麻生副総理が安楽死問題について
「さっさと死ねるように・・・」云々とコメントしたことについて
マスゴミが騒いでいるらしい。
それでふと大阪の叔母のことを思い出した。
叔母はガンを患い、治療の途中で植物状態に陥った。
その状態は半年以上に及んだ。
医師からは回復の見込みはないと言われ
しかし心臓は動いているから、死んだとは言えず。
毎日、延命治療のための費用はかさんでいく。
叔父(叔母の夫)は金策のため
あちこち親戚に相談に行った。
我が実家にも叔父が頭を下げに来た。
保険は適用限度額ゆうに越え、
あとは貯金切り崩すか、
叔父の勤め先に退職金前倒しにしてもらうか
ローンでも組むか
ギリギリの状態にまで追い込まれていた。
父も親戚も頭を抱えていた。
結局どうなったのか
当時学生だった私には何も知らされなかったが。
見舞金と称して幾ばくのお金を叔父に渡していたのは何となく覚えている。
あまり言いたくないが、
地獄の沙汰も金次第というのはこのことかもしれない。
その後、叔母は寒い一月に亡くなった。
叔母のお葬式は地元に帰って
執り行った方がいいだろうという叔父の決断で
遺体と一緒に親戚一同と叔父家族たちは急遽地元に戻った。
その二日後、叔母の葬式の途中、あの阪神淡路大震災が起きた。
大きな突き上げるような揺れだった。
その揺れが数分間続いた。
こちらは震度5で家が縦揺れ・横揺れで
倒壊するのではないかと思うほど激しい揺れだった。
その後、地震の全容知ることになる。
叔父たちが住んでいた大阪でお葬式していたら間違いなく・・・
私たちも被害受けていただろうと思う。
親戚一同声を揃えて
「○○ちゃん(叔母の名)が私らを助けてくれたんだね」と言った。
叔母のお葬式から二日後に大震災。
祖母は不謹慎にも
「大きな地震が来たから○○ちゃん、寂しくないね」と
声を殺して泣いた。
誰も祖母を諌める人はいなかった。
子に先立たれるほど辛いことがあるだろうか。
叔父は放心状態だった。
長年連れ添った妻(叔母)が亡くなったこと
延命治療費のこと
大震災で家の物が殆ど壊れてしまったこと
一気にいろんなことが身の上に起こり
叔父の目は虚ろだった。
ただ叔父の息子二人が葬式のため
地元に戻っていたのは不幸中の幸いだった。
当時叔父の息子は一人は兵庫で勤めており、
もうひとりは大阪市内で一人暮らししていたからだ。
兵庫の方は壊滅的被害受けていたところで
もうひとりの息子の方は大阪でも被害の大きい場所に住んでいたからだ。
何はともあれ命拾いできたけど
手放しで喜べない現実があった。
叔父はどんなに辛かったかと思うとやり切れない。
親戚一同に金策に走り回る叔父を見て
麻生さんの「さっさと死ねるように」の言葉に深く共感する。
叔母が憎いわけでもない。
どちらかというととても可愛がってもらって、感謝し尽くせいないほどだ。
だからこそ早く向こうに逝かせてやりたかった。
叔母が白い蝋人形のようになっていき
どんどん変わり果てた姿になっていく。
もう見込みはなく、ただ心臓だけが動いてるのみ。
叔父たちは苦悩している。
命の重み、多額の医療費のこと
ジレンマで疲弊しきってる叔父家族を見て、
できるものなら、早く延命装置切ってもらいたいと。
叔父を叔母を、早く楽にしてあげたいと。
そう思う私は悪魔なんだろう。
今までいろんな遺体を見てきた。
死後五日以上経った遺体
褥瘡だらけの蝋人形のような遺体
ハリウッドのホラー映画ゆうに越えた遺体もあった。
中にはまだ幼い子どもの遺体もあった。
あちらの関係でそれ以上に酷い状態のも見てきたのもある。
そんな遺体の数々を目にしてきて思うのは
現実は避けられないということだ。
愛や夢やら希望とか
霞のような世界なんて
遺体の前では一切通用しない。
そこに現実があるだけだ。
「生きて死ぬ」という現実が。
人間の避けようもない宿命
生きて死ぬということ。
それを目の当たりにして、
私も人生観が変わったように思える。
般若心経の末尾
ギャーティ ギャーティと続く謎の真言は、
いまを生きる人たちへのエールだという。
いきよ、活きよ、行きよ、逝きよ、いきなさい。
生きて、生き切りなさい!
あなたがたに光あれ!
という内容なのだという。
そういうならば
叔母は最期まで生ききっただろう。
叔父もしっかり叔母を支えただろう。
みんなも頑張り切ったんだろう。
そう思うと、
少し救われた気持ちになるのは、
心のどこかで
私も救われたいと思ってるのだろうか。
追記:
この記事書いて気が付いた。
叔母と祖父の命日が、ついこの間だった。
それをすっかり忘れていた。
どおりで・・・というか
思い当たることが多々あって
申し訳ない気持ちになった。
そして一月末日には義母の命日もある。
やれやれ、
謝罪行脚の旅、しないといけないようだな。