こんにちは
UMIで心の勉強修行中の、かほ です。
昨日のブログで、
不登校の子どもに対して大人ができることって、
「不登校は問題行動じゃない。そのままのあなたでいい」
と伝えることだと思う、と書きました。
そこがスタート地点だと思うんだけど。
だけど・・・
これが難しかった~ 私には
当初は、「得体の知れない不安」としか表現できなかった気持ち。
その中身を見つめることさえ、恐ろしくてできませんでした。
もしも、タイムマシンで当時に戻って、
未来の猫型ロボットのひみつ道具とかで、心の中をそのまま取り出せたとしたら、
こんなセリフになると思う。
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ちょっと待ってよ。
不登校なんて、ムリ!
みんなと同じか、むしろそれ以上に居なきゃダメなのに。
私の存在価値がなくなる!
ここに居られなくなる!!
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冷静に読むと、突っ込みどころ満載なのですが、
全てとっぱらった本音は、こんな感じだったと思います。
やばいよ、やばいよ~!
まず大前提で、
「自分はダメな存在。がんばって平均以上を目指す」
という世界にいました。
そして、自分と娘の境界線がなく、
娘がダメ=私もダメ になるので、
娘が不登校になることは、自分自身の存在を脅かされるような、
そんな恐怖になっていたんです。
私は、両親に愛されて育ったし、
「平均以上にならないと、家を追い出すぞ」
と言われたこともありません。
だけど、幼い自分は、ちょっとしたきっかけで、
「自分はダメな子」と思い込んだ。
そう思い込むことが、当時の自分ができる最善の策だったんですね。
この思い込みが、私の捉え癖となって、いわゆる認知のゆがみを作り出します。
認知のゆがみって、つまり、私の頭の中で、
娘の不登校=自分の存在価値がなくなる
と捉えているっていうこと。
冷静に考えたら、娘が不登校になっても、私が死ぬわけじゃない。
なんだけど、認知のゆがみが起きているので、
無意識にそう捉えて、それが「得体の知れない不安」となっていた、のだと思います。
心のしくみって、面白いよね!
ちょっと小難しい話になっちゃいましたが
そんなわけで、私にとっては、「不登校は問題じゃない」と受け入れるのには、
この捉え癖を変えるところまでさかのぼったので、時間も労力も使いました。
でも、私にもできたんだから、きっと誰にでもできるって信じられる
不登校は、そんなお母さんたちの心の中にある苦しさを癒す
きっかけに過ぎないんだ、って思っています。
今日も、最後までお読みいただき、ありがとうございました
捉え癖は、「ブロック」とも表現されます。よろしければ、こちらも