目次
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前書き
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読者の「椅子」に座る
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いい文章を書くのに“文才”はいらない
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結局行動したもん勝ち
1.前書き
そもそも文章はうまくなる必要があるのだろうか?
これはひとりひとりが自分に問いかけてみると良いだろう。
この本は単純に「文章がうまくなるための本」ではない。
「話せるのに書けない!」という悩みを持つ人が「話し言葉」と「書き言葉」の違いを理解してその距離を縮めることを目的としている。
少なくとも僕は誰しもが文章をうまく書く必要があるとは思わない。
でも僕には自分のやりたいことのために文章で伝える必要性があると感じている。
大学生なら就活でESを書くときや、大学の期末試験で自分の考えを論理的に書くときなどには、「文章を書く力」があるということの憧れを抱く人も中にはいるかもしれない。
今でこそブログを毎日書いたり、大学のレポートで論述したりと、ある程度まとまった文章を書くことに抵抗を感じなくなってきたが、高校までの科目の中で国語が一番苦手だった。
別に文章を書くことが苦手だったとは言わないが、筆者の考えていることを読み解く力は非常に弱かった。
「何を伝えたいのかわからない」ことが多々あった。
(なんだか恥ずかしい)
学校内で文章を書く機会はそんなに多くはなかったが、学校で書く作文はみんな同じような形式で、教わることといえば、
・起承転結で書く
・冒頭で惹きこむ
・基本的なきまり
くらいだった気がする。
それでも母校は優秀だったので作文で全国的にも表彰されるようなものを書く人もいたし、それはセンスがあるからだと思っていた。
いずれにせよ、自分は読んでくれる人が「わかりやすいし面白い」と思ってもらえるようになりたいと思い、本を探していた。
そんな中この本に出会えたのはあるYouTubeの動画での紹介と、たまたまこの本を持っていた同居人のおかげである。
非常に細かなポイントが盛り込まれた1冊だったので、「話すこと」と「書くこと」の違いを理解して文章力に生かしたい人はぜひ手にとって読んでみてほしい。
2.読者の「椅子」に座る
本書では、レストランやカフェでぐらついた椅子があった時の話を例に挙げている。
さてそのカフェの店長は新作を出した時にそれをお客さんの座る「椅子」に実際に座ってみて試飲しているのか。
ぐらついた椅子に気づかないということは実際に座ってみて、ということはしてないだろう。つまりは、お客さんが飲む感覚までイメージしていないということだろうと。
「読者の立場に立つ」ことと「読者の椅子に座ること」は少し異なるということになるほど、となった。
「過去の自分」や「特定の“あの人”」に向けて書くということも方法として書かれていたので僕はそれを取り入れてメッセージを伝えるように意識していきたい。
少なくともこの文章が誰にもみられていないということはない。
もしこれを非公開にしていてもみる人は必ずいる。
それは“自分自身”である。
その点でブログを「自分のためにも書いている」というのは“真”なのかもしれない。
3.いい文章を書くのに“文才”はいらない
このブログで本書の内容を全て伝えるわけにもいかないし、このテーマを取り上げるべきかどうかは答えを出せないが、本書で述べられている「読者の心を動かし、行動までも動かすような文章」というのは僕の理想でもある。
文章を書くのに才能はない。
「才能がない」と言い訳をする人は逃げることを考えてしまうものである。
僕も言い訳をして逃げるなんてことを経験している。
でもそれだと何事も成長しないということも知っている。
「文章で人を動かす」という理想を実現するためには自分の伝えたい思いと読者の求めているものをすり合わせて“思い”を言葉に翻訳する力なのだということを学んだ。
4.結局は行動したもん勝ち
何かと毎回のように“行動する”ことの大切さを書いている気がするが、まだ結果を出していないからこその行動でもあり、それはみなさんに最も伝えたいことである。
本は読むだけで終わるものではなく、アウトプットして行動してこそ意味がある。(実用書に関してはだが)
その一つの実戦例として僕は行動をし続ける。
1週間前の自分と比べて変化していないと感じるならば今すぐに行動した方が良いと思う。
別に変わらなくてもいいよ。という人はそれでも良いと思う。
何度でもいうが、変わりたいなら行動するのみ。
昨日の自分と矛盾していてもいい。それが前に進むための行動なら誰にも止める権利はない。
そう考えながら行動する。
少し横道に逸れてしまったが、つまりは何度も書いてわかるものがあるということである。
ぜひこの本の全部を読んでみてほしい。
それではまた!