わが子を見るとき、同時に自分を見ては混乱してしまいます。


お母さんなんか嫌い


と言われたとき、嫌いと言われて傷つくあなたと、

今、本当ならば大好きなお母さんに、「嫌い」と言っている「傷ついた子供」がいます。


わが子を見る、ということは、もちろん子供の気持ちを感じるということなので、嫌われて傷ついたあなた自身を脇においておかなくてはなりません。


これが問題です。

これが難しい親御さんが多いのです。


子供が受験をしました。

落ちてしまいました。


どうして多くの親御さんが半狂乱になるのでしょうか。

実際、多くの親がそういった姿を見せます。

答えを言うのは簡単です。

子供が受験に失敗して、悲しい、悔しい、プライドが傷ついた、「親」がいるからです。

制御できる人は、子供を責めません。

制御できない人は、子供を責めるケースも多くあります。「だから、もっと勉強しなさいって言ったでしょう」

別の事例では、子供のために言い訳をしてまわるお母さんがいます。「あの子は当日、体調が悪かったの」


あるお母さんたちがそんなことをしている間、他の多くのお母さんたちが、受からなかった子供の気持ちを心配しています。

どんなに悲しいだろう。どんなに傷ついているだろう。

かける言葉も、タイミングもその子によって違います。じっと子供の顔色を見て、少し話しかけ、遠慮して、言葉をかける内容もタイミングも、推し測っています。間違った言葉をかけて、子供に怒られることもあるでしょうし、「お母さんのせいだ」ぐらいに、未熟な子供から八つ当たりされることもあるでしょう。でも、そのうちに子供が元気になり、次のステップに進むことができるために、じっと我慢したり、時には喧嘩したり、悩んで、いろんなやり方で、見守っています。


どちらも、受験に失敗した事例なのは事実です。

その結果、どちらの子供が強く成長するのか、強く生きていくのか、


正直、わかりません。


子供には、生まれつきの気質というものもあります。親が自分の受験の失敗に半狂乱になっているのを横目に、さっさと次に進む子供もたくさんいます。


ただ、前者は、子供の受験をテーマに親が自分の感情の中にいる姿。

後者は、子供の感情を気にかけ、子供によりそっている姿。

そのわかりやすい (のではないかな? という) 事例として記載しました。


子供がうまくいったとき、喜んでもいいのですが、その時のステップが大切です。

1. 子供がテストで100点をとった。

2. 子供がとってもよろこんでいる。

3. だから、親も喜ぶ。


1. 子供がテストで100点をとった。

2. 子供が喜んでいない。

3. どうしたんだろう、と気持ちや背景に関心をもつ。


実は、全員が100点をとったテストかもしれません。実は、100点をとったせいで、クライメイトにねたまれ、何か言われてしまったかもしれません。


ここでは、子供を見る、知る、感じる、ということをテーマに書いているので、「子供を導く」ことについては書いていません。100点がよいことなのか、足りているのか、足りていないのか、という指導方針や合格点は、別の課題です。


また、親の感情のことを否定的に書いていると誤解されるかもしれませんが、

親の感情は、それはそれで、もう一つの大切なものです。別のステップで扱われるべきものです。


親が、先に自分の感情にとらわれてしまうと、子供の感情が見えなくなってしまい勝ちです。なので、多くの場合で、まずは脇においておかないと、子供が見られないのです。


子供を見て、感じて、知ってください。

それが、基本の一粒です。


いつも子供を感じる。

子供の視線を通して自分を見る。

時々、自分自身の感情も整理してみる。


こんな感じです。

子供を通して自分を見ると、その結果、親の気持ちの中にいろんなものが生まれるでしょう。自分の姿を見たくない思いに駆られるときもあるでしょう。感情的に子供を叱ってしまった後など。。。。


それが親の成長にもつながります。

子育てが、そんな日々の繰り返しであれば、その意味は親にとっても小さいはずがないと、私は思います。