1980年に入り、『Rock』側から見ると『AOR』ファンお馴染みの顔ぶれが登場します。

今回はこの時間から、前回の続きを話したいと思います。


まず、1980年に登場するのは二人の名プロデューサーによるユニットです。

その後の『AOR』の『Rock』のお手本となるこの一枚限りのアルバムは、

当時流行りだしたシンセサイザー音を巧みに混ぜた、名盤中の名盤と呼ばれています。

メンバーはDavid FosterJay Graydon。そしてそのバンド名はAirplayです。



Sunny-Side-Up!-airplay_airplay_1980

Airplay

「Airplay」(1980)

AOR / Light Rock


David Fosterに関しては前回の項で紹介してますので割愛しますが、

Jay Graydon80年代の数多くのアーティストをプロデュースしてきた人です。

グラミー賞もクリエイターとして2回受賞

80年代のアメリカ音楽業界を語る上でははずせない方ですね。

そして、このアルバムは後の『Rock』側の『AOR』を語る上で外せない物となります。

今では、『AOR』ファンのマストアイテム的存在になっていますね。


そして、このアルバムにもスタジオミュージシャンとして参加しているバンドが、

この二年後に大きなキャリアアップをする事になります。



そのバンドは言わずとも知れた、アメリカを代表するバンドであり、

多くのミュージシャンの憧れの存在ともなった人達。

多くのメンバーチェンジを重ねてもクオリティを下げる事も無い、

スタジオミュージシャン達によるテクニカルバンドTOTOです。



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TOTO

「TOTO Ⅳ」(1982)

AOR / Progressive Rock


このアルバムとシングル曲「Rosanna」は三種類のグラミー賞を受賞します。

又、『Rock』のみならず『Fusion』や『Progressive Rock』を取り入れた

上級者向けの高度な完成度に仕上がったアルバムです。

それでも、「Afria」等の美しいメロディーは聴き逃す事が出来ませんね。


そして、Airplayの二人がプロデューサーとしてアメリカ音楽業界を支えたのなら、

TOTOのメンバーはスタジオミュージシャンとして音楽業界を支えて行きました

特に80年代では、様々な人、曲、ジャンルでメンバーの名前を見る事が出来ますね。


チャートのトップ10を見れば、どこかに必ずメンバーの名前がある程、

それ程までのトップミュージシャンでした。



そして、この二組のバンドの音を総称して『TOTO/Airplay』と日本では呼びます。

ただ、実際にそう呼ぶのは、少々の違和感があります。


まずTOTOサウンドと呼ばれる物はメンバーが多くの『AOR』アルバムに参加していて

その為、AOR』の代表的サウンドとして見られている物です。

ただ、『AOR』も共通ジャンルでは無いので、TOTOのメンバーもプレイする曲によって毎回演奏スタイルは変えていた事を忘れてはいけません。

それはもちろん『AOR』以外のジャンルも同様にです。


もちろん、プレイヤーには作るリズムパターンギターリフインプロビゼーションにはクセがあり、その部分だけを見れば誰が弾いてるかぐらいは解るかもしれません。が、そもそも最終的な音を完成させるのはプロデューサーに権限があり、スタジオミュージシャンにその役割は与えられません

役割分担をしっかりとらえるアメリカでは、それは絶対なのです。


TOTO/Airplay』という言い方をいつ、何処から呼ばれたのかはわかりませんが、

細かい所だけを見た、非常に穿った見方とも言えます。


まぁ、それはTOTOの大活躍による物でもありますが。

それに、それを言うならDavid Fosterサウンドとかの方が理解できますが。

プロデューサーとしてのDavid Fosterの音には、共通性が見られましたから。



そして、この後、本来はここで『Rock』側『AOR』も終了となります。

Airplayはこのアルバムのみで終了し、二人はプロデューサー活動に専念。

TOTOもこの後も『Hard Rock』や『Progressive Rock』など色々な音楽を取り入れ、

80年代後半には、やはり『Adult Contemporary』路線を突き進んでいました。


様は、『AOR』の『Rock』を代表する二組のサウンドは、上のアルバムのみ、なのです。



ただ、この後も『AOR』と呼ばれている人達は登場します。

それは、『AOR』に深い繋がりをもっていた人達の活躍や、

AOR』アーティストによる裏方活動による物でした。


例えば、これまでに登場したDavid Foster,Bobby Caldwell,TOTO,Jay Graydon

他にもBill Champlin達の活動がアメリカ音楽業界を盛り上げて行きました。



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Bill Champlin

「Runaway」(1981)

AOR / Light Rock


又、80年代中期から後期にかけて、Airplayを思わすシンセサイザーを駆使した『Rock』音楽ががヒットする事になります。

それは、元Jefferson Airplaneで、元Jefferson StarshipであるStarship

そして、一発屋ですが、素晴しい程の曲の作りこみを見せるBoy Meets Girlです。



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Starship

「Keep Deep in the Hoopla」(1985)

AOR / Light Rock


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Boy Meets Girl

「Reel Life」(1988)

AOR / Adult Contemporary


Rock』側『AOR』の最期を飾るに相応しい二組です。


Starshipは、元々『Psychedelic』、『Hard Rock』と活動していたバンドなのですが、

Jefferson Starshipの後期から、シンセサイザーを駆使した『Rock』を展開

それは、当時の流行りそのもので、「産業ロック」とも揶揄されましたが、

誰もが知る名曲を送り出した、素晴しいバンドです。


Sara」、「We Built This City」、「Nothings Gonna Stop Us Now~愛は止まらない~」と日本でも馴染み深い名曲です。


Boy Meets Girlは、80年代中期には、夫婦二人で作曲の共作をしており、

Black Contemporary』や『Dance Pop』をお得意として作曲していました。

特にWhitney Houston提供した2曲でビルボードトップを記録しています。


このアルバムも『AOR』ファンならお馴染みの、捨て曲無しの名盤です。




そして、これを持って、『AOR』をまとめたいと思います。


AOR』の凋落の理由は前にもお話した様に、『AOR』の名前が必要無くなったからです。


それは

80年代初期の『AOR』の凋落  『AOR』を音楽ジャンルとしての認識が始まる。

Adult Contemporary』と『AOR』の統合  アルバム自体でのセールスの普遍化。

上で紹介したBoy Meets GirlStarshipも、ジャンルは『Adult Contemporary』や

Pop』に属されますからね。


AOR』の本来の意味は「アルバム単体での音の統一感ある作りこみ」が基本です。

それをはずれた自体で、『AOR』が無くなるのは確定路線だったのかもしれません。


ただ、「アルバム単体での音の統一感ある作りこみ」が無くなったわけではありません。

たとえば、ラジオやBGMを活動の場としているジャンルにはやはりその傾向があります。

特に『Smooth Jazz』や『Adult Contemporary』で多いですね。



ただ、『AOR』のミュージシャンはアメリカ音楽の歴史を語る上で外せない物となっています。

それは、スタジオミュージシャン、作曲家、プロデューサーなどと言った

裏方の方々による確かなクオリティの楽曲だったからです。


グラミー賞という言葉を沢山出しましたが、凄さを解りやすく伝える為でした。



西海岸を彩った、華麗なるスタジオミュージシャンの遊び、『AOR


そのシンプルながらもグルーブ感溢れるテクニカルな楽曲の数々。

ぜひ、聴いていただきたいです。

AOR』の紹介も最後となりますが、今回からは『Rock』の方向からお伝えします。



そもそも『AOR』は『Rock』のカテゴリーのジャンルですが、

イメージ的には、あまり思い浮かばない人も多いと思います。

それも、実は正解で、今まで紹介した『AOR』のジャンルは、

Rock』の棘々しさを極力排除しているからです。


BGM音楽として盛んに使われたジャンルなので、それも正しいとは思います。



そもそもこの時代はまだ『Pop』という概念がまだ無い時代です。

Pop』というのは、この時代は「ポピュラー音楽」を指していて、

すなわち、娯楽音楽全体を指しているのです。

ですので、区分け出来ないジャンルの中に『Rock』の名前がよく登場しました。


話を戻しますと、上の理由で『Rock』の要素がとても少ない『AOR』ですが、

AOR』を『Rock』の方向から見ると、とても大事な物が見えてきます。

AOR』のみならず、アメリカ音楽界を代表する存在が、とても多いからです。


今回からは、そこを踏まえつつ、お話をしていきます。



前回の項までに何度もお話していますが、1986年に『AOR』の誕生

それは『Rock』側から見ても例外は無いですし、これがきっかけとなりTOTOというスーパーバンドが登場する事にもなります。

ですが、他と少し違うのは70年代前半から『AOR』そのものが生まれているのです。


デビューした時から、アルバム毎にコンセプトを持ち音を作りこみ

その結果、出したアルバムほぼ全てでプラチナムディスク以上の評価を得て、

さらにセールス的にも大きな結果を得ていたバンド。


アメリカ音楽界において決して忘れてはいけないバンドSteely Danです。



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Steely Dan

「Can't Buy a Thrill」(1972)

Soft Rock / Light Rock


Steely Danの凄さは、何と言ってもアルバムの完成度の高さでしょう。

聴けば一発でわかると思いますが、とても70年代の作品とは思えません。

それは何と言ってもDonald Fagenによるエゴイスティックなまでの音の拘りからです。


病的とも言えるその拘りは一節一音の細部にまで拘りを見せ、

自分の求める音の為に多くのミュージシャンに同様の演奏をさせ

それは一つのフレーズのみだけに腕利きミュージシャンを呼ぶほどでした。


音楽の特徴も、『Jazz , Blues , R&B , Doo Wap , Rock'nRoll』など、

ありとあらゆる音楽を取り入れ、毎回、新鮮な曲を提供してくれました。

正直、ジャンルをつける事もできない程に、です。


そして、その結果、1977年に最高傑作のアルバムが誕生しました。

永遠に残すべき名盤Aja ~彩-エイジア-~」です。



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Steely Dan

「Aja ~彩-エイジア-~」(1977)

AOR / Adult Contemporary


クレジットを見ていただければ、どれだけ凄いか解る筈ですね。

参加ミュージシャンは、私が知る限り、グラミー受賞者は5,6人

もちろん、このアルバムもグラミー最優秀アルバムを受賞しています。


AOR』の何が幸運かっていうと、『AOR』の誕生翌年にこのアルバムが出た事、

そういっても過言では無いと思いますが、どうでしょう?


Steely Danの、こういったシングル無視のアルバム作りは、

AOR』のみならずアメリカ音楽業界全体に影響を与えて行きます。

洋楽ファンであれば、ぜひ聴いていただきたい人達です。



そして、当然『Rock』側の『AOR』もこの時代に盛んに活動が始まります。


例えば、どこか南国の風味も兼ね備えた太陽の似合う『Rock』を展開したPablo Cruise

Steely Danを思わす、完成度の高いアルバムを提供したPagesなどですね。



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Pablo Cruise

「Worlds Away」(1978)

AOR / Light Rock


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Pages

「Pages」(1978)

AOR / Light Rock


さて、先程から登場する『Light Rock』というジャンル。

このあたりで、その説明をしたいと思います。


Light Rock』というジャンルは、そもそもとても曖昧なジャンルです。

1970年頃から使われていたのですが、80年代後半までずっと曖昧なままでした。

初めは、『Rock』にカテゴライズするには『Pop』すぎる物を言っていたのですが、

正直、Soft Rock』とほとんどかわらない区分けの仕方でした。


Soft Rock』の方が、アメリカではスタンダードな言い方でしたしね。


その後、80年代に入ると、また意味が代わってくるのですが、

それは、またいつか詳しくお伝えします。


このブログでは『Soft Rock』を『Folk』より、『Light Rock』を『Rock』より、

という形で紹介していきたいと思います。



そして、また『AOR』を盛り上げる名曲が登場します。

その曲の作者二人は、後のアメリカ音楽業界を大きく支える二人になります。

その曲はThe Doobie Brothersの「What a Fool Believes」。

グラミー賞をも受賞し、いくつものカバーも生んでいる偉大なる名曲です。



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The Doobie Brothers

「Minute By Minute」(1978)

AOR / Blue Eyed Soul


作曲者は、最初の項でも紹介した、元Loggins and MessinaKenny Loggins

もう一人は、この時のThe Doobie BrothersのメインボーカルMichael McDonald


Kenny Logginsは日本では『Sound Track』の印象が強いのではないのでしょうか。

7曲もの『Sound Track』をヒットさせ、U.S.A for Africaのメンバーの一人でもあります。

Michael McDonaldはスタジオミュージシャンとしてSteely Danを支えた他、

ボーカリストキーボーディストとして数多くのミュージシャンを支えた存在です。


そして、何より二人ともにグラミー受を複数回の受賞者であり、

AOR』や『Adult Contemporary』を、シンガーとして、作曲者として、

又、スタジオミュージシャンとして、根本から支えた人達でもあります。



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Kenny Loggins

「High Adventure」(1982)

AOR / Adult Contemporary


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Michael McDonald

「If That's What it Takes」(1982)

AOR / Adult Contemporary


ちなみに、二人共に前回の項で紹介するのが自然だったのですが、

The Doobie Brothersと絡めたかったので、こちらの項で紹介する事にしました。



時は70年代末期


80年代に入ると、またも大物が顔を出してきます。

そして、次の項で『AOR』そのものの終焉まで、語りたいと思います。

1980年代に入り、『Blue Eyed Soul』路線の『AOR』は陰りを見せました。

そもそも『Blue Eyed Soul』自体がこの国ではヒットしなくなっていたのです。


この後、あと数年で『AOR』も凋落してしまいまが、

それでも『AC』路線からは名盤も生まれているので、紹介していきます。


例えば、Bill LaBuntyPaul Davisは、当時の人はよく聴いたのではないでしょうか。



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Bill LaBounty

「This Night Won't Last Forever ~涙は今夜だけ~」(1978)

AOR / Adult Contemporary


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Paul Davis

「Cool Night」(1981)

AOR / Adult Contemporary


そして、何よりこのジャンルで忘れてはいけない曲があります。

映画「Arther」のメインテーマで、もちろんビルボードではトップをキープ。

そして、アカデミー賞ゴールデングローブ賞のダブル受賞を果たした名曲。

Christopher Crossの「Arther's Theme (Best That You Can Do)」です。



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Christopher Cross

「The Best of Christopher Cross」(1993)

AOR / Adult Contemporary


日本では、邦題「ニューヨークシティ・セレナーデ」でとても有名な曲ですね。



この頃、日本は高度経済成長期も終わり、経済の安定が始まった頃です。

特に、この後に起きるプラザ合意による円の高騰は日本人の生活を一変させます。

俗に言う「バブル景気」の始まりですね。


ジョルジョ・アルマーニのスーツにスポーツカーを乗り回し、

女性と共に過ごすプールバーやカウンターバー。

それのお供になったのは、『Quietstorm』や『AOR』でした。

アダルトな雰囲気を作る為、そして女性を口説く一役として活躍していた頃です。

上記で紹介したアルバムなどは、そういった形で日本でも有名となりました。


ちなみに、それがなんだって話になるのですが、

これが元となり日本では『AOR』を『Adult Oriented Rock』と訳してしまうのです。

この訳し方は、『AOR』そもそもの意味を履き違えている大きな間違いです。

今でも、自信満々で間違っている方がいるので、これを機に直していただけると幸いです。


ただ、この言葉は、後に正しい言葉にもなっていきます。



この後に起きる『AOR』の凋落により、『AOR』は変革を迎えます。

それと同時期に、黒人音楽も変革を迎えて行き音楽の進化と融合が始まります。

それは、『Blue Eyed Soul』、『AOR』、『Black Contemporary』それぞれのミュージシャンによる物で、その進化の過程に『AOR』のミュージシャンは大きく意味を持ちました。


それにもっとも貢献したのは名プロデューサーDavid Fosterです。



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David Foster

「David Foster」(1986)

Adult Contemporary / Smooth Jazz


まず、David Fosterがどれくらい凄い人かを解りやすく伝えると、

私の知る限りでは、グラミー賞15回アカデミー賞3回ゴールデングローブ賞2回

他、オリンピックのメインテーマを3回手がけてるキャリアを持つ、

今もなお、アメリカ音楽界を代表するプロデューサー、プレイヤーです。


そして、『AOR』にも深く関っていて、ファンにはとてもお馴染みな方ですね。


で、David Fosterが何をしたかと言うと、その前に、先に『Black Contemporary』の説明をしなければなりません。



Black Contemporary』も元々はラジオチャートの区分けのジャンルでした。

それは、70年代多様に進化した黒人音楽をまとめる意味合いでもあったのです。

ですが、80年代半ばに差し掛かる前に音楽ジャンルとして確立していきいます。

それにはAOR』にも深くかかわる西海岸ミュージシャンの技術が関ってきます。


Quietstorm』の後継として確立してゆく『Black Contemporary』に、

西海岸特有のシンプルでナチュラル。そして、その中で作られる高度なグルーブが好まれ、大きな影響を及ぼします。

例えばLuther VandrossLionel Richie。初期のMichael Jacksonなどですね。


詳しくはいずれ、メインテーマの時に紹介させていただきます。



そして、その音(特にバラード)に影響され『Adult Contemporary』も確立する事になります。

どちらも昔から名前はありましたが、音楽ジャンルとしてはこの時が初の確立となります。


その『Black/Adult Contemporary』両方に関りを持っていたのがDavid Fosterでした。


70年代後半から、すでにこういった音楽を作っていたDavid Fosterは、

その後、『AOR』凋落後も多くのミュージシャンに曲提供やプロデュースをし、

当時の「MTVブーム」も関係無しに、大ヒットを量産させます。

そして、この『Black/Adult Contemporary』の大ヒットが『AOR』の復活を告げます。


1986年、アカデミー賞をも受賞したPeter Ceteraの「Glory of Love」。

そして、長い間裏方を続けていたBobby Caldwellの提供曲、

Amy Grantとのデュエット曲、Peter Ceteraの「Next Time I Fall」とBoz Scaggs

Heart of Mine」。これらの大ヒット曲で『AOR』は完全復活を成し遂げました。



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Peter Cetera

「Solitude/Solitaire」(1986)

AOR / Adult Contemporary


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Boz Scaggs

「Other Roads」(1988)

AOR / Adult Contemporary

特にPeter Ceteraの曲は両方共にビルボードトップを記録していますし、

日本では、映画「竹取物語」の主題歌(Bobby Caldwell作曲)も有名になりました。

Boz Scaggsの方も、本国より日本でとても人気が出た曲です。


そして、この同時期に『Rock』側の『AOR』も沢山のヒット曲を出します。


そして、『Adult Contemporary』側から見ると、『AOR』を語る上で何より忘れてはならないミュージシャンがデビューします。

デビュー以来、ビルボードTop5に7曲も送り込み、グラミー賞ももちろん受賞済み。

Top20で換算すると、実に17曲になります。)

そして、何より、AOR』の最期を看取った人Richard Marxです。



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Richard Marx

「Repeat Offender」(1989)

AOR / Adult Contemporary


もちろんRichard Marx以外にも、この後も『AOR』を続けている人はいました。

ですが、実質的に、Richard Marxを持って『AOR』そのものは終焉します。



そもそも、終焉とする見方には、いくつか理由があります。

まず、この頃の『AOR』はすでに『Adult Contemporary』の中に組み込まれていて

実質的にAOR』の名前が必要なくなったのです。


そして、上の理由に関るのが、AOR』が『AOR』でなっくなったという事です。

AOR』は元々、アルバム単体での統一感などの表現が由来です。

ですが、この頃の曲は、その意識が多分に薄まってしまっているのです。

又、この時代は、アルバム単位でのセールスはもはや当たり前ともなっているのです。


様は、AOR』の名前そのものに意味がなくなってしまったのです。


その為、『Blue Eyed Soul』『Adult Contemporary』側の『AOR』も、

Light Mellow』と同じ時期に、実は終わっているという考えも否定できません。



ですが、こちらのジャンルは実際80年代中盤以降のアメリカ音楽に大きな影響を残していて、その形は、今現代になっても深い影響を残しています。

それを、今回の項で知っていただけたかな、と思います。



最期に次の項で『Rock』側からの『AOR』を紹介したいと思います。

そして、それを持って『AOR』をまとめさせていただきたいと思います。

今回からは、日本でもっとも流行った『AOR』のジャンル、

Blue Eyed Soul』、『Adult Contemporary』方面から見てみたいと思います。


個別のジャンルについては、また別の機会に書かせてもらいたいと思います。



そもそも、『AOR』は元々『Blue Eyed Soul』のミュージシャンが多かったのです。

そしてそれは、Soul/R&B』の進化の過程に『AOR』があったとも言えるのです。


たとえば、売れる事は無かったですが、Boz ScaggsAndrew Goldなどは

地道でも60年代から続く『Blue Eyed Soul』を引き継ぎ活動していました。



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Boz Scaggs

「Moments」(1971)

Soul/R&B / Blue Eyed Soul


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Andrew Gold

「Heartaches in Heartaches」(1975)

Soft Rock / Blue Eyed Soul


ちなみに、『Blue Eyed Soul』とは60年代から続く白人音楽のジャンルです。

簡単に言えば、黒人音楽を青い目の白人が演奏する

読んだままの意味です。


元々はSoul/R&B』を白人が取り入れ演奏する事の意味だったのですが、

最終的には『Soul/R&B』のみに拘る事は無かった様ですね。

特にイギリスで流行った時には様々な黒人音楽を取り入れていました


いずれ詳しく『Blue Eyed Soul』についてもお伝えしたいと思います。



そして1976年、前回も紹介したBoz Scaggsの「Silk Degrees」のヒットにより

AOR』が生まれ、『Blue Eyed Soul』も輝きを取り戻す事になりました。



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Boz Scaggs

「Silk Degrees」(1976)

AOR / Blue Eyed Soul


そして、これがきっかけともなり、他のジャンルのミュージシャンも

AOR』を意識したアルバム作りを始めるのでした。

それは、似たジャンルを流していた『AC』や『MOR』のラジオチャンネルから現れる事になり、さらにラジオを盛り上げる事になるのです。



ちなみに、

AC』は、『Adult Contemporary』の略称。

MORは、『Middle of the Road』』の略称。

二つとも、ジャンルとして語られる事もありますが、

この頃は特に、ラジオチャートの区分けとしての意味合いでした。


AC』は、都会的で、タイトで大人びた雰囲気の曲を流していたチャンネル。

MOR』は、Easy Listening』の様なクラシカルな曲や、

ソフトで落ち着いた雰囲気の曲を流していました。

かと思えば、被った曲を流していたりもしていましたがね。


その為、この二つをジャンルと呼ぶには少々大雑把すぎます。

AC』は後に、ジャンルとしても確立しますが。



話を戻します。

例えば、『Jazz』や『Rock』など、様々な音楽を取り入れ、

毎回色々な雰囲気の曲を提供していたGino Vannelli

例えば、バリバリのロックバンド、元The Raspberriesのヴォーカルで、

Classic』を取り入れた名曲「All By Myself」を世に送り出したEric Carmen

Audlt Contemporary』路線では、こういった人達が有名ですね。



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Gino Vannelli

「Brother to Brother」(1978)

AOR / Light Mellow


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Eric Carmen

「Change of Heart」(1978)

AOR / Blue Eyed Soul


そして、『AOR』や『Blue Eyed Soul』を語る上では欠かせない人が登場します。

当時の黒人音楽『Quietstorm』の音楽性を綺麗に取り入れ、

そのセルフプロデュースしたデビューアルバムは『AOR』の代表的存在となっています。


その人の名前は、マイアミからの暑い風、Bobby Caldwell

デビューシングル「What You Won't Do For Love ~風のシルエット~」は、

実に100を超えるミュージシャンにカバー・サンプリングされている、永遠の名曲です。



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Bobby Caldwell

「What You Won't Do For Love ~イブニング・スキャンダル~」(1978)

AOR / Blue Eyed Soul


ちなみに、最初に言っておくと、

Bobby Cadlwell本人のアルバムがチャート的に成功したのはこのアルバムのみです。

この後、大きな自身で作り上げた曲が振わなくなっていきます。

Bobby Caldwellはその事に、大きな落胆を示し、裏方へ引っ込んでしまうのです。


しかし、この事が『AOR』には大事な事となります。

10年後に再復興する『AOR』に、Bobby Caldwellは欠かせない存在となるのです。



時は1978年


AOR』の凋落まで、あと少しの話でした。


しかし、『Black Contemporary』『Adult Contemporary』のジャンルとしての設立までもあと少しとなり、『AOR』ミュージシャンは、その事に大きな影響を及ぼします。

そもそもLight Mellow』とはどういうジャンルなのか。

そういった所から、前回の続きをお伝えしたいと思います。



Light Mellow』はそもそも日本でのみ言われているジャンルです。

アメリカでは『Classic Rock』(かっこいいRockの意味)の中に含まれています。

AOR』に音楽ジャンルが無かったので『Light Mellow』という名前が使われました。

なので、このブログでは書かせていただいています。


Classic Rock』では意味合いが広すぎてしまうので。


Light Mellow』のジャンルの特徴は、『Soft and Mellow』を引き継ぎつつも

Folk』の色合いをより薄めてRock』の色合いをより多く取り入れた音です

ただ、『Rock』と言っても、派手な歪み系の音は極力抑えつつ

空間系の音色とシンセサイザー音を好んで取り入れて行きました

スタイルも『Rock』よりは『Jazz』に近い形での演奏形態が特徴ですね。


又、音的には単純ながらも実際には高度な音使いがされており

スタジオミュージシャン達の様な、確かな実力派が多いジャンルでもありました。

まぁ、ただそれは『Light Mellow』に限らず、『AOR』全体に言える事ですが。


たまに、『AOR』を『Audio Oriented Rock』と呼ぶ人がいますが、

上記の理由で、現代にも引けを取らない音質の良さから言われたのでしょう。

もちろん、言葉は後付けで、実際には間違っていますが。



又、『Light Mellow』がなぜ西海岸の夏をイメージされるかも上記の理由に関ります。

それは、アメリカ娯楽産業の盛んな西海岸にミュージシャンが多く集まったからです。

その為、スタジオミュージシャンの実力を必要とした『AOR』は西海岸で発達し、

そして、西海岸のイメージがついてしまったのでしょう。


それに、そもそも『AOR』は西海岸出身のミュージシャンも多いですからね。

生まれた地域のイメージが自分の曲に影響されるのは、アメリカでは珍しくないですしね。



そして、前回紹介した人以外にもAmbrosiaRupert Holmesなどが活躍し、

Light Mellow』を大いに支えました。



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Ambrosia

「Life Beyond L.A」(1978)

AOR / Light Mellow


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Rupert Holmes

「Partner in Crime」(1979)

AOR / Light Mellow


そして、『Light Mellow』は『Soft and Mellow』と同じ流れの中、

さらに人々の場面を彩る音楽として、ラジオやBGMで愛されました。


ちなみに『AOR』を『Airplay Oriented Rock』という人もいます。

それも上記のような理由からなのですね。


「Audio」にしても「Airplay」にしても正しくは無いですが、特徴を忠実にとらえていますね。



そもそも、『AOR』が一般購買層に受け入れられたのは一般層の変化による物でした。

後に「失った10年」と呼ばれる程、不況にまみれたアメリカの70年代ですが、

一般購買層はアルバムという形を重視して聞くようになり、

次第にアルバムの売り上げはシングルを上回る様になっていきます。


それは、娯楽音楽の主要地であるアメリカの国民の耳が肥えてきた事でもあり、

又、上記理由により、年々一般購買層の拡大が起きてきた事もありました。


AOR』はそうした中で生まれ、進化し続けた音楽であり、

偉大なる先駆者達の研究による表現技法の進化による形として作られ、

確かな実力派達のこの音楽は、安心して聞ける一つの形となって行きました。


特に『Light Mellow』は最後まで『AOR』を意識し続けた一つのジャンルでした。



そして、1980年、二組のミュージシャンの登場で『AOR』の転換期を迎えました。

それは世界中に『AOR』という言葉をより浸透させた、大事な年でした。

AOR』の代名詞的存在Air Supply。そしてChristopher Crossの登場です。



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Air Supply

「Lost in Love」(1980)

AOR / Light Mellow


Sunny-Side-Up!-christopher_cross_christopher_cross_1980
Christopher Cross

「Christopher Cross」(1980)

AOR / Light Mellow


Air Supplyはアメリカでのデビュー後、ビルボードのTop5に八曲も送り込み

爽やかすぎる声と曲からペパーミントサウンドと呼ばれ、愛されました。


そして、ミスターフラミンゴ、Christopher Cross

このアルバムは、グラミー主要四部門を含む五部門を受賞し、

シングル曲でもある「Sailing」は永遠の名曲として今も残り続けています。


こうした偉大なミュージシャンの登場により『AOR』は最高潮を迎えるはずでした。

しかし、突如として『AOR』は一時の凋落に陥ることになりました。


それはLight Mellow』の終焉をも意味しました。



1981年に入る頃からアメリカは、政治、経済共に時代の移り変わりが示されました。

例えば、レーガン大統領の就任や、ハイテク産業の拡大ですね。

そして、娯楽業界にも一つのムーブメントがアメリカ経済にも多大な影響を与えました。


それは世界を巻き込んだ「MTVブーム」でした。


このムーブメントによりアメリカ娯楽業界は大きく発展し、

音楽は輸出産業としても大きく利用されていきました。


そして、一般家庭による音楽の聴き方も変わり「ラジオ」から「テレビ」に移りました。

それはまさにMTVで最初に使われた曲

Video Killed the Radio Star ~ラジオスターの悲劇~」でした。



Sunny-Side-Up!-the_buggles_the_age_of_plastic_1979
The Buggles

「The Age of Plastic」(1979)

Techno Pop / Synthe Pop


そして、それはラジオを主戦場としていた『AOR』全体に深く影響を与え、

10年近くの間、『AOR』は表舞台から姿を消しました。


特に『Light Mellow』を演奏していたミュージシャンは活動の場を裏方に変え

もしくは、ジャンルを変えて音楽を続ける事を選び始めました。


そして、質の良い音楽を提供し続けた『Light Mellow』は終焉を迎えました


ただ、それでもAir Supplyは80年代半ばまでチャート上位をキープし続けていたし

又、Stephen Bishopの最大の名曲「It Might Be You ~君に想いを~」もその後にヒットした事を忘れてはいけませんがね。



Sunny-Side-Up!-stephen_bishop_best_of_bish_1990
Stephen Bishop

「Best of Bish」(1990)

AOR / Light Mellow


Light Mellow』の終焉後、『AOR』自体が終わってしまったわけではありません。

AOR』は形を変えて、次の最盛期まで変革をしていました。


それは、また次の項で紹介していきたいと思います。



ただ、結局『Light Mellow』は次のジャンルに引き継ぐ事も無く終わって行きました。

それでも、特有の演奏技法他のジャンルにも大きくかかわってくる事になり、

後の西海岸ミュージシャンの特徴ともなって行きます。

そもそも、質の際立って高かったこのジャンルは、今もファンの間では、場面や情景を飾るBGMとして、深く愛され続けています。



結局は、完成されていた『Light Mellow』は、次に繋げる必要も無かったのですね。



このジャンルを深く愛している一人として、そう信じていますし、

もっと多くの方に聴いていただきたいです。