境界性パーソナリティ障害(きょうかいせいパーソナリティしょうがい、Borderline Personality Disorder, BPD)は、境界型パーソナリティ障害とも呼ばれ、青年期 または成人初期から多く生じる、不安定な自己 - 他者のイメージ、感情・思考の制御不全、衝動的な自己破壊行為などを特徴とする障害である。自殺率が非常に高く、通院患者の10%にも及ぶというデータもある[1] 。DSM-IV-TR 日本語版2003年8月新訂版より、邦訳が境界性人格障害から境界性パーソナリティ障害と変更され、また日本精神神経学会も2008年5月に境界性パーソナリティ障害に用語改定をした。一般では英名からボーダーラインと呼称される事もある。
旧来の疾患概念である境界例 と混同されやすく、一般的に境界例と呼称される場合、境界性パーソナリティ障害を指すことが多い。
概要
症状の機軸となるものは、不安定な思考や感情、行動およびそれに伴うコミュニケーションの障害である。
具体的には、衝動的行動、二極思考、対人関係の障害、慢性的な空虚感、自己同一性 障害、薬物やアルコール依存 、自傷行為 や自殺企図などの自己破壊行動が挙げられる。また怒り、空しさや寂しさ、見捨てられ感や自己否定感など、感情がめまぐるしく変化し、なおかつ混在する感情の調節が困難であり、不安や葛藤を自身の内で処理することを苦手とする[9] 。
衝動的行為としては、性的放縦、ギャンブル や買い物での多額の浪費、より顕著な行為としてはアルコール や薬物の乱用 がある。さらに自己破壊的な性質を帯びたものとして、過食嘔吐や不食などの摂食障害 がある。自己破壊的行為で最も重いものは自殺 であるが、そのほかにもリストカット などの自傷行為、自殺企図(薬物の過量服薬 等)により実際に死に至ることもある。
同一性に混乱のある境界性パーソナリティ障害の患者は、常時不安を抱えて生きている。神経症 の患者の不安感は、症状に関わることだけに限局しているが、限局化する能力の乏しい境界性パーソナリティ障害の場合、いついかなる時も不安感にさらされることになる。この常につきまとう不安感は、他人からみたら一見とるに足らない理由でパニックを惹起することとなる[13] 。
患者にとって自己破壊的行為は、不安や混乱、葛藤などの不快な感情の迅速な解消手段となりうる。環境や自分の内で生じたストレスを、行動によって軽減させることを「コーピング(coping)」という[14] 。散歩をする、友達と食事に行くなどのような健全なコーピングは問題にならないが、不適切なコーピングが恒常的に現れた場合、患者はそれ自体に苦しむことになる。
また自己破壊的行為のほとんどは抑うつ状態で起こっていることが種々の調査で明らかになっている。パーソナリティ の問題が改善するとうつ状態が良くなることがある一方、うつ病 の治療をすることで衝動的行動が改善することもあるなど、互いに密接にかかわっている[15] 。うつ状態はほとんどの患者にみられ、マスターソンやベルジュレ[注 7] など、抑うつを境界性パーソナリティの中心構造とみる研究者もいる。この「抑うつ感」は主に空虚感と無力感が中心である[16] 。
なお同じ境界性パーソナリティ障害でも、患者によって非常に違って見える。概ね抑うつ、衝動性、精神病症状のどれかが目立つとしている。また気分障害 、他のパーソナリティ障害 、器質性障害、非定型性精神病 などの併存疾患もそれぞれの差となって現れる[17] 。(詳細は類型 を参照)
精神病症状
境界性パーソナリティ障害の症状として、一過性の精神病症状がある。この精神病症状は強いストレス 下においてより顕著になり、解離 [注 8] や非現実感、離人感[注 9] 、パラノイア [注 10] などが出現したり、現実検討力が著しく低下する事態を生むこともある。
DSM-IV の境界性パーソナリティ障害の診断基準の中に「一過性の妄想様観念や解離症状」というものがある。日本でも治療の経過中に解離症状が出現した患者は全体の26%あったという報告があり、患者にしばしば解離症状が出現することが認められている[18] 。また自傷の行為中に解離を伴うことがある[19] 。
これらの精神病症状は全ての患者にあるわけではなく、統合失調症 の症状のようなはっきりとした幻覚や妄想が起こることは少ない。主にストレスに関連しているとされ短期間で消失する[6] 。
対人様式
境界性パーソナリティ障害の患者は、根底に他者と親密な関係を持つことへの葛藤(コア・コンプレックス)を抱えており[10]
、そのために特有の対人様式が顕現しやすいとされる。その特有の対人様式は、対人関係を構築していく上で時に障害となることがある。
対人障害は主に二種類ある。他者を巻き込み混乱を呼ぶケース、対人恐怖・過敏性が強く、深い交流を避け回避的になるケースである[28] 。
境界性パーソナリティ障害では幼少時から分離不安のある者が多く、依存できる関係を求める傾向にある。しかし相手の悪い部分を認識することで混乱を起こしてしまう患者は、相手を過度に理想化する傾向にあるが、傷つきやすい自己愛を持ち[29] 他者の感情には敏感であるため、なにかの拍子に失望することが多い。その際に自分が混乱しないように、自身の中にある相手の評価を下げることで防衛する。このような心理メカニズムは正常な人でも日常で用いているものであるが、そのあり方が極端になると社会的機能の低下につながり、『障害』となる。
患者にとって依存は自覚がなく無意識的なものであるが、自身の混乱や葛藤により追い払ったり引き戻したりすることで、対人関係が激しく短期的なものになりやすい。周囲の人間はこれらの行動を 『操作的(manipulative)』[注 11] と否定的に受け取ることもある[30] 。
依存や混乱の著しい患者は他者を巻き込みやすく、人との摩擦が生まれやすい。しかし境界性パーソナリティ障害の対人様式にまつわる特有のパーソナリティ構造は、内的表層などのパーソナリティの深い部分にあるとされており、特有の対人様式が顕現するのは、ある程度関係が深まり、その人物が患者の深い層にある感情や願望に触れた場合である。よって表面上は顕著な対人障害もなく社会機能が維持できている患者も多く、一見すると対人障害があるとは見受けられない場合がある[31] 。一方、対人恐怖・過敏性が強いケースでは、摩擦こそ生まれないが、他者との交流を避けることで社会的機能が低下する。
対人障害は、うつ病など他の精神疾患でもよくみられるものである[32] 。しかし境界性パーソナリティ障害のこのような対人様式のあり方は、分裂や投影同一視などの「防衛機制」の不適切な用いられ方と関与している。
防衛機制との関連
防衛機制 とは、心の安定を図るために不快な体験を弱めたり避けたりしようとする心理機能であり、人が誰しも持つものである。不安が強くなるとこの防衛機制は強く働く[33] 。防衛機制自体は心の均衡を保つ為に必要な健全な機能であるが、この防衛機制によって不適応を起こしている場合は、本人の人生が阻害される。
精神分析では、これらの防衛機制が境界性パーソナリティ障害の様々な症状を生み出すと考えている。中でも重要であり中心にある防衛機制は「分裂(splitting)」である。分裂は原始的防衛機制の中心的な存在であるが、同一の対象に肯定的、否定的な感情を同時に認識できないという分裂思考は、対人関係の障害だけでなく、自分に対しても自己同一性障害 という形となって現れ、自己像の不安定さや、慢性的な虚無感、社会的機能の低下の原因となる。
カーンバーグは、パーソナリティ障害 (全般)の人のよく用いる防衛機制として、分裂、投影、投影同一視、否認、原始的理想化、万能感、脱価値化を挙げている。これらの防衛機制の極端な表れは、人生で起こりうる様々な問題に対する適応力の発達を妨げ、漠然とした不安感や抑うつ、衝動統制の困難さ、あるいは一過性の精神病症状をも招く[34] 。
DSMによる診断基準
DSM-IV-TR の診断基準では、以下9項目のうち5つ以上を満たすこととなっている。『DSM-IV-TR 精神疾患の分類と診断の手引』(著者:American Psychiatric Association、翻訳:高橋三郎、大野裕、染矢俊幸、出版社:医学書院、ISBN 4260118862 ) より引用。多軸評判定のうち、パーソナリティ障害として第 II 軸に記載される[注 12] 。
対人関係、自己像、感情の不安定および著しい衝動性の広範な様式で成人期早期に始まり、さまざまな状況で明らかになる。
- 現実に、または想像の中で見捨てられることを避けようとする気も狂わんばかりの努力(注:5.の自殺行為または自傷行為は含めないこと )
- 理想化と脱価値化との両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる不安定で激しい対人関係様式
- 同一性障害:著明で持続的な不安定な自己像や自己観
- 自己を傷つける可能性のある衝動性で、少なくとも2つの領域にわたるもの(例:浪費、性行為、物質濫用、無謀な運転、むちゃ食い)
- 自殺の行為、そぶり、脅し、または自傷行為のくり返し
- 顕著な気分反応性による感情不安定性(例:通常は2 - 3時間持続し、2 - 3日以上持続することはまれな強い気分変調、いらいら、または不安)
- 慢性的な空虚感
- 不適切で激しい怒り、または怒りの制御の困難(例:しばしばかんしゃくを起こす、いつも怒っている、取っ組み合いのけんかをくり返す)
- 一過性のストレス関連性の妄想様観念、または重篤な解離性症状