幕末といえば、やっぱり新撰組


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新撰組は京都守護職の会津藩主、松平容保の庇護のもと、新撰組として発足しました

同じように京都見廻組がありましたがら
京都見廻組は幕臣(旗本、御家人)で構成された正規組織でした。


しかし新選組は浪士(町人、農民身分を含むごちゃまぜ状態)で構成された、「会津藩預かり」という非正規組織でありました。

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隊員数は、前身である壬生浪士組24名から発足し、新選組の最盛時には200名を超えていくことになります。

この新撰組と京にある島原の天神(芸妓)を書いた小説に有名な浅田次郎著『輪違屋糸里』があります。  

小説は、京都島原の天神糸里を主人公に、平山の恋人の吉栄、芹沢の愛人のお梅、郷士の女房おまさとお勝の人の女たちの視点で、新選組初期に起こった芹沢鴨・暗殺事件を描いています。 

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なので小説とは違った視点で見ていきたいと思います

当時の新撰組のトップは、芹沢鴨という人物

小説同様、とんでもない荒くれ者です。しかし根は優しく、滅びの美学というか、魅力ある男性に間違いはありません。
ある日借金の催促に来る商家のお梅を手篭めにしたりしました


芹沢は、酒癖が悪くて、思いのままにならない芸妓小寅に腹を立て遊郭の吉田屋に乗り込んで騒いだり、永倉、斎藤、土方、平山が同行して主人を脅しつけ、結局小寅と付添の芸妓お鹿を断髪する辱めを与えたりやりたい放題してしまいます 


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この際に芹沢の命令で土方歳三が小寅の、平山がお鹿の髪を切りました

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この頃、芹沢の乱暴狼藉に対し朝廷から召捕りの命令が下ったことが理由に会津藩から近藤らに手に負えなくなってきた芹沢の暗殺の密命が下ってしまっていた。。


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9月16日島原の角屋で宴会をした芹沢、平山、平間重助は、夜中に屯所の八木家に帰った。
八木家には各々の愛人が待っており、平山は桔梗屋の芸妓吉栄とかねてから馴染で、奥の十畳間で吉栄と同衾して寝入ってしまいます。

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そのうち、水戸派の平間重助の馴染みの芸妓の輪違屋の糸里もやってきます。

深夜、芹沢とお梅たちが寝ていた部屋に数人の男たちが押し入り、芹沢は切りつけられて起き上がるや真っ裸のまま隣室に飛び込むが、そこで刺客たちにずたずたに切り殺された。
部屋の中は血の海で平山の首は胴から離れていた。
日本を必死に変えようとした二人の男は呆気なく殺された。



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芹沢と寝ていたお梅は湯文字一枚をつけただけのほとんど全裸で血だらけで倒れており、首を切られて皮一枚で胴とつながっている状態であった。

表面的には長州藩の仕業として処理されたが、刺客は、土方歳三、山南敬助、沖田総司、原田左之助といわれています。


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小説の中でも一際光るのが芹沢の愛人お梅です。

お梅は、新選組筆頭局長・芹沢鴨の愛人です。

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京都西陣に生まれ、島原のお茶屋にいましたが、呉服商である菱屋太兵衛の妾になっていました。
    
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芹沢と出会った頃は22~23歳ぐらい
お梅は垢ぬけて愛嬌がよい、隊士たちが評判にするような凄い美人だったようです


酒さえ飲んでいなければ芹沢は気さくで聡明な人だったそうで、元々は由緒正しい武家に生まれた生粋の武士だった人物です。



新選組筆頭局長・芹沢鴨が菱屋から未払いのまま買い物をし、菱屋がたびたび催促するも支払れなかった。これ以上、催促することで芹沢との諍いを恐れた菱屋は、女ならばあたりも柔らかろうと機転のきくお梅を催促へやります

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はじめ何度かは芹沢に追い返されたが、ある日、借金の催促に来ると芹沢に部屋に連れ込まれ手ごめにされた。最初は嫌がっていたお梅も、そのうちに自分から芹沢の元へ通うように。。




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女心は複雑好きだから抱かれるのか、抱かれるから好きになるのか、女というものは自分でもら時々わからなくなってしまう生き物かもしれません。


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お梅が芹沢を愛したこと、それだけは間違いないでしょう。じゃなきゃ自分からそんな危険な男の元へ通いません。


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その暗殺事件後、幹部の芹沢と平山の死体は新選組が引き取ったが、天涯孤独のお梅は引き取り手がありませんでした。


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芹沢との合葬案もありましたが、近藤勇が局長の芹沢とお梅のような売女を合葬することはできないと反対し、お梅の死体は八木家に3、4日置かれたが、夏場のことゆえ長く放置もできず、菱屋と交渉するも「暇を出した」と相手にされず放置されます


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困り果てた八木家が手を尽くして西陣のお梅の里へ引き取らせたとも、無縁仏として葬ったともいわれています。


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輪違屋は島原の置屋兼お茶屋さん。現在も続いております)創業は元禄元年(1688年)、置屋として始まります。

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かつては芸妓等も抱えていたが、現在は太夫のみを抱え、太夫の教育の場であり、また、宴席の場として営まれている。表に「観覧謝絶」の札があり、一見さんおことわりの名店。

建物は1984年に京都市の有形文化財に指定されました。


1階には近藤勇書の屏風が、2階には桂小五郎書の掛軸がある。


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(近藤勇)

輪違屋には、桜木太夫という「維新の名花」と呼ばれた太夫が在籍していました。


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京都の歌人、能勢春臣に和歌を師事。大田垣蓮月の歌友の一人であり、蓮月に「太夫ならねど才子なり」と評価されていました

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当初は桂小五郎の深い馴染みであったが、のちに伊藤博文の愛妾となる


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伊藤博文がハルビンの駅にて暗殺された後は、尼となり、京都市北区西賀茂にて隠棲したといわれています。