私はエミュ
ようこそ☆2009/06/25 今日からはじめます。人の喜びを、自分の喜びのように思える事って、大切だと思いませんか?このブログは応援歌のつもりで載せています。疲れた気持ちを改善してもらえるようなそんな歌を意識してupしましたがいかがでしょう。気分が落ち込んだとき、疲れたとき、そんな時に見て頂けたらとおもいます。少しでも共感して楽しんでいただければ満足です。自己満足ですがお付き合い願えましたら嬉しく思います。  ---どうぞよろしく。
尚、ここに載せてる歌全てに、包摂的な意味はまったくありません。
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季節

$私はエミュ




はるか遠き時代より誰に教わるでもなく
鳥の声は空に響き季節の目出たさを伝えて、
鳴声を聞き花の周りで囀る声を聞き分けてきた。

鳥の声の囀りは今では探さないと
聞く事もできないけれど、聴く人見る人
その声に飽きる事もなしに時を過ごして
しまうものだと思う。

枝の間を飛び交う鳥達を見ては
その愛らしい姿に見入ってしまうことも
事実だと思うし、そういう鳥を介した環境は、
殺伐とした疲弊して行く心を元に戻せる。
郊外に出るとそういった光景が探せば見られる。

高原や森林浴を楽しんだり、
澄んだ空気に時には浸ってみることも、
身も心も浄化されて明日に向う気持ちに
養われて変わってくるものだと思う。
春ごとの桜の花を見て、特別に
思うこともあるはずだと思う。

平凡な日常に季節を感じ取れるなら、
薫る花の咲くのを見て
特別な喜びを毎年おなじにしている。

おなじ花を楽しみにする気持ち。
毎年同じ花でも、咲く時を楽しみに感じ
明日咲くだろう莟を心の中に描いて
しまうのも、人の心にささやかな在り方を
教えている気がするのです。

ーemu by hiiragi樹ー



春爛漫

幽斎

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私はエミュ


いつも見慣れた景色も今日は何故か別景に見るだろう。
古人は山に生き海に生き、里に生きてその恵みを糧として、
食を得てあるいは情緒を得て心の赴きと共に生活をおくって
来たはずだと思う。

今いるこの時間でさえも、その時と同じにして我々が感じる
そのまったく同じ情緒を、変わらない同じ景色を観ては同じ
思いを抱いているのだと思う。

人の持つ内なる構造は何も変わらない。時代は変わっても、
どんなに文明が進化しても経済が発展しても、たとえこれから
さらにインフラが進むとしてもそこに住まう人間は、風景と共に
変わらず生きている。

内なるものの根底はどんなに時間が経過しようとも人としての
根源的な物事の感じ方はなにもかわらない。いつもと変わらない
風景の中に、いつもと変わらない生活を保っていこうとひたむき
な姿勢を作ろうとする。

それを感じられる者は幸せである。人に優しく豊かにして憂う
得難い人間性がそこにはある。そういった情緒が命を大切に思う
心を育てて、殺伐とした進んで行くだろう文明の枯れた社会に
失いそうになる人の心の何かを教えていることに気付くはずだ。

人の心のふるさとは、自分の心の根底に眠っている。そここそが
自分の還るべき場所であり、わかったような言語の世界を封じる。
どんなものに価値があって、どんなものに大切さを感じるかで
その者自身の価値は決まる。価値は決まるだろう。

ーhiiragi樹ー


人を傷つけて平気だとか、自分さえ良ければの考え憂うことを知らず
無感性の世界に居るものは、限界の実態を超えることができない。
思考されたことの表現に対して、有限の両側を思考する為には、

この言葉を理解することも、思考不可能を思考するを労することも
努めて意識することは無い。言語による限界は言語によってのみ
引かれて、限界の向こう側の可変的なものには一切を否定することしか
できなくなるだろう。井戸に住む鯰が天を仰いで世界を空目するように
自分で出す電気で自分が感電していることにも気付かないだろう。

ー太宰権師ー

私はエミュ

私はエミュ-houou





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