こんにちは
東京 中野区から
大好きな故郷
鹿児島を発信
かごんまま
北島浩美です
故郷 鹿児島を
愛してやまない
アラフィフです
大好きな鹿児島のこと
多くの方に
もっとお伝えしたと思い
鹿児島の良い物
紹介しています
故郷鹿児島が
大好きな私が
なぜ東京?
東京で
どうして
鹿児島???
お話します
小さい頃の夢は
「体育の先生」
走ることが得意だった私
体育の先生になる
と
鹿児島県鹿屋市にある
鹿屋体育大学に進学しました
が
大学では
走ること以外
なー―――んにも出来ない
落ちこぼれ
陸上競技
球技
体操
水泳
武道
どれも
これも
落ちこぼれ。。。。。
真面目に
一生懸命やりました
その姿勢を買われ
(同情されて??)
なんとか
卒業出来ました。。。
体育大学って
すんごい運動神経の人が
行くとこ
今でも
よく卒業できたな~
自分で自分を褒めたい
って思います
それでも
体育の先生になりたかった私
教育実習に行きました
そこでの授業が
最も苦手な球技
「バレーボール」
なんとか
見本を見せずにすむ方法を考え
乗り越えました
でも
すっかり自信喪失
こんな体育の先生
良いはずないと
諦めました
そして
人と話すことが
好きな私は
営業のお仕事に就きました
広告代理店
住宅メーカー
サッカーチームの営業
初めての就職先
広告代理店
・1日100件飛び込み営業
・100枚名刺を貰ってくるノルマ
やりました
若いって
何も知らないって強い
たくさんの縁を頂き
営業という
仕事の難しさ
面白さを知りました
そして
東京の人と結婚
大好きな鹿児島を離れ
東京に来ました
子供が生まれ
知らない街で
子育てを始めました
鹿児島で出産したので
近所に友人もおらず
昼間は赤ちゃんと
二人っきり
長男は
良く泣く赤ちゃんで
どこに行っても
泣くんじゃないか
うるさいんじゃないかと
心配で心配で
なかなか
出掛けられませんでした
夜も
1時間おき
泣いて起きるので
授乳
疲れと
寂しさで
可愛いと
思う余裕もなかった
長男との毎日に疲れて
主人に
「人と話をさせて」
と訴えました
鹿児島の空の色と違う
東京の空に涙が出ました
今まで
色んな仕事を楽しく出来たのに
私は気合で
なんとかなると
思ってたのに
子育てという
最強のお仕事に
心が折れました
可愛いはずの
大切なわが子
なのに
可愛いと言えませんでした
大好きな鹿児島を離れて
知り合いの居ない
東京で
苦しかった
一人ぼっちでの子育てや
ママ友達との
出会いについて
次回に続きます
最後まで読んで頂き
ありがとうございます