『今夜アタシのお家に来てくださいな。ご馳走してあげますわ。』
至極ご機嫌の様子で薬師寺涼子が言った言葉が午後の仕事効率を凄ブル下げた。
あぁ……。
オレは貧乏くじを引いた……。
あの真っ赤な唇から紡ぎ出される言葉が怖い……。
薬師寺涼子は確かに美女だとは思う。
100人の人間がいたら100人全員がその容姿を『美しい』と言うだろう。
このオレも彼女の研修の担当を言い渡された時は心の中でガッツポーズをしたくらいだ。
だが……。
それが間違いだったとすぐに気付かされた。
今日の終業時間までになにか事件でも起きてくれ……。
些か不謹慎ではあるが、今はそう願わずにはいられない。
が、オレの願いも虚しく何事もなく今日の業務(お仕事)は終わりを告げた。
「さ、泉田センパイ、行くわよ。」
彼女はそう言うとオレの左耳のを引っ張った。
「イデデ……。や、薬師寺くんっ!離せっ!離してくれっ!!自分の足で歩くからっ!!」
彼女は振り返ると『あ、そっ。』と耳を離した。
外に出ると黒塗りの高級車が停まっていた。
黒いスーツに白い手袋をはめた初老の男性が恭しく頭を下げた。
「涼子お嬢様、泉田様、お待ちしておりました。」
そう言って後部座席のドアを開けた。
薬師寺くんはなにも言わずスッと車に乗り込んだ。
「泉田センパイ、早く乗って!」
そう言われて慌てて乗り込んだ。
運転手付きの黒塗り高級外車なんて初めて乗るのだから何やらお尻がムズムズとくすぐったかった。
薬師寺涼子はその長く美しい景色脚を組み、憮然とした面持ちで腕も組み運転席に乗り込んで来た初老の男性に言った。
「で?食材は全部揃ったんでしょうね?」
「はい、お嬢様。ご自宅の方に揃えてございます。」
「そ。」
「お嬢様、言われた通りいつものシェフは呼んでおりませんが……」
「ええ。いいのよ。だって私が作るんですもの。」
「!!!」
金持ちのお嬢様が『お礼』と言っていたのでオレはてっきり高級レストランか自宅にケータリングを頼んでいるのだとばかり思っていたオレは薬師寺涼子の『私が作る』と言う言葉に慄いた。
しかし……イヤ、待てよ?
相手は良家のお嬢様だ。
料理くらい子供の頃からの習っていて得意なのかもしれないぞ。
微かにそんな淡い期待を抱いていた。
しかしーー。
そんな期待は当然の如く打ち砕かれることを、この時のオレは知る由もなかった……。