日曜日の本日もお休み、

残っていたビール缶一本を飲み干したらアルコールが一切無くなってしまった、

仕方がない

いなげやに向かいました、


納豆はかならず補給しなくてはなりません


そして、

焼酎を手に入れて家に辿り着き。

焼酎のお湯割りを飲みながら

すき焼き味の焼きうどんを作って食べました。


うどんを食べながら

いつものようにユーチューブで新しいゴジラ映画の

ゴジラ―ONEの色んな評判の動画を見ていたら

知らぬ間に神風特攻隊員のお話の動画に移行していた、

僕のおやじは第二次世界大戦で台湾に渡り

軍曹として、

台湾の高尾という所でカノン砲と言う大砲での砲兵隊の測量の任務を任されていたらしいのです、

小学生の頃は毎日の様に

いつもおやじの戦時中の話を聞かされていました、

そのせいで、小学生の高学年の頃には

第二次世界大戦での日本の激戦地に関する本を小学校の図書室で読み漁っていました、

小さな島国の日本が
物量で勝るアメリカに対抗できるわけもなく

日本軍の軍人さん達は過酷な戦いを強いられていました、

戦争には負けましたが

今、僕らが暮らしている平和な日本があるのは総てその方々のおかげなのです、

感謝を忘れないで下さい。

特に

神風特攻隊や人間魚雷等、

自分が爆弾とともに敵の軍艦等に命をかけて突っ込むと言う信じられない作戦が行われました、

敵の軍艦などを攻撃する為に自分の命を犠牲にするのです、

それも

総てが10代、20代の若い軍人でした、

僕はここまでの文章を書くのに膨大な時間を費やしました、

それは何故かというと

色んなそれら特攻隊員の戦争での記録を思い出し、

号泣してしまい、

嗚咽をしながら文章を書くことが出来ませんでした、

僕はいつも言うように、
日本男児は自分の事で泣いたりしては絶対にいけません、

辛いことがあっても

悲しいことがあっても、たやすく泣くのは日本男児ではありません、

でも、
自分以外の人々の努力や頑張りに対して泣くのは自分では良しとしているのです、

違いますか?

ちなみに

人間魚雷や神風特攻隊操縦の若者達の送信が途切れる最後の言葉は

天皇陛下万歳!

しかし、

沢山の若者たちは

おかあさん!と叫んで散っていったそうなのです、

第二次世界大戦でなくなり

今の平和な日本を築き上げて下さった皆さま

本当にありがとうございます!

深い感謝しかありません、

そして、

この平和になった日本で

毎日、こんなにだらしない生活を送っている私をお許しください。