16世紀キリスト教社会において王妃をかえることなんと6回!
イングランド王、ヘンリー8世は6度王妃を変えました。
(フランス風フードを被ったキャサリン・ハワード)
1人目は離婚、2人目は死罪にし、3人目は死に別れ、4番目も離婚、そしてようやくキャサリン・ハワード、5番目の妃です。
キャサリン・ハワードは、はっきりした成年は不明で1521年とも1525年とも言われています。
公爵家の血を引く名門ハワード家に生まれたものの、両親は早く死に、親戚をたらい回しにされるような生活を送りました。
そのため、キャサリンにとって不幸なことに彼女に愛情をきちんと注いで養育してくれるような人はおらず、きちんとした教育をされず成長していくことになりました
キャサリンは文盲であったと言われています。
キャサリン王妃は手紙を書く時、侍女に代筆させていました。
少女時代、キャサリンは、ノーフォーク公爵未亡人で、父の義理の母に当たるアグネス・ティルニーに引き取られ、アグネスの屋敷に公爵夫人の教育を受ける他の少女達と暮らすように。 。
しかしアグネスの目をかいくぐって、早熟な少女たちは恋人を共同寝室に連れ込むみだれた生活を送っていました
キャサリンも同年代の少女たちの影響を受け、出入りの音楽教師や秘書官のフランシス・デレハムとも関係を持ったといわれています。
少女時代は誰からも気にしてもらえなかったキャサリンですが、成長するにつけだんだんと美しく蠱惑的な女性になりました。
幼少期から少女時代まで必要とされることがなかったため、男性たちから誘惑されると弱く、性的に奔放な女性に育ってしまいました
彼女にまともな監督者がいればこんなことにはならなかったかもしれません。。
そしてキャサリンは遠縁にあたるトマス・カルペパーと運命の恋に落ちてしまいます
トマスは美青年であったと言われ、ヘンリー8世お気に入りの廷臣
そんな頃宮廷でまだ19歳の可愛らしいキャサリンを見たヘンリー8世は一目で気に入りキャサリンを見初められ、物事を深く考えないキャサリンは5番目の王妃となりました
ヘンリー8世はキャサリンを、「私の薔薇」「私の棘のない薔薇」と呼んで大変可愛がり、当初キャサリンは大好きなダンスと綺麗なドレスが着れて幸せでした
しかしヘンリー8世は50歳近くでお腹周りは1メートル以上もあり、足に嫌な匂いのする腫れ物のせいでダンスを一緒に踊ることもまともな夫婦生活も難しい状態。。
キャサリンが満たされない思いを抱えていた時、昔の恋人、トマス・カルペパーと再会。。
男性的魅力にあふれた彼に軽率なキャサリン王妃は体を許してしまいます
やがて2人の噂は王の耳に入り、キャサリン王妃とトマス・カルペパーは逮捕され、カルペパーの部屋の捜索によって王妃からの手紙が発見され、姦通の証拠とされた
2人に肉体関係があったかどうかは不明であるが、王妃がカルペパーを愛していたことと、ジェーン・ブーリンが仲立ちをしていたことは明らかでした。
〝王妃の密通″ それは当時直接死を意味した。
キャサリン王妃は王妃としての装いを全てはぎ取られて、11月13日、ハンプトン・コート宮殿からロンドン塔へと移された。
(トマス・カルペパーも斬首刑に)
護送される時キャサリン王妃は突然走りだし、「まだ死にたくない!」、「怖い!」と泣き叫びながら王の救いを求めてロング・ギャラリーを悲鳴を上げながら走っていったといわれている。
しかしすぐに取り押さえられ、
翌年2月9日キャサリン王妃に死刑判決が出た。
(キャサリン王妃の幽霊が出ると言われているハンプトン・コート宮殿)
死刑執行当日、キャサリン・ハワードが弱々しく断頭台に頭を乗せ、斬首された。
処刑前には見物人に向かって演説をするのが当時の習慣だが、21歳のキャサリンは「王妃としてではなく、トマス・カルペパーの妻として死にたかった」と言ったと伝えられる。
キャサリンが夫ヘンリー8世に直訴しようとしたハンプトン・コート宮殿の廊下は、今も首のない貴婦人の幽霊が出ると言われています。
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