浜松新豊院、徳元大和尚=「日月潭花籠」

この同型の花籠を明治神宮に奉納したことがあります。

奉納した時は、父は体の調子が優れず、私が一人で奉納しました。

当時共同通信社の新聞記者が同行し、翌日の新聞に小さな記事が載ったことが頭の片隅に残っています。

しかし興味深かったのは、奉納したこの花籠が1年後の物産展に披露されると話されたことでした。

私はその話を、父に持ち帰り1年後には一緒に見に行こうと話しました。

自宅は浜松にあり、明治神宮は東京にあります。

 

1年後父の体力は回復せず東京に行くか悩んだ末に、結局行くことにしました。

当時えらく新幹線が混んでいて指定席も一杯で、何とか見つけた座席に父を座らせました。

東京について、山手線にて明治神宮にいく電車の中で、父の病気に気遣いながらワクワクする気持ちを抑えられませんでした。

明治神宮の中では各地の奉納品の披露が展示されていて、父の花籠がどこにあるのだろうと探しました。

しかし、どこにもありませんでした。

わたしはやりどころのない怒りを覚え、明治神宮の宮司さんに、どこにあるのか問いただしたのを覚えています。

宮司さんはおもむろに明治神宮の貴賓室を案内してくれて、そこに置かれている父の花籠を見つけました。

そこには、池坊が生けた花が厳かに飾られているのを見ました。

 

今でもその感動は忘れられません。

貴賓室とは、天皇家が明治神宮へ参拝する際に、寄せる特別な部屋であると知らされ、驚くと同時に殺風景な造りの部屋であったことを今でも覚えています。

ひときわ殺風景な中で、目立つ花籠と生けられた花が目立っていたことが忘れられません。

もう40年以上前のお話です。

 

あの時の花籠はどうなったか、今は知るすべもなく、また知ろうと思うこともなく時が過ぎていったのだと思います。

 

しばらく仕事をしていて、ブログが書けませんでした。

また復活です。

あまり無理することなくボチボチ書いて行きたいと思っています。

父の話にこだわらず、自分のことも少しずつ話していくつもりです。

またよろしくお願いします。

籠寅三代目