ゴーゴリの生涯等について簡単にまとめたものは<コチラ >
作者:ニコライ・ヴァシーリエヴィチ・ゴーゴリ
場所:ロシア帝国
時期:1836年(ゴーゴリ27歳)
戯曲である。
まず、ロシア文学を読んだ時の特有の文句というか愚痴から。
もう、名前が。
例えば、慈善病院監督という、アルチェーミイ・フィリッポヴィッチ・ゼムリャニーカという人。
これだけで覚えられないという感じなのだが、部屋にいるのは「慈善病院監督」と書かれたり、セリフのところには発言者として「アルチェーミイ」とあり、人からは「ゼムリャニーカ」と呼ばれる。
そんな人がいっぺんに五六人でてくるから、最初の10ページくらい読んだ後に、登場人物の整理のためにメモを取りながらもう一度読んだ。
と、ぶつくさ書いてはみたが、海外文学、特にロシア文学は、こういう整理は重要だが、主要な人物はせいぜい10人を超えないのだから、オープニングの儀式として考えると、それなりに厳かな気分にもなって、必要なことのようにも思えてくる。
これから、ドストエフスキーや、トルストイのような大作にもあたるのだが、いい準備運動だったのかもしれない。
さて。しょうもない話はこれくらいにして「検察官」である。
実はゴーゴリは「外套」「鼻」についで三作品目なのだが、前二作に比べると、物語の意図もはっきりしていて、大変読みやすくて面白い。
読後感もすっきりとしている。ゴーゴリは苦手な作家なのかと思っていたから、ほっとしている。
ただ、それ以上の感想があるかと言われると、どうも何も浮かんでこない。
強いて言えば、ニコニコしながら、心の中で相手に舌を出すような、誰しも持っている社会的な仮面のようなものをうまく調理することで、人間てしょうがないですよね、という哀しい喜劇になっていて、そこが読みどころのように思う。
ただ、読み終わったときに、そうだよね!と共感することよりも、だってしょうがないじゃない、という気分の方が勝ったことが、この作品にピンと来なかった理由のように思う。
すべてを年齢で片づけるわけにもいくまいが、この作品が書かれた著者の年齢を考慮すると、若者がするどい嗅覚で暴き立てたものも、老いつつある僕には無条件で受け入れるものになってしまっているのかもしれないけど、それも別に悪いことじゃないような気がするよ、というくらいの感想である。
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