(バーバラは、気だるげな様子に豊かな黒髪、〝ロンドン美人″ と呼ばれていました。)
しかも彼女は思い通りにならないとヒステリーを起こし、廷臣に当り散らし、強欲で、身持ちの悪い気性の激しい女性でした
さらにバーバラはロンドンの全ての宝石商に無制限のつけが効いた。だがそれでも満足できないバーバラは王家の宝物庫を勝手に開けては持ち出すのだった
バーバラの関心ごとは、金と男でした。
金・土地・権利と、チャールズ2世から思いのままに引き出し、王から多大な恩恵を受けていました。
しかも絶えずチャールズ2世に金品を要求し、イングランド政府を困らせていただけでなく、より高位の爵位を得ることを常に要求する始末
それでもバーバラとチャールズ2世との関係は10年以上続きました。
バーバラは栗色の髪に見事なプロポーションを持った女性でその肌はさながら陶器のよう、たまご型に黒いアーモンドのような瞳はキラキラと輝き、彼女の容貌にどことなく影を与え、繊細ささえ感じられます。
しかしそれは皮肉というものだった。
バーバラの厚顔無恥には際限がなかった。バーバラは時に国王チャールズ2世を罵り、怯えさせ、脅迫した。
さらにひっきりなしに金を、称号を土地を要求していた
しかもバーバラは決して王に対して貞節だった、というわけではありませんでした
バーバラは、チャールズ・ハート、モンタギュー公爵ラルフ・モンタギュー、綱渡り芸人のジェイコブ・ホール、マールバラ公爵ジョン・チャーチルと、次々に身分を問わず愛人を作ります
元気ですねぇ
マールバラ公は当時北アフリカのタンジールの守備隊の大尉でしたが、慢性的な金欠状態のため、バーバラの愛人になっていました
チャールズ2世は突然バーバラの部屋を訪ね、マールバラ公が彼女の部屋の窓から慌てて出て行くのを目撃して2人の関係を知った時、彼がバーバラの愛人となっているのは金のためだろう、と言ってマールバラ公を責める事はありませんでした
1672年にバーバラが生んだ同名の娘は、マールバラ公の娘だと言われています。
さらにバーバラは、チャールズ2世の庶子で長男のモンマス公ジェームズ・スコットまで愛人にするという暴挙に
完全にやりたい放題のバーバラ
(聖母マリアに扮するバーバラ。金と欲にまみれきった聖母様なんて)
チャールズ2世から多額の年金を既に与えられていたバーバラは、1677年に駐フランス大使になっていた男性と恋に落ち、今度はパリに移り住んで暮らしました。
ポルトガルからやってきたキャサリン王女にたいし、ジョン・リピアスビー卿は
〝キャサリン王妃には王に当代一の美女バーバラを忘れさせに足るものが何一つ認められない〟 と厳しい評価を下した
チャールズ2世とポルトガル王女キャサリンの婚礼から2ヶ月、バーバラはチャールズ2世の子供を出産した
そしてチャールズ2世は新妻キャサリン王女に自身の愛人であるバーバラを紹介します
キャサリン王女はかわいそうに大きなショックをうけ、鼻血を流して倒れた
チャールズ2世はバーバラを王妃付き女官に任命した。屈辱を受けたキャサリン王妃だったが結局は従うしかなかった
散々辛い思いをしたキャサリン王妃は紅茶をイギリスに広め、紅茶を飲んで憂さ晴らししました
こうしてキャサリン王妃はティータイムの基礎を作りました
当時、大変高価だった紅茶を飲めたのは、キャサリン王妃が大国ポルトガルの王女だったからです
中年となったバーバラは、チャールズ2世の死後は、夫パーマーと離婚し、1705年に10歳年下のロバート・フィールディングというバーバラ好みの美男と結婚
しかし、フィールディングが二重結婚していた事がわかり、2年後にこの結婚は無効に
因果応報かとっくにバーバラの財産は年下のフィールディングにすっかり食い尽くされていました
1709年、バーバラはロンドンで死去しました。