いろんなことが一気にのしかかってきた、この数年。
家を支えるのは自分一人だということで、かなり神経質になっていた。
わたしの特性?として、神経質な時ほど五感が冴える。
嗅覚はふだんから鋭いのに、さらに鋭くなり。
色彩感覚も鋭くなり、人が色に見えたり、球体に見えたり。視覚があやふやになる。
聴覚は研ぎ澄まされ、どんな音でも聞きつける。それは睡眠中でも続く。
大脳は,昼夜問わず、いろんな情報を拾い上げる。
常時目に見えないものを見、聞こえないもの、あるはずのない物の匂いを嗅ぎ、感じる。
脳は完全に飽和状態、
どんどんドツボにハマっていく。
すべて悪循環になってきた。
上にいる奴等に話しかけても、何をしてくれるわけでもない。
相変わらず助ける気毛頭ないようで、完全孤立状態。(毎度のこと)
頭を抱える日が続く。
ある日にっちもさっちもない状況に追い込まれた。
胃が痛くなり、頭もマヒし、体が思うように動かない。
泣く気力もない。
そのとき、ふっと良い匂いを感じた。
なんともいえない、芳しい匂い。
絵も知れぬ、芳しい香りに身を任せる。
恍惚ということはこのことかもしれない。
しばらくその香りに浸った。
しばらくして、重い荷から解き放たれたように元気になった。
実はこの芳しい匂いは実体が無い。
(実体の無いものの訪問者なんて日常茶飯事だが・・・)
部屋に香りの元など一切ないのだ。
そして気がついた。
匂いには匂いだな。
色には色だ。
音には音だ。
匂いには匂いという、当たり前のことに気がついた。
それから嗅覚鋭い自分はアロマの勉強し始めた。
ついでに香木と薬草の知識も取り入れる。
薬草・オイルの抽出方法、転用の仕方にヒントを得、古代人の知恵・人の癒し方・清め方を倣う。
色彩に敏感な自分は、気分の波がある時、色鮮やかな本を眺めるようにした。
単純に色彩が豊かで綺麗な本を見る。
ガーデニング雑誌でもいいし、色見本のカードでもいい。
私的には和色が落ち着いた。
古来から伝わる日本独特の淡い色彩に心が癒された。
音にうるさい自分は、心地よい音を探し求めた。
それは案外すぐそばにあった。
我が家の庭に、いつも遊びに来る可愛らしい訪問者・・・小鳥だ。
この訪問者はいつも同じ時間帯に我が家へ遊びに来る。
小鳥のさえずりは15分ほど。
朝・夕の、この訪問者のさえずりにどれだけ癒されたことだろう。
ほかに入浴の工夫、香木を焚く、鉱石との付き合い方、音、煙、言の葉、数術、一定周波数の音色を聞く~などなど。挙げたらキリがない。
ありとあらゆることを試したお陰か?ここのところだいぶラクになってきた。
面白いことに、匂いには匂い~という「目には目を」方式で、五感が鈍くなってきたようだ。
相変わらずストレス満載の日々だが、昔のような悲壮感はなくなったように感じる。
まだまだ勉強中の身で先は見えないが、昔のような閉塞感は感じられなくなった。
やさしく見守り、つねに励ましてくださった人、知恵を貸してくださった方々に感謝したい。
実は今でも鈍感な人間になりたいと思っている。
でもそんなことは無理そうだ。
鋭すぎる自分に手を焼き、だいぶまわり道もしてきた。
人と違う感性の自分を憎んだことが多かったし、鈍感な人が羨ましく、妬んだこともあった。
まわり道ばかりで焦ることも多かった。
しかし一連のトラブル見て感じるのは、「今」は確実に未来へ繋がっているという事実だ。
他人から自分から見て、コレは無駄だと、無益なこと・徒労に終わると感じられても、
この無駄・まわり道こそが活路になってくることがある。(その場合が多い)
人生なんてわからないものだ。
なら狭い固定観念で決めつけないで、もう少し大らかに生きていこうかと思うようになった。
それはこのトラブルで得た勉強の成果かもしれない。