1月24日午前2時16分

私の最愛の母は天国へと旅立っていきました。


母は極度の病院嫌いでした。

10年前突然、寝ていられなくなり、病院に父が連れていった所、腎不全による肺に水が溜まった状態。

そこから、私と母の闘病生活が始まりました。

最初のうちは、病院に通院。

1年か2年経った頃、主治医に「人工透析始めようか……」

最初のうちは体が痒くなり、血圧も安定せず、体重調整で、今までやって来ました。

うちの母は、早く家に帰りたい……その一心で止血バンドを付けたまま帰宅。

よく血が止まらなくて、私が止血サポートをしてました。

重たい荷物は持てず、毎週買い出しに付き添う日々。

そんな中でも母は仕事をする事を止めませんでした。

そんな中、肺ガンも発覚。ステージ1だったので切除のみですみました。


ところが、昨年の7月頃、心臓のバイパス手術をした頃から様子が変わりました。

ご飯を食べようとしない。

元々食は細かった母。

何か「もういいよ」と訴えかけているようにも見えました。

そこで肺炎発症。

自力呼吸が難しくなり、私たち家族は気管切開という道を選ばざるを得ませんでした。


あれから半年。

病院も転院し、緩和病院へ移りました。

人工透析が必要だからです。


仕事の合間を見て週2回のお見舞いを欠かしませんでした。

私の自己満足だとは思います。

だけど母を1人にしたくなかったから。

家に帰りたい……そう願っていた母。

それは叶いませんでした。


1月23日……23時頃……病院から電話が入り、急いで駆けつけました。

一生懸命話し掛けました。

まるで……私たち家族を待っていたかのように……。

その後病院の方から自宅での待機が出て、帰った時……また電話がなりました。

「間に合わない可能性があります」


そして到着した時には息をしていない母。

そこで医師の立ち会いの元……亡くなったどの結論。

心不全及び腎不全で帰らぬ人となりました。


母はこの10年……弱音を吐いても立ち向かい、みんなで乗り越えてきました。

私の将来を一番心配し、そして理解し続けてくれました。

私は母の生きた人生を誇りに思います。

一生懸命に病気と向き合った10年。

私が二人三脚で歩んだ10年。

苦しかった。辛かった。

誰より母がそう思っていた事をいちばん身近に寄り添ってきた私。

一緒に闘い抜いた……そんな10年。

最期まで母は立派でした。


そして妹にかけられた言葉

「お姉ちゃん、今までありがとう。」

……救われた想いでした。

良かったんだ。私のやってきたこと間違ってなかったんだ。


涙脆い私は今でも泣いてます。

そして、食欲が無いのが今の現状です。

そして母の言葉を思い出しました。

「ちゃんと食べなきゃダメでしょ!」

食欲はかなり少ないですが、食べるようにしてます。

母は泣き虫な私のそばに居るかもしれません。

放っておけないと……。

でも、今は泣かせてください。


これは母にも言いましたが

母さん……私を産んでくれてありがとう。

頑張ったね。もう苦しまなくていいから……。


私の母は本当に最大の理解者であり、私の支えでした。

沢山の……本当に沢山の愛をありがとう。

母のそばで介護してきた10年……私は幸せでした。


母さん、私は母さんが大好きです。

たくさんの愛をありがとう。

私は……母が母親で本当に良かったよ。

たくさんのありがとうを込めて。


2026年1月24日