とり つく あーと | かぐわし 東北

こんにちは

 

 

 

今回は

トリックアート

ついて書きましょう

ということだと

なごみは

即 理解しました

 

 

このブログのタイトルは

 

書き手のなごみが

毎回なんのこっちゃ…とおもいながら も

自分で文字を入力しています

 

このブログは

チームなごみが運営していますんですよ

 

 

 

 

前回の記事で

とり が 出てきました

 

ウソという

鳥さんがご登場でした

覚えていらっしゃいますか?

 

 

 

みなさんは その後

というこの漢字にヒかれてちょいと検索~ぅ

してみましたでしょうか?

 

漢字の  が

尋常小校のと似ていることで

ここから 天神様のお遣い などと

云われている とのことから

 

うそかえ神事につながった

 

とかいうことも どこかに書いてありましたね

 

ご覧になられましたか?

 

 

そして

 

 

この鳥さんには

弾琴鳥っていう名前もあるのだそうです

このなごみは

琴という語彙がついているということに

なんともいえない気分になりました

 

 

理由がね

よくわからないんですけど…ね

 

 

琴の楽器では 音程を調整するのに 大切な役割の琴柱

 

史記に

琴柱に膠す(ことじにかわす)

という言葉があるそうです

 

意味は 物事にこだわり融通の利かない事

なのだそうです

 

日本でも使われているようです

 

 

過去記事に琴柱のことを書いています

ふと

思い出しました

 

 

なごみさんは

このことわざがあることを生まれてはじめて

知りました

 

 

 

 

いくつになっても

はじめて知った

こと

ばかりです

 

グラサン

 

 

 

 

 

 

昨日は6月9日でした

 

この記事を書いているトキに準じた表現で

失礼しております

 

 

 

69の日…

 

 

令和天皇皇后両陛下が

ご成婚された日でしたね

1993年6月9日から令和5年の昨日で

ご成婚30年になられたそうです

 

 

両陛下は

 

6月3日と4日に

岩手県の被災地をご訪問されました

 

当日に いわて花巻空港 にお着きになられた映像を

拝見しましたんですが

 

両陛下のこちら側に向けられたまなざしに

 

画面越しに

 

感無量でございました

 

 

 

両陛下のご乗車された御料車の

 

御付きの車

盛岡300ナンバーのプレートには

69の数字がありました

このあとには1も…

 

これをYouTube動画で拝見して

わぁー気づき

個人的にとても感慨深く感じました

 

 

ほかにもその動画のなかで

伝えてくださっている数字があれこれあって

いろいろ

思いました

 

 

 

いろんな場面で

皇室の方々の 大切な記念のそのお日にち から

 

祈念

という言葉を

 

皇居内の空間の絵画からはたくさんの

 

カイ

という言葉を

 

 

69の数字でお示しくださり

まことに

有難い限りだと思いました

 

 

 

過去記事でご紹介した

2019年に迎賓館赤坂の車寄せ?にあった

 

【祝賀御列の儀】パレードのときに

ご乗車されたお車のナンバーには

その当日の日の数字

11-10

ありました

 

 

 

そのような数字のお仕組みを知ることが出来て

これまた感無量です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では今回のタイトルから浮かんだ語彙

 

 

トリ ック アート

どんなものか

知っているようで知らない

このなごみです

 

 

ぼーとしていると

 

右差し図書館に行った方がイイ鴨よ左差し

というお誘いの声が聞こえた氣がしました

 

 

モウソウ?の声?

 

 

 

やっぱし…この展開は…

 

漢字も変だし…

 

自分でカモになりに行ったってことよね

 

ニヤリニヤリ読者さんの声

 

ん?

 

なにか

 

おっしゃいました?

 

 

 

 

田舎の父から

モウソウダケ が どうしたこうした

送ってあげられなくてごめんね

 

という話が

 

タイムリーに

電話口からお耳に飛び込んできました

 

そういうことね

モウソウのことも

これから書くのね

覚悟を決めました

 

 

あらら…

 

 

 

 

このカタカナを

もしかしてあなたさまは

 

妄想

変換しましたか?

 

 

 

なごみが

なにかを語らなくても

そのままをそのまま いつも表しているでしょ…

いまさら…なにを…

 

 

とか

ですか?

 

 

 

 

それとも

 

 

孟宗筍しい料理をお伝えする

3ザンクッキングナイフとフォーク

これから始める

ご期待されている…チュー

とか

 

 

 

 

 

 

 

残念でした!

 

 

 

 

 

なにかを申そう

している

 

 

それだけです

照れ

 

 

 

 

歩いて数分の

図書館に先ほど出向きまして

今回の記事の参考書籍数冊

何かを”申す”

その礎のそのために

 

10代からよむ中国古典

『 論語 』

にまなぶ

人間 の 品位

 

10代からよむ中国古典

『 老子 』

にまなぶ

人間 の 自信

お借りしてきました

 

 

ドヤッ!

 

 

前回の記事のハッシュタグ#に

#孫子の兵法

とかがありましたでしょ?

 

タグ付けした語彙に

なごみさんは前情報はなにもありません

書き手のなごみ自身が

謎?

と感じながら毎度入力しています

 

 

ですから

このなごみ自身にも

必要があり 用がある語彙 として

出現している

なのです

 

 

ひと調べしなくちゃね

なりました

 

 

 

中国の思想家の方々に助太刀をお願いしたい

そうチラッと思いました

 

 

孔子は教育の達人

老子は人生の達人

とかいわれている?そうです

 

お借りした本にそう書いてありました

 

 

わたしの役割は

なごみ人生の起こり事とその想い事を

みなさんにお伝えする 共有する

為事となっています

 

 

 

すべて

その瞬間の空間での

起こり事とそれにまつわる想い事となります

 

 

 

わたしにとっては

それが

必要な場であるからこそ 起こったことであり

 

その場にとって

 

わたしのエネルギーが

そこで循環還元される必要があった

ということだと思っております

 

 

 

この世界にあるものは

突き詰めれば

原子の塊です

 

 

還元とは

電子のやり取り ということ

でもあります

 

 

そのため

 

デンシをやり取りする

場(空間)が呼んでいる

ということでもある

このなごみは考えています

 

 

 

そんなこともあって

時期を違えると

そのトキでないと 表現することすら

許されない

なんてこともある

思ってもいます

 

 

 

これを

過去記事の流れを基にして

すこしお伝えしたいと思います

 

 

 

・・・・・

 

このことをお伝えする前に

 

こちらを先に

お伝えしておきます

 

 

 

矛盾したことを少し申し上げます

 

起こり事をどのように解釈し

それに基づいて

わたしたちが

なにをどうしようと

将来においてはすでに結果?は出ています

わたしたちがその瞬間必要とされる場に行って

目に映るものを受け取った

ただそれだけでもあります

 

 

 

今のわたしがここに居るのは

過去⇒未来という時空間のなかで

 

なごみが

あれをしたからこれになった

というだけで

ここにあらわれている

わけではないのです

 

 

この瞬間の”わたし”の過去は

”一瞬前のわたし”が記憶する過去とも

違っています

 

 

わたしそのものが

ちょっと誤解を生じやすい表現ですが

まったく別物なのだと

考えています

 

 

 

 

 

・・・・・

 

 

では ここから

 

なにかをお伝えするにおいて

タイミングがある

 

ということから説明します

 

 

 

しばらく前に(5月1日と5日)

投稿した記事タイトルに

ぽけっと

という語彙を使っています

 

 

このとき

記事を書いている途中において

このなごみが考えていたお伝えしたい内容とは

ちがった展開の記事に

 

結局なりました

 

 

 

あの途中の段階で書きたかったのは

”新しい酒は新しい革袋に盛れ”

こちらの故事成語については

意味は

どうかお調べください

 

 

このことに付随した 想い事 だったのです

 

 

ですが

 

 

これをお伝えするための

なごみ人生の起こり事が

その時点では

どうしても浮かんでこなかった…

それもありまして

この内容を

記事にすることができませんでした

 

 

 

それが

 

最近の記事でタグ付けした語彙に

#革袋が登場しました

そして

前回の記事にも ポケット(ぽけっと)という語彙を

書いております

 

 

ポケット(ぽけっと)

革袋

 

 

 

重なる語彙に

これはなにかある

なごみは即思いました

 

それを話せる時期が到来したかもしれない

ということを思いました

 

 

 

そんなこんなでいましたら

 

ありましたんですの♡ 人生に革(皮)袋の思い出キラキラが…

 

 

 

このなごみさんが どこから見ても

ぴちぴちギャルの見目麗しい時代に

 

欲しくもなんとも思わなかったのに

魔が差して

ファッション雑誌の

懸賞に応募したらなぜか当たった

 

革製の水筒(ふくろ)

肩からぶら下げるための紐が付いている

ヤギガワで作ったような

三日月みたいな形をしたものをいただいた

 

 

ということがありました

 

 

 

 

懸賞を出したことすら忘れていた

このなごみ

なごみさんは懸賞に応募することすら

珍しいこと!

ですのよ♡

 

届いて開けてビックリ!

何 これ どうしたらいいの?ショボーン

もうひとつの小さな絵画みたいなものはまだしも…

 

偽らざる当時の心境でした

 

 

 

物自体は

嫁入り道具の選別品から惜しくも

漏れて

どこかにお隠れになりました…

爆  笑

 

 

 

 

そして

●十年過ぎてから

これの

一つの解を知る

ということができる自分 に なっていましたのね と

知りました

 

 

 

授かりものがここにあった

に気づく

 

ございました💛

 

 

 

では

そのときに記事にするべく

考えていた内容からお伝えします

これは

あのとき書いた記事内容とも被ります

 

そして

今回表現することが許された

オモッタ経緯についてもお話しします

 

 

 

 

 

わたしたちの人生に起こることは完璧です

 

ですが

その時期がこないと

なにがどうなってこうなったか が わからない…

ということも

いっぱいあります

 

すこしわかったかも…としても

その解自体も更新されていくものでもある

わたしは考えています

 

 

 

すべて

諸行無常のなかにあります

 

 

 

ある時点まで必要で大切だったものが

今後もそのお役目を果たし続けることができるか

ということも同時に生じます

 

 

 

とはいっても

 

なんらかの思い出とか

自分をこれまで支えてくださった”なにか”を

 

これからは必要がないかも…

判断する

(裏方の支え側に回っていただく)

ときに

 

感情の記憶がこれに影響を与えてしまう

ということは

往々にしてよくあることであると

わたしは思っています

 

 

ある時期が来たら

一度自分を支えてきたそのものすべてを

古い革袋から出してみて

 

自分自身で検証したという尺度に基づいて

新しい袋に入れたいものかどうかも見極める

いわゆる棚卸の時期も適宜必要ね

そう思いましたんですよ

 

なごみの場合は地球人生のトキがソコソコありますので

 

ぽけっとを裏返しても

まだ其処にゴソッとあったか…

でもあります

 

 

古い日付のまま忘れ去られている

お世話になった何かを

 

その場所に何時までも居てね

縛っていたのはわたし

でもある

 

そうも思いました

 

 

 

 

わたしたちは知らず知らずのうちに

自分自身にも無意識に枠をはめながら

物事を見ています

 

 

枠がそこにあった

それに気づくことも大切ですね

 

新しい酒を古い革袋に盛ろう

としているのかもしれない

 

これもあわせて思いましたんですよ

 

 

 

それと

 

革(皮)袋 は 革(皮)嚢

ふくろの漢字は

という漢字なんだと今回自覚しました

 

 

 

5月の時期に書いた段階では

ひとさまの作った

革の袋をイメージしていました

 

記事にすることが出来なかった理由が

ここにきてわかってきた気がします

 

最近なごみが関わっているイイの起こり事を

なごみ自身がどんなまなざしで見ているか

その流れも合流して現れてきた

そういうことね♡♥

 

という見解になりました

 

 

懸賞でいただいた革のふくろは

ヒトが作った形入れ物ではありませんでした…

 

 

 

わたしの人生の起こり事と想い事を

お伝えする

ということの本質は

 

トータルでなにを伝えるられるか

なのです

 

言葉では表現できないものも含めて…

そちら側のほうがむしろ大きい

かも

です

 

 

 

 

ちょっと思いついたことがありますので

 

 

これを

すこしお伝えします

 

 

 

じぶんの想いや行動に

もうひとりの?自分が

白黒つけてしまったりすること

無意識にやってしまっていたりすることがあります

無意識なので自覚なしです

 

 

 

わたしは

そんな状態にあるわたし自身ををも

まるごと包み込んでいます

 

 

 

わたしね

虜になってはいけない

囚われてはいけない

などと

 

囚われないことに

囚われる事の危うさ

 

年の功で得ております

 

 

これについては

過去記事でちょっとだけご紹介しております

「ラベル(レベル)違い」

2022年5月11日 15:15:00

です

 

 

 

お暇なときにお読みくださると

嬉しいです

その当時の心境のまま綴っております

すべて見本です

 

 

 

 

 

ここからは本日の本題に入る予定です

 

 

今回 図書館での資料を

お借りした目的は

トリックアートについて

です

 

 

 

わたしは

図書館に行くとき

 

通常は

自宅でその図書館の蔵書を検索したうえ

図書館内で検索して棚を確認して

その場所に直行する

という方法を採用しています

 

 

ですから

図書館にいて書物の中身をチェックすることは

ほとんどありません

 

これは

おめめが遠視老眼ミックスであるという

生物的事情によって

そうせざるを得ない

ということでもあります

 

 

読書用の眼鏡では

お外を歩く

これが負担になりフラフラしてしまう…

となるからでもあります

 

 

ですから

準備をしてから向かっていますので

目的のものはすぐ見つけることができました

 

そのときにですね

 

その棚にある

中国の思想家の数冊の書籍が

とても気になりました

(なごみが行くのは児童書コーナーです)

 

これは

先ほど申し上げた通り

#タグ付けした語彙に関連している

感じたからです

 

 

ですが

すこし躊躇しました

 

 

『 論語 』

という文字が目に入ったからです

 

 

 

これは

”論語読みの論語知らず”

という故事成語が

即浮かんできたから…なのでは?

 

そう すぐになごみは 自分自身を 思いました

 

 

 

でもね

危惧したことを体験するかどうか

どうなるかはわからないけど

今回はそこに飛び込んでみよう

とも

思いましたんですよ

 

 

 

 

これ

伝わってますか?

 

 

 

ことばで表現するのは

ムムム…

 

ですね

 

 

それで

自宅に戻ってから

すこし読みました

 

含蓄深いお言葉でミチミチしていました

 

しばらくして

表紙がとても気になり始めました

 

 

今回は諸事情によりここまでとなりました

次回の伏線 置き石として

 

自宅インテリアとして

図書館からお借りしてきた書籍の背表紙が

カメラに映りましたので

どうぞご覧ください

 

 

創作物は

トータルでなにかを伝えてくださっています

グラサン

 

ご参集

ありがとうございます