前回の続き。
能登で起きた大地震。
羽田で起きた飛行機事故。
SNSでいち早く、心配だった方々の安否(ご無事だった)を知ることができ感動。
また、
SNSで交わされる人々の会話で、
報道されないエピソードや知識を得ることができて興味深かった。
SNSってめちゃめちゃすごい‼️
と、思った話の続き。
…
感動したとこで終われば良かったんですがねぇ
雲行きが明確に変わったのは、
1月4日のお昼を過ぎた頃からでした。
その頃は、
飛行機事故に関して、
盛んにSNSで討論が交わされていました。
そのうち、
討論が批判に変わり、
批判に対して批判して。
スマホの画面が、
どこか淀んだ空気に…。
それまでの、
1月1日から続く一連の流れの中でも、
誰彼への批判やらフェイクやらはありました。
けれどそれらは、
避ければ避けられる程度の投稿だったように思います。
それが、
1月4日の夕方には、
モヤモヤした内容の投稿の方が目立ち始め、
能登の情報を載せてくれている投稿を探すのに、
とても苦労するようになっていきました。
1月5日の山本議員が能登入りしてからはもぅ…。
大変。
モヤモヤ〜
モヤモヤ〜
あんなに溢れていたあったかい言葉は?
「心配だ!何かせねば、自分に何ができる?考えよう!」
の、あったかい言葉たちはどこいった。
どこにいってしまったんだー。
と、途方に暮れました。
そんなSNSってものがまた、
わたしには衝撃的で、
興味深いものとなったのでした。
「目的」が変化していったのでしょうか。
最初に多かった人々の「目的」は、
「何が起きたのか知りたい」でした。
そして、
「知ったからにはなんとか協力したい」
「何か行動を起こすためには情報が欲しい」
と、いったものでした。
情報がある程度発信され、
今度は、新しい情報があまり入らない状態になりました。
その途端、
起きている事の検証(?)が始まり、
結果、「粗探し」のような投稿が増えていったように感じます。
まずは、
「情報」をマルマル鵜呑みにしないこと。でしょうか。
それはニュースでも新聞でも同じです。
「情報」は書く人の注目する視点が必ずありますから、
見る視点によって同じ出来事でも違う部分が出てきます。
そういうものだ、という前提で、
知識として得ること。
そして、
書いた人の視点で、その出来事を見てみる。
想像力が鍛えられそうです。
妄想力ともいえます。
それから、
コミュニケーションは、
相手への敬意が基本。
一人として全く同じ考えの人間はいません。
私は結婚して13年経ちますが、
夫と以心伝心かと問われればNO!です(笑)
だからこそ、
聞くこと。
交わすこと。
慮ること。
今回のSNS体験での、
わたしの覚書として、
学んだこととして、
長々と書いてみました。
世の中にあたたかい言葉が溢れますように。
能登で起きた地震で苦しんでいる方々に、
どうかどうか、
1日も早く優しい時間が訪れますように。
心から祈ります。