今回予告
{
学校は言語のうち『読み』と『書き』までしか理解できてなかったんだよ。
そして…
}
前回は学校の算数が理解できないと、見たいなことを言って見たけど。
「うん。」
じつは国語のほうが重要。そして重大。
「まあテストは全部日本語の文字で書かれるわけだからな。で、重大ってなんだ。」
国語ってねぇ…「生徒に言葉を教える」ことより「生徒を日本語の文字に帰依させる」ことを目的としてるんじゃないかって。
「なんでまた。」
とにかく学校の国語って日本語の文字、つまりひらがなとカタカナと漢字を書かせて読ませることに命を懸けてるんじゃないかって。
だから下手な文字を書くことは許さないし
文字の書き順に執拗にこだわるし
送り仮名も文字単位で間違えてはいけないし
挙句の果てに
親からもらった自分の名前を漢字で書くことを
学校がまだ漢字を教えてないから
ひらがなで書かなくてはいけないとか。
※小学校2~4年で経験すると思います
「名前を漢字で書いてはいけないとか割と人権侵害レベルなんだよなー。」
だからこの須貝さんの名前の書かせ方よ
義務教育が法の外なんだから仕方ない。
「無茶言うな。」
正直義務教育のレベルとか上がってきてる。理科とか社会とか。
でも国語が自分が神だとか法だとか思ってるから国語だけは未だに変わってない。
そして
読み書きがそろばんに越権行為を平気で行ってる。
「…なんでよ。」
読み書きそろばんと言う言葉のそろばんを『そろばんの珠を弾くまで』のことだと思ってるからじゃないかと。
だからはじき出した数値を数字で書く時点で国語が『算数よ、それは読み書きである』と蹂躙し始めたんだと思う。
で、ひらがな、カタカナ、漢字以外に
アラビア数字で書かれたものを
日本語で読ませたい
という思考が生み出したのが超算数というものなんじゃないかって。
※超算数:算数の数値よりも式の書きかた、文字列の順番の一挙手一投足にこだわった小学校の算数
「…まあある意味日本の文字じゃないからなぁ。冗談抜きで地球全土70億人以上がわかる文字だし。」
とはいえ数値処理が理解できてないのは致命的だと思うんだ。だからTwitterなどでは超算数否定運動が起こっている。
足し算、掛け算は順序を変えても数値が変わらないと言いつづけてる。
「引き算、割り算ならまだしもなぁ。」
これだと国語が数字を欲しがってるだけのように見えるけど、国語はおそらくアルファベットも欲しがってるのよ。
一時期小学校に英語とかプログラミングとか採用しようとする動きあったろ?
あれ多分国語自身がアルファベットを欲しがったからよ。
文字を書くときにアルファベットのローマ字でタイピングされたら
国語の『書き』で支配できないじゃない。
「支配とかまた。」
でもねぇ…文字を支配したけど「言葉を支配できてない」って思ってる節があるのよ。
学校は言語のうち『読み』と『書き』までしか理解できてなかったんだよ。
そして
『音』が言語に含まれることを
理解できてなかったんだよ。
なんでかって?義務教育で音楽って国語に越権行為されてない。
そのうえ音楽を「音を利用した芸術」としか認識していない。
しかも五線譜や音符は記号だから国語の文字ではなく記号認識。
これがねぇ…国語からしたらこれが言語において致命傷だったのよ。
「なんで。」
日本人の根幹言語を
テレビに全部持っていかれた。
「…ほう?」
だってよく考えてみ?日本人に最も通じる共通言語って
ニュースで聞いた犯罪の言葉だぞ?その音に準じた言葉がネットで流行るんだぞ?
視覚と聴覚の両方から言語を教えてるのがテレビだぞ?
※おなじ東京電波塔由来でもラジオは音だけ、新聞は文字だけ
「まあそうだけど。」
それにテレビは日本国民自らが崇めた神だから
「ちょっと待て、神って何だ。」
これ個人的な考えなんだけど
国民の三大義務も東京電波塔も自分を神格化してると思ってる節があるのよ。
※それに言及した過去ブログはコチラ
「…だからなんで神なんだ。」
国民の三大義務(納税、教育、労働)に関しては
「それを行わなければ社会的に殺す」
という祟り神的な神なんだろうけど
テレビに関しては祖国復興の礎として日本人に崇められ
街頭テレビの視聴率95%時代に「私は神だ」と認識したところあるもん。
「書き方で言うと戦争特需の究極体か?」
だと思うよ。それにテレビも神になりたくて神になれたんだから。
じゃなきゃ自分を神器なんて言わない。
(家電三種の神器、新家電三種の神器こと3C、デジタル家電三種の神器の全てで
テレビは神器になっている)
挙句にテレビはかわら版=ニュースが本分ともなれば
テレビが日本人の共通言語になることもかんがえられるでしょ。
考えてみ?
・読みと書きに絶対服従を誓わせるものの言葉
・自ら崇拝したものの発する文字と音
どっちを覚えると思う?
「…まあ、後者だな。」
そういうこと。で、話題がずれたけど
結局重要なのは
文字は文章の構成要素であること
への認識が必要なのよ。
だから意思疎通にも相手に文章で話しかけることが重要でしょ?
「…海外旅行する日本人はわりとそう思わないぞ?」
まあ水が欲しいときに
Could I have a glass of tap water, please?
と言える日本人は少ないわな。大体完璧な発音で
WATER
と一単語を言うのが多いだろ。
結局単語一つぐらいしか言えないのも教育で日本語に技能レベルを使わなかったからよ。
4音が言語理解上限、2音が意味理解上限とか意味が通じると思えない。
「そして生まれるやばたにえん。」
永谷園さんはホントニかわいそう。
まあ話を戻すとだ。文字のひとつひとつに命をかけるよりも
文字で書かれた文章を読むことが重要だってことで。
そしてその文章で書かれた言葉に
どういう意味や意志があるのかを知るほうが重要なんだってことよ。
「よかった綺麗にまとまって。」