最近、自分を振りかえようとすると
なぜか三歳の頃を思い出す。
三歳の時に受けた手術のことをよく思い出すようになってきた。
実は私、けっこう記憶力良いらしい。
とくに一歳前後、祖母にオンブされて、祖母の背中から眺めていた風景だとか。
一歳の誕生日のころや、細かな日常風景を記憶しているのだ。
そして三歳の頃、千葉で手術を受けに行く朝のことも覚えていた。
家族みんなの服装。
両親と母方の祖父母と一緒に大きな病院に行ったこと。
当日の食事風景。
検査だけだと言われながらも、ずっとその病院で生活していたこと。
辛くて怖い検査の日々は毎日ストレスの元だったこと。
とくに嫌なのが注射と検温、そしてドクターの回診。
ドクターだけじゃなく、研修医まで毎度ぞろぞろ来て、わたしの体を見て触る。(当時とても珍しい病気だった)
それが毎日毎日ストレスの元だったらしい。
「早く、部屋から出て行け!」
「わたしの体に馴れ馴れしく触るな!話しかけるな!」と、いつも怒っていたような気がする。
それは言葉に出すことはなかったが。
後年、これらがトラウマになり。
他人が必要以上に、自分のフィールドに侵入してくるのが許せない性格になってくる。
それから手術室に入った瞬間のこと。
麻酔をかけられたことも。
手術室から出ていく瞬間も。
集中治療室に入る瞬間まで記憶している、ということに気がついた。
今でもリアルに思い出せるのは術後の抜糸。
昔は手術で処置した糸は抜いた。
この痛みが今でもリアルに思い出せる。
医師や看護婦たちから抑え込まれ、痛みにもがき苦しみ、絶叫する自分。
この記憶は幼い頃から何度も何度でも呼び起こされた。
わたしは今でも不安に陥る時、この記憶が脳裏を過ぎる。
痛みと絶望と、どうしようもない不信感。
周期的に訪れる、その不快感は私を何度も苦しめた。
生きることさえ億劫になるほど苦しめられる。
記憶はもう過去の出来事なのに。
記憶の中の私は、あの手術台に横たわる無力な三歳児なのだ。
もうひとつ痛みに捉われる自分の根底には、
病気という現実を受け入れられない自分もいる。
病気さえなければ、
みんなと同じように生活できたのに。
この醜い術痕さえなければ、
こんなに劣等感に苦しめられることもなかったのに。
思いはずっと空を回り続け、わたしを苦しめる。
そして三十の時、再び同じシチュエーションが私を襲うのだ。
この記憶を何度も癒そうと思い、
いろんな分野を覗き、ありとあらゆる手法を試みてきたけど。
この歳になって、いい加減どうでもよくなってきた。
なぜならば痛みを手放さなくてもいいと、気がついたからだ。
痛みとともに生きていけばいいのだと、思うようになったのだ。
人は何らかの痛みを持って生きている。
痛みがあるから生きていられるかもしれないし、
痛みがあるからこそ存在意義もあるのだ、という結論に辿り着いたのだ。
これが「赦し」ということか、わからない。
もしかしたら「諦め」という境地かもしれない。
自分の身の上に起こった出来事。
避けようがなかった過去の傷の数々。
努力だけでは手に入らぬ世界が存在するということに。
諦め、運命を受け容れるようになったのかもしれない。
この傷と共に生きていこうと誓った瞬間、なにかが楽になった。
もしかしたらようやく自由を手に入れたかもしれない。
辛い経験の何もかもをゼロにしなくともいいし、
痛みをホワイトに塗り変えることだけが傷を癒すことではないのだ。
そんなことを考えさせられた経験。