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読み始めた感想を言うと、これ、めちゃくちゃ読みやすい。
しかも、内容にひきつけられて、没頭してしまう。
「ロビンソン・クルーソー」と言えば、子どもでも読める本という印象がある。
確かに先日読んだ「ドン・キホーテ」と違って、子ども用に編集せずにこのまま図書館の児童コーナーに置いても大丈夫のような気がする。
では、内容も子供向けなのかと言われると、そうとも言えるし、そうでないとも言えそうである。
主人公のロビンソン・クルーソーはイギリスの中流家庭の三男として産まれる。
長男は戦争で戦死し、次男はどうなったのかわからないらしい。
しかし、この三男坊、それなりに収入もある安定した生活を捨ててでも、危険と背中合わせの船乗りになりたい。
父親の涙ながらの説得にも関わらず、彼はついに家を出る。
もう、この時点で、僕ら大人世代の大半は、若気の至りで愚かな選択をしてしまう主人公を、冷ややかな目で見ると思う。
そこには教訓めいた意見もあるかもしれない。
経済的な合理性の観点からひとこと言いたくなるかもしれない。
しかし、ロビンソン・クルーソーがはじめて船に乗った時に見た、どこまでも青い空、見渡す限り続く海。
こういう景色を彼の目を通して思い描いた時に、若いときはそういうものだよね、わからんじゃないなと思わされてしまう。
学校をサボって、寝転がって空を見上げた時の解放感。自分だけがこの世の自由を謳歌しているような高揚。
理屈では説明できない、あの形容しがたい気持ちをふと思い出した。
とはいえ、この主人公氏、船が嵐に合えば、お父さんの言うことを聞かなかったからこんなことになったんだ。神様ごめんなさい。この嵐を生きて帰れたら、家にも帰ります。とあらん限りの誓いを神に立てる。
しかし、嵐が収まれば誓いのことなどどこ吹く風で、ああ、船乗り楽しいなあ、なんて、船でのうのうとしている。
すると、また嵐がやってくる。ああ、今度こそ、神様!家に帰ると誓います!でも、前もそんな誓いを立てたのに破っちゃったからなあ。もう誓ってもだめかなあ。
なんて極限の状態で真剣に悩んでるのを見ると、僕も信仰を持っているので、気持ちがわかることに苦笑いをしてしまう。
こんな風に書くと我らが主人公ロビンソン・クルーソーは、ちょっと思考力の足りない子(と言っても17歳くらいからはじまるのだけど)なのかなと思ってしまうが、いろんな境遇にもまれながら、なんだかんだと機転を利かせて乗り越えて行く姿には、ある種の爽快感があり、親の言うことを聞いて大人しくしているには、力がありすぎたのかな、と考えてしまう。
と、まあ、全体からすればまだまだ序盤だけれども、とても楽しく読んでいる。
読みずらいもの、それが世界古典文学。と思っていた時期もあったけれど、読みやすいに越したことはないからね。
子どもでも読めるということが、大人には物足りないもの、と、イコールで結ぶことはできないようだ。