
われこそは新島守よ隠岐の海の 荒き波風心して吹け
(われこそは にいじまもりよ おきのうみの あらきなみかぜ こころしてふけ)
(われこそは にいじまもりよ おきのうみの あらきなみかぜ こころしてふけ)
後鳥羽 院(ごとばいん) (増 鏡)
第82代天皇(1180~1239)19歳で土御門天皇に譲位。父は高倉天皇、「壇ノ浦」で平家一門とともに入水した安徳天皇(8歳)は異母兄。鎌倉幕府将軍 「源 実朝」の死後、執権は北条義時。後鳥羽院は倒幕の院宣を発し、王政復古を企てたが失敗して、隠岐に流される。
いわゆる[承久の乱] であり、1221年だった。院は、特に和歌に優れ「西行法師」を慕った。
「藤原定家」らを中心に新古今集の撰集を下命、自らも任に当たった。隠岐に流されての歌。
[私は、新任 した島守なのだよ。隠岐の荒き波風よ、だから、せいぜい気をつけて吹くがよい]
昨日まで全土を統治した神といえる私だ。島民も自然も今日から私のいうことを聞きなさい。
王者として「自負と矜持」表明の歌とされる。何となく大真面目でユーモアが感 じられ面白い。
のち後鳥羽院は隠岐にあって、19年間和歌に勤しんだが、都へ帰ることは許されなかった
いわゆる[承久の乱] であり、1221年だった。院は、特に和歌に優れ「西行法師」を慕った。
「藤原定家」らを中心に新古今集の撰集を下命、自らも任に当たった。隠岐に流されての歌。
[私は、新任 した島守なのだよ。隠岐の荒き波風よ、だから、せいぜい気をつけて吹くがよい]
昨日まで全土を統治した神といえる私だ。島民も自然も今日から私のいうことを聞きなさい。
王者として「自負と矜持」表明の歌とされる。何となく大真面目でユーモアが感 じられ面白い。
のち後鳥羽院は隠岐にあって、19年間和歌に勤しんだが、都へ帰ることは許されなかった
上の写真はこの夏、隠岐の島に行った折、後鳥羽天皇ご在所跡を見学いたしました。
この場所も数回目ですが、日本の天皇だった方が、どのような理由にしろ、日本海の真っ只中(隠岐の島の方すみません)の孤島に流された。
やんごとなき方が、今現在なら東京からでも半日以上かかる所、まして飛行機も列車も海を渡る水中翼船など、無論フェリーも無い、そんな時代に、必死に本土に帰りたかったのだろうなと、理解できないが強く思います。
私の最後は、隠岐諸島の散骨希望と決めてから、だんだん島根県隠岐の島の事が、私の心の中で意識してきました。
(歌の説明ネットよりコピーさせて頂きました)