1980年に入り、『Rock』側から見ると『AOR』ファンお馴染みの顔ぶれが登場します。
今回はこの時間から、前回の続きを話したいと思います。
まず、1980年に登場するのは二人の名プロデューサーによるユニットです。
その後の『AOR』の『Rock』のお手本となるこの一枚限りのアルバムは、
当時流行りだしたシンセサイザー音を巧みに混ぜた、名盤中の名盤と呼ばれています。
メンバーはDavid FosterとJay Graydon。そしてそのバンド名はAirplayです。
Airplay
「Airplay」(1980)
AOR / Light Rock
David Fosterに関しては前回の項で紹介してますので割愛しますが、
Jay Graydonも80年代の数多くのアーティストをプロデュースしてきた人です。
グラミー賞もクリエイターとして2回受賞。
80年代のアメリカ音楽業界を語る上でははずせない方ですね。
そして、このアルバムは後の『Rock』側の『AOR』を語る上で外せない物となります。
今では、『AOR』ファンのマストアイテム的存在になっていますね。
そして、このアルバムにもスタジオミュージシャンとして参加しているバンドが、
この二年後に大きなキャリアアップをする事になります。
そのバンドは言わずとも知れた、アメリカを代表するバンドであり、
多くのミュージシャンの憧れの存在ともなった人達。
多くのメンバーチェンジを重ねてもクオリティを下げる事も無い、
スタジオミュージシャン達によるテクニカルバンド、TOTOです。
「TOTO Ⅳ」(1982)
AOR / Progressive Rock
このアルバムとシングル曲「Rosanna」は三種類のグラミー賞を受賞します。
又、『Rock』のみならず『Fusion』や『Progressive Rock』を取り入れた
上級者向けの高度な完成度に仕上がったアルバムです。
それでも、「Afria」等の美しいメロディーは聴き逃す事が出来ませんね。
そして、Airplayの二人がプロデューサーとしてアメリカ音楽業界を支えたのなら、
TOTOのメンバーはスタジオミュージシャンとして音楽業界を支えて行きました。
特に80年代では、様々な人、曲、ジャンルでメンバーの名前を見る事が出来ますね。
チャートのトップ10を見れば、どこかに必ずメンバーの名前がある程、
それ程までのトップミュージシャンでした。
そして、この二組のバンドの音を総称して『TOTO/Airplay』と日本では呼びます。
ただ、実際にそう呼ぶのは、少々の違和感があります。
まずTOTOサウンドと呼ばれる物はメンバーが多くの『AOR』アルバムに参加していて
その為、『AOR』の代表的サウンドとして見られている物です。
ただ、『AOR』も共通ジャンルでは無いので、TOTOのメンバーもプレイする曲によって毎回演奏スタイルは変えていた事を忘れてはいけません。
それはもちろん『AOR』以外のジャンルも同様にです。
もちろん、プレイヤーには作るリズムパターンやギターリフ、インプロビゼーションにはクセがあり、その部分だけを見れば誰が弾いてるかぐらいは解るかもしれません。が、そもそも最終的な音を完成させるのはプロデューサーに権限があり、スタジオミュージシャンにその役割は与えられません。
役割分担をしっかりとらえるアメリカでは、それは絶対なのです。
『TOTO/Airplay』という言い方をいつ、何処から呼ばれたのかはわかりませんが、
細かい所だけを見た、非常に穿った見方とも言えます。
まぁ、それはTOTOの大活躍による物でもありますが。
それに、それを言うならDavid Fosterサウンドとかの方が理解できますが。
プロデューサーとしてのDavid Fosterの音には、共通性が見られましたから。
そして、この後、本来はここで『Rock』側『AOR』も終了となります。
Airplayはこのアルバムのみで終了し、二人はプロデューサー活動に専念。
TOTOもこの後も『Hard Rock』や『Progressive Rock』など色々な音楽を取り入れ、
80年代後半には、やはり『Adult Contemporary』路線を突き進んでいました。
様は、『AOR』の『Rock』を代表する二組のサウンドは、上のアルバムのみ、なのです。
ただ、この後も『AOR』と呼ばれている人達は登場します。
それは、『AOR』に深い繋がりをもっていた人達の活躍や、
『AOR』アーティストによる裏方活動による物でした。
例えば、これまでに登場したDavid Foster,Bobby Caldwell,TOTO,Jay Graydon。
他にもBill Champlin達の活動がアメリカ音楽業界を盛り上げて行きました。
「Runaway」(1981)
AOR / Light Rock
又、80年代中期から後期にかけて、Airplayを思わすシンセサイザーを駆使した『Rock』音楽ががヒットする事になります。
それは、元Jefferson Airplaneで、元Jefferson StarshipであるStarship。
そして、一発屋ですが、素晴しい程の曲の作りこみを見せるBoy Meets Girlです。
Starship
「Keep Deep in the Hoopla」(1985)
AOR / Light Rock
「Reel Life」(1988)
AOR / Adult Contemporary
『Rock』側『AOR』の最期を飾るに相応しい二組です。
Starshipは、元々『Psychedelic』、『Hard Rock』と活動していたバンドなのですが、
Jefferson Starshipの後期から、シンセサイザーを駆使した『Rock』を展開。
それは、当時の流行りそのもので、「産業ロック」とも揶揄されましたが、
誰もが知る名曲を送り出した、素晴しいバンドです。
「Sara」、「We Built This City」、「Nothings Gonna Stop Us Now~愛は止まらない~」と日本でも馴染み深い名曲です。
Boy Meets Girlは、80年代中期には、夫婦二人で作曲の共作をしており、
『Black Contemporary』や『Dance Pop』をお得意として作曲していました。
特にWhitney Houstonに提供した2曲でビルボードトップを記録しています。
このアルバムも『AOR』ファンならお馴染みの、捨て曲無しの名盤です。
そして、これを持って、『AOR』をまとめたいと思います。
『AOR』の凋落の理由は前にもお話した様に、『AOR』の名前が必要無くなったからです。
それは
80年代初期の『AOR』の凋落 → 『AOR』を音楽ジャンルとしての認識が始まる。
『Adult Contemporary』と『AOR』の統合 → アルバム自体でのセールスの普遍化。
上で紹介したBoy Meets GirlやStarshipも、ジャンルは『Adult Contemporary』や
『Pop』に属されますからね。
『AOR』の本来の意味は「アルバム単体での音の統一感ある作りこみ」が基本です。
それをはずれた自体で、『AOR』が無くなるのは確定路線だったのかもしれません。
ただ、「アルバム単体での音の統一感ある作りこみ」が無くなったわけではありません。
たとえば、ラジオやBGMを活動の場としているジャンルにはやはりその傾向があります。
特に『Smooth Jazz』や『Adult Contemporary』で多いですね。
ただ、『AOR』のミュージシャンはアメリカ音楽の歴史を語る上で外せない物となっています。
それは、スタジオミュージシャン、作曲家、プロデューサーなどと言った、
裏方の方々による、確かなクオリティの楽曲だったからです。
グラミー賞という言葉を沢山出しましたが、凄さを解りやすく伝える為でした。
西海岸を彩った、華麗なるスタジオミュージシャンの遊び、『AOR』
そのシンプルながらもグルーブ感溢れるテクニカルな楽曲の数々。
ぜひ、聴いていただきたいです。