AIツールとの付き合い方はどうなる?(2) | 先端ポピュラー音楽中学院中学・旧本館

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「新しくてしかもいい曲」を目指して曲作りをする、
“当学”の助手兼学生・Kaguemoriの迷走っぷりを楽しむブログです。

人工知能(AI)を利用した作曲ツールに関して、前回の考察では、いくつかの話題が混ざってしまってたので、改めて考えのポイントを整理しました(順不同):

  1. ツールは常に使いよう、だから使う人の“ディレクション力?”(※場合によっては自分で手を動かす)によってできるものも変わるだろう。
  2. ツールがどの程度ディレクションの自由度・利便性を持っているか。それは詳しく使ってみなければわからない。
  3. アートというものは、人対人のコミュニケーションの一種ではないか。(個人的意見)
  4. 実際、人が作った名曲の多くは、意図や意味が盛り盛りなので、それを読み解く楽しみが大きい。(個人的意見)
  5. もし3.であるならば、送り手の表現力(やディレクション力)とともに、受け手の読解力・洞察力も大事になるだろう(鑑賞教育など)。

 

以下では、翻訳サービスと将棋ソフトを例にして、とくに上記1.あたりをどう考えているか、補足説明します。

  • 英文を和訳したいときに、機械翻訳サービスが以前よりもかなり「よい感じ」になってきていて、その有り無しで労力が大違いなように思います。そして、もし出てきた日本語がおかしければ、ユーザーが自ら手直しをすることでしょう。つまりユーザーは、AIに対して監訳者のような立場になるのだと思います。ですのでその“ディレクション力”で、出来上がりの翻訳の質(伝わりやすさや面白さ等々)は当然変わってくるでしょう。
     
  • また、AI将棋ソフトを使って研究をしている若手棋士たちが話題になって久しいですが、その人対人での勝負強さはよく紹介されているところです。しかもときどきAIさえも読み損なう“最善手”を指してニュースになったりします。このように、AIツールをトレーナー役?や実験道具にしてトレーニングを続けてきた人が、それ以前の世代とは異質な強さを発揮しているようです。

 

もしこれらと同様のことがAI利用の作曲ツールでも言えるならば、
使い手のディレクション力次第で出来る曲の質は当然変わるでしょうし、
AIツールをトレーナー役や実験道具にして作曲能力を高めた人が将来的に“異次元の作曲能力?”を発揮する可能性もあるのかも、
と思いました。

 

補足は以上です。それでは!