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かいぞうのブログ

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高山神社 [久米郡美咲町高城889]

旧久米郡吉岡山之上(高城)字天王八八九番地に鎮座。
元奥宮と称し、後に中古高山宮と名を改めた。

 

 

祭神は 須佐之男命

是里の宗形神社の摂社で、創建年代は不詳であるが、元明天皇在位時の和銅六年(713) 、備前と美作の分国の際、本宮である宗形神社は備前国是里村の氏神であることから、高山神社を美作国山之上村の氏神となされた。

人皇十代崇神天皇の御世に、須佐之男命の御子「宗像三女神」を是里の宗形神社に祀り、須佐之男命がヲロチ退治の後に休息されたとされる地 山之上高山神社に「須佐之男命」を祀ったとされる。
毎年八月十六日を“神迎えの祭り”といって神幸式が行われていて、
これを(親子の)「御対面祭」と呼んでいる。

応永年中(1394~1427)山之上白尾山の城 主赤松義則の一族が氏神とした。
享禄年中(1527~1531) 是里の城主藤原光義が敗戦退城の後、永禄五年(1562) に光義の子光晴が当社の宮守となり、後に本社の脇に小祠を立て、氏祖神「天児屋根命・天石戸別命」を祀った。これを天戸社と呼んでいる。

 

                     高山神社 (鳥居・拝殿・由緒札・天戸社)

 

 

血洗瀧神社 [赤磐市是里889]

 

創建年代は不詳ではあるが、吉井川の支流滝山川の深部に、高さ11mの二段の滝があり、滝から落ちる水は清冷で枯れた事がないといわれ、古くから神霊の宿るものとして 禊ぎや遥拝が行われてきたという。

                      
この滝は“血洗いの瀧”と呼ばれていて、古来より、須佐之男命が出雲でヤマタノヲロチを退治した後、倒した剣「布都之魂(ふつみたま)」に付いた血と御身を、この滝の清らかな水で禊ぎ給わったという伝説がある。

 


血洗瀧神社は、この滝を御神体とする祠である。

https://www.youtube.com/watch?v=LdigwAZ7wpc

 

須佐之男命が断蛇の後、山から出た場所を「山口」と呼び、休息された岩を「腰掛岩」、十握剣(とつかのつるぎ)“布都之魂”を解かれた場所を「柄の久保」、血の落ちた場所をヒノキ[ヒ は、血の古語]と呼び、その地が山之上で、この付近は本社 宗形神社の社域内であった。

 


ところで、出雲でヤマタノオロチを退治した後、十握剣“布都之魂”に付いた血を、この滝で洗ったと伝わるわけだが、同じ赤磐市吉井地区内には、その“布都之魂”を御神体としていた石上布都魂神社(いそのかみふつみたまじんじゃ)がある。

 

 

現在、この“布都之魂”を御神体とする神社が、奈良県天理市布留町にある石上神宮(いそのかみじんぐう)で、『古事記』・『日本書紀』に既に、石上神宮・石上振神宮との記述がある歴史の古い神社[式内社(名神大社)]である。古代の軍事氏族である物部氏が代々祭祀し、ヤマト政権の武器庫としての役割も果たしてきたと考えられている。

https://www.youtube.com/watch?v=4WedxW73vV0

 

その石上神宮に残る社伝に、須佐之男命が八岐大蛇を斬ったときの十握剣が、石上布都魂神社から当社へ遷されたと伝えている。また、この剣は石上布都魂神社では明治以前には布都御魂剣と伝えていたとしている。

 

 

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《雑感》

 

             

 

吉井川に掛けられた「周匝橋」を渡る時、欄干の端に、何やらチラッっと人物像を象ったモニュメントらしきものが目に入り、気になって車を近くに停めて見に戻った。

 

 

最初、左側のを見て『ん? もしかして仁徳天皇?』って思ったら、右側のを見ると酒壺と数匹の蛇!  あ、須佐之男命とヤマタノヲロチか!

この地の人達は、町をあげて伝説を誇りにしてらっしゃるんだなぁ~と嬉しく思いました。(*^^*)