数十年前の今日も今日みたいな天気のいい

日でした





原因不明で、劇症型 HCV に感染し、気が

ついたら stage 4 の肝臓がんやったん

入院してインターフェロンを投与したり

放射線治療もしてたけど改善はみられず

寧ろ、研修医に勉強させるモルモットみたい

な扱いされて疲弊してた






残酷なもので stage 4 の肝臓がんは痩せる

一方で、ある日当然、立てなくなり寝たきり

生活が始まり、みたいもんはかぐやがビデオ

で撮影してみせてた





寝たきりになるとなにかしたいらしく電話で

かぐやが英語が得意やったこともあって英語

を教えてくれとかゆわれてそれに応えたり






お父さんは延命治療を拒否して、万1のとき

は死なせてくれとゆうてた

苦しくてしんどいのはもう嫌や

死なせてくれと






かぐやは、新卒で入社した会社の勤務地は

徳島やって別居やったから週末は京都に帰り

見舞いをしてたん






ある日、お母さんから電話があり、お父さん

の様子がおかしいとゆわれて徳島から実家に

戻ると意識レベルが低下していて昏迷状態

やから家族に覚悟してねとゆうて救急車を

よんで救急搬送して、救急外来で処置をして

から病室へ



酸素投与と点滴をして余命を手を繋ぎながら

見守った

時々、咳こんで痰が絡むと看護師を呼んで

吸引させた







救急搬送したのが、12:40

それから 3:30 が経過したときバイタルが

低下してナースコールで医者を呼び、

医者が死亡を確認したのが、3:40



享年55

勤務してた銀行は死亡退職に



お父さんは、がんやのに銀行人でいることに

拘りがあり、余命幾許もないときにかぐやは

お母さんと最期の思い出つくりに旅に出る

よう勧めたけどお父さんは出勤して働いてた



生粋の銀行員







最期を看取るとほんの1滴、涙を流したけど

すぐに動いて実家で通夜と葬式の準備を

始めた






毎年、この日がくるとかぐやは精神的に

不安定になる



忘れることはないと思う






今では、がんは治る病気になったけど

憎んだのは、劇症型 HCV だよ



ひたすら、これを抹殺する方法を探究

したよ







がん患者に放射線治療は、負担が多すぎる

と思う

ゆうて効果がないと



だって、結局、放射線を照射してもウイルス

も細胞も皮膚の下やからね

放射線がほんまに皮膚を通過して臓器の中の

ウイルスや細胞にまで到達するとは考え難い






お父さん、天国に逝った人増えたけど

おいしい伏見のお酒を呑んでるの?