知人の息子さん(中学生)が

最近とみに「死ね!」と連呼するようになった。



母親(知人)がメインターゲットで、

父親と歳の離れた弟妹には言わないらしい。



母親に事あるごとに死ね!と連呼する。

物に八つ当たりする。

言うだけ言って、部屋に引きこもる。



学校でも死ね!と日常的に言うらしい。

先生たちには反抗気味

授業態度もよろしくない。

成績は低下傾向

担任いわく「この成績では進学できる高校はありません」と言われる始末。



肝心の旦那さんはというと

息子さんに「死ね!」と言われたこと一度もなく

たまに母親に言ってるのをこぼれ聴く程度なので

ほとんど怒らないそうだ。

「思春期なんてそんなもの」とご主人。

妻(母親)がどんなに訴えても

聞き流しているらしい。



この温度差が憎たらしいと知人。

どんなに訴えたところで

旦那は取り合ってくれないし

息子の暴言、

勝手気ままな行動は日々エスカレートしていく。



最近では成績が悪くなり

生活態度も酷いので

ゲーム、インターネットの類みんな禁止したのだが

母親が仕事で不在の時を見計らって

勝手に付けて遊んでるらしい。

弟妹たちのゲーム借りて遊んでることもある。



知人は頭抱え込んでいる。

息子の暴言、生活態度

旦那の無関心。

手を打つべきことは山積だ。

ありすぎて、頭が痛いほどだ。



なのに肝心の旦那は頼りにならない。

心に膿のようなものがたくさんたまってて吐き出したい。

そのせいか、彼女は不眠症になり、食欲不振となり激痩せしてしまった。




少し疑問があって

息子さんはほんとうに

母親に死んで欲しいから「死ね!」と言ってるのだろうか?と思った。



息子さんは何に怒り、何を訴えたいのか?

死ね!の言葉に集約された「何か」、

それをお母さんは探し出さなければいけないのかもしれない。



言葉というものは

ときに言葉そのものよりも

その言葉の裏側を識ることが大事な時がある。



死ね!

本当に死んでしまえ!か?



俺の本当の気持ち

知らないくせに

分からないくせに

知ったかぶりで

偉そうなこと言うんじゃねえよ!

ババア死ね!



・・・の死ね、じゃないのか?




死ね!という言葉

たしかに不愉快な言葉だけども

その言葉だけに捉われてはいけないかもしれない。



いまこの時こそ

お子さんの心に寄り添ってあげなくてはいけないのかもしれない。

(部外者の私が偉そうに言うのも何だが・・・)



そしてそれはお母さんにしかできないことかもしれない。



なぜならば

酷い言葉を向ける先はお母さんだけだからだ。



子どもは無意識に知ってるものだ。

誰が自分を大切に、愛してくれてるのかを。

自分に応えてくれるのは、誰かということも。

投げつける暴言こそ、甘えてる証拠なのだから。



ご主人のことはさておき

今は息子さんの気持ちに寄り添うべく

暴言に惑わされないで

お子さんのハードルに限りなく自分を合わせて

話をしっかり聴いてあげることがいいかもしれない。






などと他人のことなら何となく知ったかぶりできるが

自分の子となるともう・・・

そういう時は私も誰かのお世話になるのだ。

子育てって、こんなもんよねと

時には嘆き、励まされ、勇気付けられ、喝を入れられ。

お互い様の精神で。





まぁ

子育ては果てしないよ、という話でした。