明治・大正期はたくさんの有名な芸妓さんが登場しました
この女性は江良加代祇園の芸妓さん。
1862年生まれのお加代は、父親は道場主で母親は華頂宮に仕えていた女性だったらしく出自も良かったので、お座敷に出ると瞬く間に売れっ子になりました。
彼女は当時めずらしいあさり目の西洋的な美人でなんと12歳?で西園寺公望にどうしても、と請われて西園寺家の妻になります(◎_◎;)
しかし妻といっても西園寺家は代々正妻を娶らないらしく、数ヶ月で家族の反対を受け、江良加代は祇園井筒屋に高価な着物とともに返されます
その後は、木戸孝允や伊藤博文の寵愛までうけるというモテっぷり
伊藤博文の寵愛のおかげで何か行事があると、白い宮女姿に当時としては非常に高価な洋犬を連れて練り歩き、多くの男性から貢がれていたみたいです
伊藤博文は現在の金額にすると1000万近い衣装を江良加代に贈ったという伝説まで残した絶世の美女!
最終的には豪商三井のもとへ嫁いでいきました。
「子供のころにみた祇園の江良加代さんほどの美人は見たことがない」
と、当時の有名歌舞伎役者五代目中村歌右衛門は、ずっと語っていたほどの美しい方でした
〝お加代さんは光り輝くように美しかった、″との証言もしているので、やはり群を抜いて美しかったんでしょうね。
嫁いだ三井家では江良加代の待遇はほとんど正妻扱いで四男二女に恵まれて大正5年、西園寺公望、木戸孝允、伊藤博文という明治維新の立役者たちに愛された絶世の美女、江良加代は病のため亡くなった。
照葉という芸妓さんです。
彼女をモデルにした瀬戸内寂聴さんの『女徳』があります
照葉の人生は波瀾万丈です
奈良県出身の照葉は父親に騙され、わずか12歳のとき大阪南の宗右衛門町からお酌(舞妓さんの意)として売られてきました
照葉という芸妓さんです。
彼女をモデルにした瀬戸内寂聴さんの『女徳』があります
照葉の人生は波瀾万丈です
奈良県出身の照葉は父親に騙され、わずか12歳のとき大阪南の宗右衛門町からお酌(舞妓さんの意)として売られてきました
照葉は座敷にでるとまたたくまに売れっ子になります
照葉を一目見てこれは金になる!照葉が雛妓としてデビューするときは、わざわざ京都から女子衆さんに来てもらい、わざわざ京都風の着付けと化粧(淡い色の着物、だらりの帯)にしてもらい
華々しくデビューさせました。
当時の南地の雛妓は髪は文金高島田に振袖、矢の字結びという御殿女中風のスタイルでしたが、これだとキツく権高になりすぎるため、柔らかい京都風にさせたのでした。
それもこれも照葉の商品価値を上げるため。そして照葉にお金持ちのお客を掴んでもらい、自分たちが金儲けするため。
花街の女にとって避けては通れぬ道が照葉に襲い掛かりました。
雛妓の12歳には時から旦那をとらされていた照葉は、好きでもない男性と枕を交わさなければならないことへの憂さ晴らしするかのように役者と浮気をしまくります。。
〝役者にとって浮気は芸の肥やし。芸者にとっても浮気で色気が出て仕事になるなら、″と役者との軽い火遊び程度は多めにみられていました。
『どうせあたしたちは堅気のご令嬢じゃないんだ。やっぱりこの世界にいる以上、金ズルなしじゃ花も咲かないさ。旦那から金を絞りとって浮気はさらりとやってのけるのさ。どうせ人様のご機嫌とりの商売じゃないか。』
しかしさすがに常連客との人情沙汰で指を切ったことはスキャンダルになり、大阪にいられなくなった照葉は東京、新橋へいきました。
しかし照葉さん、どこにいってもモテモテ
しかし男はきらさないが、何故か男運があまりありません。。
どうやら、お金?(借金など)やいろいろなしがらみ、また一説には髪の毛をきられたとか。
女の命は髪の時代なのにひどい。。
しかし男が切れることがなかったほどモテる照葉でしたがこの男性ともうまくいきませんでした。
しかしこの結婚生活で照葉は、渡米するという当時1910年代としてはかなり珍しい体験をします。
この渡米時に照葉は洋装の着こなし、ダンスなどを習得し帰国することができました。
これだけの経験をしてもまだ20代の美しい照葉は、再び大阪南地から芸妓として勤めようとします。しかし〝美しいだけで芸がない″と言われ南地の人々から拒否されます。
その後紆余曲折あり、39歳で京都・祇王寺の庵主になります。
(照葉の終の住処となった祇王寺は今では隠れた観光名所となっています。紅葉が美しいことで有名)
この祇王寺というのは平清盛に愛された、祇王という白拍子(平安期の芸妓さんみたいなもので歌や踊りを披露する)が最後に住んだ場所でもあります
しかし平清盛は、まだ16歳の仏御前に夢中になり、祇王を粗略に扱います。
この仏御前、飛び込みで清盛に自らを売込みにきて、清盛に門前払いをくらうところを祇王に取りなしてもらったにもかかわらず清盛の寵愛を独占するやいなや、祇王に自分の世話をさせたり、経済的にも追い詰めたり、さんざん屈辱をあわせます
いっときは時の権力者から愛され、その名を日本中に馳せた祇王は誇り高く、祇王はわずか21歳で母や妹と共に尼になる道を選びました
白拍子が庵主だった寺に、スキャンダルに生きた元芸妓が庵主になる、なんてなんだか因縁めいたものを感じます
ご本人は98歳まで長生きされました。