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かいぞうのブログ

音楽の話とか、
歴史の話とか、
○●の話とか、
きまぐれに書いていこうかと

第一弾、吉備巡礼シリーズを終えるにあたり、

気楽に思ったことを書いてみます。(^^)

 

 

今回の吉備巡礼でも度々ご登場いただいた須佐之男命。
日本神話の登場人物の中でも、そのキャラの強烈さは他の登場人物(ってか神々)のそれを遥かに凌駕する。 高天原を追放されるまでは、わがままなマザコンの乱暴者なのに、葦原中国の出雲の国へ舞い降りてからの彼の活躍は、まるで別人のように強くて優しいヒーローそのもの。いったいどっちがホントなのか?という疑問は、まぁそれぞれに意見はあるけれど、それはそれとして、告白します!

わしは須佐之男命が大好きです。www

 

そこで、今回の吉備での須佐之男伝承と出雲での伝承で代表される地を地図で表してみました。

 

      [小さくて見難い場合はクリック拡大で見てください]

 

鬼神神社は、須佐之男が高天原から降り立ったとされる場所。
布須神社は、ヲロチを酔わす「八塩折の酒」を造った場所。
八本杉は、退治したヲロチの頭を地に埋めた場所。
伊賀武神社は、ヲロチから命を救った稲田姫とご結婚された場所。
血洗瀧神社は、ヲロチ退治をして血糊の付いた刀を洗った場所。
石上布都魂神社は、その刀(布都魂)を御神体として祀った場所。
そして、熊山遺跡(※)は、一説に須佐之男を埋葬したとされる場所。

 

出雲[鳥取]と吉備[岡山]とは国境[県境]を接してるので、思ったほど離れてはいないんですね。こうして見ると、出雲と吉備とは須佐之男を介して密接に繋がっているような気がしますね。

 

 

熊山遺跡 [岡山県赤磐市奥吉原]
岡山県南部の最高峰「熊山」一帯の山塊には、33ヵ所に及ぶ石積遺構が所在し、その中でも最大の石積遺構1ヵ所を国指定史跡「熊山遺跡」と呼ぶ。ピラミッドを思わせる、特殊な三段方形の石積遺構で、昭和31年9月27日に国史跡に指定された。仏教遺跡なのではないかとされているが確証は得られていない謎の遺構である。

 

https://www.youtube.com/watch?v=jJ_iRKoAXYo&t=448s

 

 

これは参考までにですが、

この遺構について出口王仁三郎は次のように記しています。

『岡山県和気郡熊山の山頂にある戒壇(註 熊山遺跡のこと)は、神素盞嗚大神様の御陵である。古昔(こせき)出雲の国と称せられたる地点は、近江の琵琶湖以西の総称であって、素盞嗚大神様のうしはぎ給うた土地である。湖の以東は天照大神様の御領分であつた。この故に誓約はその中央にある天の真奈井すなわち琵琶湖で行われたのである。出雲の国というのは、いづくもの国の意にて、決して現今の島根県に限られたわけではないのである。素盞嗚大神様は八頭八尾の大蛇を御退治なされて後、櫛稲田姫と寿賀の宮に住まれた。尊百年の後出雲の国のうち、最上清浄の地を選び、御尊骸を納め奉った。これ備前国和気の熊山である。大蛇を断られた十握の剣も同所に納まっているのである。かの日本書紀にある「素盞嗚尊の蛇を断りたまえる剣は今吉備の神部の許(ところ)にあり、云々」とあるが熊山のことである。この戒壇と称うる石壇は、考古学者も何とも鑑定がつかぬと言うているそうであるが、そのはずである。
  ちなみに熊山の麓なる伊部町は伊部焼の産地であるが、大蛇退治に使用されたる酒甕はすなわちこの地で焼かれたものである。伊部は忌部の義であり、また斎部の意である。』
                   [『月鏡』「素尊御陵」 あいぜん出版]

 

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