![おねがい](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/005.png)
(若き日のポーリーヌ
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ポーリーヌは2番目の結婚でローマの名門ボルゲーゼ大公妃となり、兄の力を利用し、パリ社交界などで悪評がたつほど遊び暮らした伝説の美女ポーリーヌ。
ポーリーヌ・ボナパルトは1780年10月20日にコルシカ島で誕生しました。
早熟なポーリーヌはさっそく15歳の時に既に恋愛スキャンダルを起こしています![びっくり](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/031.png)
早熟なポーリーヌはさっそく15歳の時に既に恋愛スキャンダルを起こしています
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兄ナポレオンの部下ジュノー将軍と恋仲になりますが、お金がなかったため破局![えーん](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/018.png)
![えーん](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/018.png)
親子ほど年が離れている、といえる41歳のスタニスラ・フレロンと恋に落ちました。
しかしこの恋は母親の反対によって結婚できませんでした。
その後ポーリーヌは16歳で、金髪の美男子、シャルル・ヴィクトール・エマニュエル・ルクレール将軍と恋に落ち、恋愛結婚しました![ラブ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/067.png)
![ドキドキ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/031.gif)
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![ラブ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/067.png)
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ポーリーヌは多情な性格でしたが愛する人には大変忠実な性格だったようです。
しかしこの出産ではトラブルがあったらしく、ポーリーヌは二度と妊娠できなくなりました![アセアセ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/100.png)
![アセアセ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/100.png)
そのうえ、愛する夫、ハイチで植民地統治をしていたルクレールは30歳の若さで黄熱病にかかってしまいます。
発病から2日後ルクレールは
『もう死を待ち望んでいる。それほどの激痛だ』
と漏らし翌日に死去しました。
さらにポーリーヌが可愛がっていた息子デルミィドも5歳で亡くなってしまいます。
未亡人となったポーリーヌはフランス、パリへと戻ってきました。ポーリーヌはまだ22歳で、パリ社交界で最も美しい女性として知られていました。
ポーリーヌがサロンに登場した瞬間部屋が明るくなり、ポーリーヌはいつも彼女の賛美者たちに囲まれていました。
ポーリーヌには人々を虜にする能力が備わっていました。ポーリーヌがワルツを踊り始めると誰もが踊るのをやめてしまうほどだった。
衣装に大変お金を費やしたポーリーヌ。
ピンクのサテンで裏打ちされたピンクのチュールを纏い、中央にはダイアモンドのブローチをつけ、胴着もサテンでそこにも最高級のダイアモンドが散りばめられており、髪飾りにもダイアモンドがあしらわれていました。
ポーリーヌは、小柄でミルクのような白い肌を大変自慢しており、死ぬまでミルク風呂を欠かさなかったようです
![ニコ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/051.png)
しかし長期旅行の際もミルク風呂を欠かさなかったのでポーリーヌは旅先の民家を何軒も破壊してまでミルク風呂にはいったりしていました![ガーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/020.png)
![ガーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/020.png)
民家をぶっ壊しといてミルク風呂に入ったポーリーヌは、
『ごめんさないね。でもこれは私にとって必要なの。』
とのたまいました。
ポーリーヌはそもそも世間の評判などには気にもとめませんでした。
誰が、なんと言おうと自分が今美しく、これからも美しくあり続けることが重要だったのです。
終生ポーリーヌはポーリーヌであり続けました。
それがどんなに非常識なことであろうと非難されても、兄がフランス皇帝になっても、ポーリーヌは自分の生き方を変えませんでした。
ポーリーヌはイケメンが好きだったようで恋人も美男子揃いでした。
コメディフランセーズ座の名俳優タルマや画家のニコラ・フィリップ・ド・フォルバンとも恋に落ち、彼もまた名門の出で洗練された美男子だったそうです![キョロキョロ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/016.png)
![キョロキョロ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/016.png)
しかしこの恋は母親によって反対され別れさせられてしまいました
逆ギレしたポーリーヌは自分に吠えてきた犬をすべて射殺させたといわれています![ガーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/020.png)
![ぐすん](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/061.png)
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それでもポーリーヌは歌の教師フェリーチェ・ブランシーニ、美男の作曲家ジョバンニ・パチーニと付き合いました![ぼけー](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/060.png)
![ぼけー](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/060.png)
ポーリーヌはイタリア屈指の名門貴族カミッロ・ボルゲーゼ大公と結婚し、大公妃(プリンセス)となり、ボルゲーゼ宮殿に住むことになりました。
カミッロは28歳で非常な財産家であり美男でもありましたが、母国語でもきちんとした文章が書けないほど知的な問題を抱えていました。
2人は離婚せず別居することになりました。
この頃ポーリーヌは、どこへいくにも男性に抱きかかえてもらい移動していました。
お風呂に行く時は巨人のアフリカ人奴隷に抱かれて風呂場へいっていました。
しかし、この誘惑はするようなコケティッシュな行動は、実はひどい下腹部痛(卵巣、卵管に感染症の疑い)性病など子宮系の病気を抱えていました。
おそらく最初の出産のときに感染したとされ、一時手術まで考えたほどポーリーヌを生涯苦しめました。。![ぐすん](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/061.png)
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(帝政スタイルのドレスを着たポーリーヌ
)
![](https://emoji.ameba.jp/img/user/s0/s0111012/6912.gif)
「彼女は18歳の少女なようなドレスをきているが、化粧の下はあきらかに30女だ」
(ポーリーヌの兄でフランス皇帝ナポレオン)
兄ナポレオンは、モラルを大切にしていましたが、ポーリーヌは兄の考えを尊重することなく、二番目の夫ボルゲーゼ大公の感情も考えず、多くの愛人を作りました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20190323/02/kai211168/22/87/j/o0277024114377129574.jpg?caw=800)
1823年には胆汁症のひどい発作を起こしましたが、持ち直し、英国の名門貴族デヴォンジャー公爵と交際を始めるまでになりました。
兄ナポレオンは、モラルを大切にしていましたが、ポーリーヌは兄の考えを尊重することなく、二番目の夫ボルゲーゼ大公の感情も考えず、多くの愛人を作りました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20190323/02/kai211168/22/87/j/o0277024114377129574.jpg?caw=800)
1823年には胆汁症のひどい発作を起こしましたが、持ち直し、英国の名門貴族デヴォンジャー公爵と交際を始めるまでになりました。
と記しています。
ポーリーヌの肝臓も胃も彼女に苦痛をもたらし、8日間も苦しんだあげく、1825年6月9日午後一時44歳の若さで亡くなりました。
しかし1825年の春にはポーリーヌの健康はひどく悪化していました。
生きることへの頑強な執着心をポーリーヌは放棄しつつあった。
『私は悲惨で恐ろしい苦痛のただ中で死んでいきます』
ポーリーヌの肝臓も胃も彼女に苦痛をもたらし、8日間も苦しんだあげく、1825年6月9日午後一時44歳の若さで亡くなりました。
『いつ死んでもいいわ。だっていつも美しかったもの。』
という言葉を残し、〝彼女ほど美しくあるとことの楽しみを味わった女性はいない″と言われています。
ナポレオンの妹/フローラ フレイザー
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