すべての事は意味があり中立


あなた自身が何を望んで何を望まないのか。
ただ、その事とあなたが望まないことを否定することとは意味が違う。
なぜならどちらも存在して良い選択だから。
つまりあなたが望まないことも

中立の立場から見れる。

何かをネガティブにジャッジすると言う事は

『自分の中にある』何かをネガティブに

ジャッジしている証拠。

もし、すべては中立だと理解し
すべての選択は同等だと理解していたら
周りからのジャッジに対して

いわゆる刺激を受けません。


なぜなら単にあなたはそれを受け取らないから。それがあなたの好みではないだけで

影響は受けないのです。

他の人に対して憎しみを表している人

まずはその『憎しみ』が

その本人自身に対するものと認識する。
本人はそれを『拒絶』している。


拒絶している人は

自分が拒絶していることも拒絶します。


つまりその人たちは

『価値がない』『愛されない』

そう信じ込むように

育てられたのかもしれません。

つまり『自分を裁く自分』

を感じているかもしれない。

しかしその事を直視することが怖く、

もしかしたら『自分には価値がない』

のが真実かもしれないから、

彼らはそれを直視するのを避けるために

何でもする。
つまり、自分の中にいる『価値がない』自分を投影できるような手ごろな『身代わり』を自分以外に見つけなければならないのです。

他人を憎む人は

その人自身を憎んでいると言う

『苦しみ』の中にいるのだと

理解することができれば、

その人たちに同情することができ、

その人たちが自分自身を理解して

癒してあげる道を見つけられるように、

助けてあげることができるのです。
もう彼らが自分のことをネガティブに

『ジャッジ』せずに済むように。
その結果、彼らが他人のことを『ジャッジ』せずに済むように。

他人はあなたに単に『その人の意見』を伝えているだけです。
他人の意見や指摘にネガティブに反応する時と言うのは相手の意見や指摘が真実だとあなたが信じている証拠でもありますから、それは自分の中にある『思い込みを見つけるチャンス』です。
あなたがあなた自身を

『ネガティブに批判していた』

のではないかと言うことを。

心を開いて想像力を広げて…
人生で起きることにはすべて意味があると
理解する姿勢を持つ事


そのポジティブな姿勢を保って

周りの出来事に臨んだなら、

その出来事が望まないことでも

自分が望む方向に活かすことができる。

望まない出来事を自分が望まない方向に活かせば望まない結果を得ることになる。