この国はもうダメだ。

つくづくそう思う。

戦争、争いは、なぜ起こるか、文化伝統を否定され、財産、権利を奪い盗られ、いきる望みを絶たれ、追い詰められて起こる。

あり得るかな、今、政府は、これを自国民に強いる。

付託を承けた、一票を持ってして、卑しくも公僕の極みに身を置きながら、民の望まぬ事を強いて、自らの欲するところを充たす。

不可解至極。

帝王学と、言われる貞観政要に、書いてある事を少しだけ、水と船の話。

国民は、水とある。

国家は、船とある。

波が、起これば、船は揺れる、波が、更に強く起これば、船は、転覆する。

政、即ち政治を執り行う者は、国民という、水が暴れ無いように、善政をすべきだと、書いてある。

あくまで、自分達政治をするものは、沢山の民に生かしてもらっているということが、遥か昔の唐の國、太宗皇帝の頃に政治哲学として存在したのです。

物凄い権力を持った皇帝が、民の言葉に耳を傾け、自身を戒め、間違いをただして、政治をしていたのです。

民から貪る役人を罰し、金がかるから、離宮も作らない。

民に生かしてもらっているということを、理解し善政を行った帝王が、いたのです。

なのに、今の日本はどうでしょう?

貞観政要が、帝王学として、全てが揃ってある国なのに、それとは、かなり違う事が国民にたいして、行われています。

昔、あるかたのご縁で、旧い総理官邸に行ったことがあります。

赤い絨毯を敷いた、広い階段を登ると、荒波の上を鷹か、鷲が翔んでいる絵がありました。

私は、直ぐに、鷹は死しても、穂は食わずを想いだし、
公職に在る者の、清廉潔白を喚起するものと思いましたら。


世間の荒波ワシが、越えると言うことなので、がっかりしました。
議員の間ではそのように言い習わされているとのこと。

絵空事の笑い話ですめばいいでしょうが、確実にこの国は、国民という水に荒波を起こさせようとしています。

争いは、なぜ起こるか、奪い盗られ、いきる望みを絶たれ、追い詰められて起こる。

争いは、なぜ起こるか、奪い盗られ、いきる望みを絶たれ、追い詰められて起こる。

何処の國でも、起こるべくして、起こります。

何処の國でも、怒るべくして、怒ります。

なぜ起こるか、奪い盗られ、いきる望みを絶たれ、追い詰められて起こる。

帝王学、貞観政要に、水にたとえられた国民の怒りが、国家という、船を、転覆させるとあります。

さて、この先どうなるか、どのようになるか?

要望があれば、貞観政要に書いてある事をまた、書きましょう。

そこから、政治は、どうあるべきか、良い政治をどうすれば、うまれるかを、それを育むためには、どういう心が、必要かを、各々が、感じ、考えて、学校では絶対に教えないであろう事を、子供を含め、家族や、たいせつな人と、話してみてくださいな。

とりあえず、インターネットを監視下に置こうとする、法律に腹がたったので、書きました。

先ず、公僕全てのフアィルやら、データやらを、調べて、悪いことした人をやっつけて欲しいのですけど、なぜか、あの人達だけ特別に護られてます。

まるで、共産主義、社会主義の独裁的特権政治ですなこりゃ!



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