今日は、刀の観賞を、これからします。
でも、刀は、家には、ありません。
太刀と、短刀しかないのです。
太刀は、さんふり在ります。
平安時代の太刀は、安綱と、鎌倉時代の太刀は、延房と、包助の物で、この二人は、後鳥羽院の、番鍛冶といわれた人です。
安綱は、日本刀に、反りがついて、刀工名をなかごにつけた、さいしよの人らしいです。
多分、他にもイルンデシヨウケド。
正宗も、安綱の作風を、べんきようしたらしいと、本に書いてありましたが、正宗に、聞いたわけでもないのに、よくそんな事を書けるなと、おもいめす。
安綱というと、よく国宝の、童子切り安綱がいいと皆がいいますが、私は、あまり好きな、太刀ではありません。
自分で所有する安綱の方が好きです。
雉股のなかごや、小切先の細身の太刀が好きなので、国宝の童子切りの、覇気がある豪壮なのは、苦手です。
さらにいえば、自分で所有していれば、好きな時に、好きなだけ観賞出来ます。
月曜日も観賞出来ます。
平日の午後5時以降も、観賞出来ます。
手にとつて観賞出来ます。
なので、うちの安綱の方が好きです。
延房と、包助も、雉股のなかごです。
刀のなかごは、特に大事で、これを観賞しなくては、いけないくらいの物です。
凄い永い時間がかかって付いた錆びは、触り心地が、時代を代弁するくらいです。
この、なかごが、なにも加工されず、作られた、ままを、ウブと、言います。
そして、そこに、刀工の名前があると、さらによし。
コレクションは、在銘生ぶを、大抵の方が、求めようとしますが、長い、時代の事なので、大変な事です。
ちなみに、うちのは、全部、在銘生ぶで、雉股のなかごです。
短刀は、来國光、鎌倉時代の後期の物です。
刀は、いろんな時代に、求めに応じて作られましたが、私は、鎌倉時代と、平安時代の物しか、興味がありません。
なぜか?
多分、観賞して、オー!と、ならないからでしよう。
見ても飽きが来ない物は、私の感覚的事でゆうと、鎌倉時代、南北朝にかかるくらいで、終わり。
と言うケンカイなのです。
コテツだ、キヨマロだ、といつても見ません。
好みが、違うから。
とにかく、鎌倉、平安の物。
そこに、観賞の魅力を感じます。
以前、あるコレクターの品々を拝見させていただく時に、
あっ、古いのが、好きなんだよね?
じや、江戸時代、室町時代のは、要らないね!と、言われました。
とても有難いお心っかいでした。
刀の観賞の世界は、凄いです。
国宝や、重要文化財を、個人所有物にすることが出来ます。
私は、そうゆうのは、要りません。
そこまでいかなくても、平安鎌倉の太刀は、手に入ります。
そのなかで、良いな、と思う物がきっとあるはずです。
私は、たまたま、古いのが、好きなだけです。
刀が好きな人もブログを読んでるかも知れません。
刀が、新刀だろうが、古刀だろうが、好きで、手に入れた刀は、誰が、なんと言おうが、
自分にとって、一番のお気に入りでいいと思います。
どんな刀でも、手に入れた刀は、大切にいたしましよう。
人からの評価で、自分の刀が嫌になつては、いけません。刀を観賞して、愛好家たる本質に相反します。
うちの安綱や、番鍛冶の太刀は、自分にとっての一番です。
これから、ゆつくり、手にとつて、観賞します。
よつて、夜更かしするのです。
Android携帯からの投稿
でも、刀は、家には、ありません。
太刀と、短刀しかないのです。
太刀は、さんふり在ります。
平安時代の太刀は、安綱と、鎌倉時代の太刀は、延房と、包助の物で、この二人は、後鳥羽院の、番鍛冶といわれた人です。
安綱は、日本刀に、反りがついて、刀工名をなかごにつけた、さいしよの人らしいです。
多分、他にもイルンデシヨウケド。
正宗も、安綱の作風を、べんきようしたらしいと、本に書いてありましたが、正宗に、聞いたわけでもないのに、よくそんな事を書けるなと、おもいめす。
安綱というと、よく国宝の、童子切り安綱がいいと皆がいいますが、私は、あまり好きな、太刀ではありません。
自分で所有する安綱の方が好きです。
雉股のなかごや、小切先の細身の太刀が好きなので、国宝の童子切りの、覇気がある豪壮なのは、苦手です。
さらにいえば、自分で所有していれば、好きな時に、好きなだけ観賞出来ます。
月曜日も観賞出来ます。
平日の午後5時以降も、観賞出来ます。
手にとつて観賞出来ます。
なので、うちの安綱の方が好きです。
延房と、包助も、雉股のなかごです。
刀のなかごは、特に大事で、これを観賞しなくては、いけないくらいの物です。
凄い永い時間がかかって付いた錆びは、触り心地が、時代を代弁するくらいです。
この、なかごが、なにも加工されず、作られた、ままを、ウブと、言います。
そして、そこに、刀工の名前があると、さらによし。
コレクションは、在銘生ぶを、大抵の方が、求めようとしますが、長い、時代の事なので、大変な事です。
ちなみに、うちのは、全部、在銘生ぶで、雉股のなかごです。
短刀は、来國光、鎌倉時代の後期の物です。
刀は、いろんな時代に、求めに応じて作られましたが、私は、鎌倉時代と、平安時代の物しか、興味がありません。
なぜか?
多分、観賞して、オー!と、ならないからでしよう。
見ても飽きが来ない物は、私の感覚的事でゆうと、鎌倉時代、南北朝にかかるくらいで、終わり。
と言うケンカイなのです。
コテツだ、キヨマロだ、といつても見ません。
好みが、違うから。
とにかく、鎌倉、平安の物。
そこに、観賞の魅力を感じます。
以前、あるコレクターの品々を拝見させていただく時に、
あっ、古いのが、好きなんだよね?
じや、江戸時代、室町時代のは、要らないね!と、言われました。
とても有難いお心っかいでした。
刀の観賞の世界は、凄いです。
国宝や、重要文化財を、個人所有物にすることが出来ます。
私は、そうゆうのは、要りません。
そこまでいかなくても、平安鎌倉の太刀は、手に入ります。
そのなかで、良いな、と思う物がきっとあるはずです。
私は、たまたま、古いのが、好きなだけです。
刀が好きな人もブログを読んでるかも知れません。
刀が、新刀だろうが、古刀だろうが、好きで、手に入れた刀は、誰が、なんと言おうが、
自分にとって、一番のお気に入りでいいと思います。
どんな刀でも、手に入れた刀は、大切にいたしましよう。
人からの評価で、自分の刀が嫌になつては、いけません。刀を観賞して、愛好家たる本質に相反します。
うちの安綱や、番鍛冶の太刀は、自分にとっての一番です。
これから、ゆつくり、手にとつて、観賞します。
よつて、夜更かしするのです。
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