられました
ディアナは自身の経験からローマで高級娼婦(コルテジアーナ)として成功するには単に美しいだけでは十分ではないと知っていた。
有力な枢機卿や銀行家から保護を受けるには、文学、音楽などの素養が必要になってくる。
かくして母ディアナは娘ルクレツィアを一流の娼婦とするべく、徹底的に教育し育てた。
つまり一流の高級娼婦になるための英才教育。
その努力が身を結び、ルクレツィアはコルテジアーナ・オネスタ(高尚な娼婦)になり、見事、大物を釣り上げた。
ルクレツィアを保護したのは、銀行家のアゴスティーノ・キージ。
彼はラファエロの保護者としても有名でローマ教皇でさえ彼に多額の金を借りており、頭が上がらないほどの権力者でした
(同じく高級娼婦と言われているバルミジャーノ画の美女アンテア)
ルクレツィアの天性の美しさはアゴスティーノ・キージの保護を得て、いよいよまばゆいばかりに輝いていった。
この頃皆がルクレツィアの名前が平凡すぎるというので、インペリアと呼ばれるようになった。
チチリアーノの詩によれば、
「たくさんの枢機卿たちが、わたしの波打つヴェールの虜になったわ。あなたの思いもつかないようかお方もいたのよ。
わたしが髪の毛一本ずつに大枚を積ませた偉い聖職者や司教や大商人に比べれば、空を彩る星もものの数ではないわ。
さらに侯爵や公爵、大使たち……」
インペリアの住居を訪れたものは、その豪奢な佇まいと召使いの服装をみて、王侯貴族の家に招き入れられたのではないか、と錯覚するほど豪奢なものだった。
インペリアの住居を訪れる選ばれた人々の中にはスペイン大使、教皇庁の高官たち、一時は画家ラファエロさえもインペリアの恋人だと言われた。
華やかな生活を送っていたインペリアだったが、1512年8月、突然インペリアは自ら毒を飲んだ。
保護者アゴスティーノ・キージは医者を派遣し、医師たちの必死の看病にも関わらず数日後にインペリアは31年の短い生涯を閉じた。
自殺の理由については詩人のアンジェロ・デロ・ブファロに振られたからとか、保護者のアゴスティーノ・キージが他の女に心を移したからだ、と様々な噂が流れたが、決定的なことはわからなかった。
(ルネサンスの高級娼婦たちが愛用したハイヒール)
しかしインペリア自身が、人々から女神のように崇められ、人目を驚かすほど華やかな生活を送りながら、どこか虚無感を抱えて生きていた。
キリスト教徒に自殺は許されない。
しかしインペリアの場合ローマ法皇ユリウス2世に特別に赦され、その死をローマ中の人々が悲しんだ。
なのでインペリアの父はユリウス2世だったのでは?とも言われています。
インペリアの莫大な財産は、彼女自身の意思により、100デュカーティを母親ディアナに、残りはすべて人目を避けて修道院に預けてある、インペリア自身の娘に送られた。
インペリアが16歳頃産んだこの娘は、母親と同じルクレツィアという名前で、インペリアは自分の生きている世界から出来るだけ遠ざけ、平凡な女の幸せー、結婚し、そして子供を産み家族をもつことを望んだと言われています。