クレオ・ド・メロードは世紀末を代表する絶世の美女でバレエダンサーです。
本名をクレオパトラ=ディアーヌ・ド・メロード
といいます
(本当に美人)
クレオについては、その美貌が幼いころから注目を集めていました。大変な美少女がオペラ座にいるという噂が広まりました。
クレオはさらに美しく成長し、バレエダンサーとしての技量よりも彼女自身の持つ魅力で広く知られるようになりました
1896年、ルドヴィック・バシェという人物が「フランス最高の美女」を選ぶミスコンを企画しました
コンクールの対象となったのは、美貌で評判の高い女優・歌手・ダンサーなど合わせて131名であった。対象者には女優のサラ・ベルナールもいました
気の強いサラ・ベルナールは大層悔しがったそう
7000人の人々がこの投票に参加し、当時のパリで大きな話題を集めました
クレオのバレエダンサーとしての技量は傑出したものではなかった
クレオが歴史に名を残したのは、ひとえにその美貌によるものでした
またクレオはベルギー王レオポルド2世や画家グスタフ・クリムトから愛されました
母親のヴァンサンティア・ド・メロードがオーストリア宮廷に出仕していた頃、宮廷貴族との間になした婚姻外の子とも、その貴族とは離婚して母が女手一つで育てたともいう。
しかしベルギーの貴族「ド・メロード」家のオーストリア分家の血筋というのだが、系図には二人とも名は出てこない。
クレオの額中央で左右に分ける髪型は、当時のパリジェンヌたちの間に瞬く間に広がりました。
(いつも耳を隠しているので奇形ではないか?ともいわれました)
彼女を世界的に有名にしたのは、ナダールなど当時の写真家たちが撮った彼女の肖像がことに絵葉書の形で無数に広まったため。
また、彼女をモデルとして、ロートレックやドガなどの名だたる画家や彫刻家が数々の作品を残しています
当時61歳の王は、この麗しい22歳のバレエダンサーにぞっこん一目惚れ
でもこれだけの美人だもの。気持ちわかります
しかしそのせいでクレオが王の新しい愛妾になったのではないかいうゴシップが流されました。
レオポルド2世やクリムトだけではなく、数々の王侯貴族や有名人がクレオを崇拝し、後援者となった
しかもクレオは極めて身持ちの堅い女性であり、母親に見守られながら崇拝者たちの誘惑をことごとく退け続けてきたという。
各国で皇族からもしばしば上覧を賜るなどして、人気は衰えることがない最強の美女、クレオ・ド・メロード