人の

そらに”ラ音#轟く鶴の胸ひとつ、(吟:かふう)
春風の吹く四月の初めは 全てにおいてういういしく
目に入って来る。新年度、年を改めて 来る季節の
思いは清く、これからはじまる出来事にみんなが
こころ嬉しくできるものだ。
季節は春と聴いただけで、装いも春らしく
少しぐらいの涼しい風さえ 春の名のもとに
凛とした気持ちにさせるのも、この季節ならではの
ものである。
頬にあたる春風は うれしく感じ 新しきこれからを思えば
あたたかな安心にほくそ笑んでしまうだろう気持ちは
みんなが同じに思うことだろう。
野に咲く花は 見る人のこころにも咲き
その花の盛りは 人のこころの中で満開になって行く。
それが、春らしさであり、春の生命力と言われるものだと思う。
今日の温かさは、上着を着ていたら汗ばんでしまうくらいの
陽気に、ワイシャツになる姿があちこちで目についた。
それもまた、春らしさで ワイシャツで袖捲りする姿は
温かな春に日に照らされてついしてしまうのだと思う。
さほどでもないやる気が、人目に映る姿はいかにも
やる気を主張している姿に映っている。
内心はどうなのかわからないけれど、すくなくとも
春の温度に誘われた、人のやる気の態になって見えている。
本意でも本意でなくても、周りに映るその姿は
それもまた、人のこころにやる気として伝染する
ものだとおもう。
映る光景すべてにおいて、春に影響された活気ある景色も
この季節独特のものであると思う。
何事においても、前向きな春のイメージは、
後退することなく 人のこころの奥底に
生きる意味の生命力として備わっていくものだとおもう。
電車の窓から見える春の菜の花畑の風景のように、
無音で通過して行く目に映る景色が、
人の心の中にも花を咲かせて、春を意識させている
そのことが、とても大切に思えないだろうか。
その時々の描写さえ季節の大切なものにみえてくる。
極々有り触れていると思える事でも、
そのことが今を支えていることに気が付くはずだ。
ーかふうー




