世界文学登攀行

世界文学登攀行

世界文学の最高峰を登攀したいという気概でこんなブログのタイトルにしましたが、最近、本当の壁ものぼるようになりました。


読んだ本の感想を自分で探し出せるように、読んだ本のリストを作っています。
定期的に行っているのですが、この連休中に整理してみたら、2024年は10月末現在で、54冊でした。

1年間に何冊読むかというのは、読書を本格的に開始した時から頭を悩ませていた問題です。
その目標としていたところを期間によって大きく3つに区切ると以下の通りです。

①とにかく冊数を増やそうとこだわった時期(2014年~2017年)


継続して週1冊の読書をする、つまり本を年間52冊読もうというのはずっと目標でした。
2014年2月にブログで読書記録を正式につけはじめてから、2014年 43冊 2015年 60冊 2016年 67冊 2017年 85冊と、冊数は伸びていきました。
ところですね、すぐ想像できると思います。本の選択に偏りがでてきたのです。
読み通せばなんでも1冊。選ぶのは、短い本、読みやすい本。
これは目標設定を変える必要があるなということで考え方を変えました。

②冊数にはこだわらない。良書に挑戦しよう期(2018年~2022年)
冊数は少なくてもいい。とにかく読むべき本を読んでいこうという時期です。

2015年から世界文学をリスト順に読んでいくというこのブログのメインテーマもはじまっていましたし、2016年から中公新書を読み通すという企画もはじまりました。
冊数にこだわらずに、この2本柱を本線に読書を充実させようという気持ちでした。

③読書の質も量も充実させていこう。学びの日々期(2023年~現在)

試験勉強で、ほぼ半年、読書から遠ざかっていましたが、それがある種の充電期間となり、復帰してからは、読むべき本を、しっかり読み通していこうと、気合の入っている時期です。

という意気込みの反映もあるのですが、2024年は週1冊の年52冊ペースを、10月の時点ですでに超えていて、それはうれしいことでした。

年間52冊ペースを越えるのは2017年以来、なんと7年ぶりのこと。
しかも、今年は、死ぬまでに読みたい本リストから10冊、中公新書からは23冊という、ハイスコアな本をたくさん読みました。
課題は、仕事につながる専門書も何冊か読んではいるんですが、本当に読まなければいけない基本書と言われる固いものは、8月から読み始めたものがまだ読み通せていないので、当たり前のように仕事関連の本もチャレンジしていければと思っています。

仕事関連の本を週1冊、それ以外の本を週1冊、合計週2冊で年間100冊の本を読むというのが、僕の読書の完成形というか目指す目標ですね。
ここ3ヶ月で、読書記録というものを、時間とページで精緻にとりはじめているので、何をすればそこに到達できるのか、というのも見えてきました。それは、遥かなる道ではあるけれども、不可能ではない、というものでした。
これは、2024年残り2ヶ月、及び、2025年以降の目標として取り組んでいきたいと思います。

読書は楽しいもの。
学びは尊いもの。
いくつになっても、自己練磨の日々でありたいです。

時間をはかって、読書時間と、読書ページを管理するようになって3ヶ月が経ちます。
元々僕は怠惰だし、気分屋なので、やるときはやるけど、やらなくなるとなんにもしない、そんな気質の人間です。
だけど、努力の跡が見えるようになると不思議なもので頑張れるようになるんですね。

この1ヶ月は、本格的に読書に打ち込むようになって以来、一番安定して、充実した読書ライフが送れたと思います。

ということで、10月の読書。
読書時間:63時間
読書ページ:3151ページ

1日2時間以上の読書がキープできました。
あと、1日100ページ以上の読書もできました。

2時間というのは、本当は最低限達成しておかないといけない基準だと思っているのだけど、こうして記録にとってみるといかに高い目標だったかわかるよね。
ちなみに、1日どれだけ読書に打ち込んでも、グラフなどを見ると、4時間が限界かなという感じがします。

また、1日100ページは当面の目標にしていたので、達成はうれしい限りなんですが、読むのに苦労する専門書とか、世界文学の比率が低かったので、時間比でページ数が多いだけというのもありました。
専門書だけで、1日2時間、というのが、次なる目標です。

ちなみに、10月は1ヶ月で4時間でした。専門家を名乗ろうとしているのに恥ずかしすぎますね。

とはいえ、今月は1か月通して、しっかり読み切れました。
ブログも一生懸命書きました。充実した読書ライフでした。
できた時は自分に甘くほめたたえた方がよいですよね。
10月は頑張りました。

11月も気負わず、時間をこじ開けながら、たくさん読んでたくさん書けるといいなと思っています。
 

青木裕司。
河合塾のレジェンドである。
(現在は定年退職して、英進館というところで専任世界史講師をしているそうである。YouTubeで検索すると、なんと無料で講義を視聴できる)

「世界史探究」とは聞きなれないが、高校世界史の課程が「世界史B」から「世界史探究」に変わったそうで、講義録も新版が最近出版された。

中公新書などで、部分的に世界の歴史を深堀りするたびに、知識の足りなさを痛感してきた。
世界史実況中継は、高校時代にお世話になっていたのだが、今回「世界史探究 授業の実況中継」の完結を機として、通読する勇気がわいた。
そんなわけで、ほぼ毎日、入浴時に読んでいる。

情報技術の革新によって、知識が日々更新されており、今、どのジャンルの学問も面白い。
特に世界史は、広範かつ長大な時間軸を持った人間の営みの集積であり、あらゆる学問の成果が直結する総合学問のように思える。
最近読んだ本に「ある意味で、学問はもっとも手軽で安価な娯楽」という表現があったが、まさに実感である。

試みに、かつて学んだ世界史と、今語られる世界史、どこが変わったのか。
その魅力をいつでも伝えられるように、考えてみたい。

何年に何の事件があって、その結果どうなったか、というような歴史があったとする。
そういう大きな事件は変わらないけれど、昔は一枚絵だったものが、スマホの画面を指で押し広げてズームをするように、事件から背景へ、周辺情報へ、その時代、地域に生きた名もない多くの人々の姿まで、くっきりと見えるようになった。
今、世界史を学ぶということは、昔あったことを教養として知る、ということ以上に、喜怒哀楽を持った、自分と地続きの人々の物語を読むことであり、生きている現代の諸条件を変更した時に、現れるかも知れない自分の姿を見ることなのだろうと思う。

僕のつたない分析で申し訳ないが、かつては誰かの歴史叙述に頼らなければ記述できなかったことが豊富な出土品の発掘や様々残る文字情報によって歴史を説明できるようになり、当事者の一方からしか聞こえなかった声が双方から聞こえるようになったことで歴史が相対化されるようになり、様々な考察や分析によってより合理的な事象の理解が進んだのだと思う。
過去に起きたことがらにも関わらず世界史は、現代人の目を通して評価する、現在進行形の学問なのだろう。

と、まだ1巻しか読んでいないのに、なにかを総括したような記事になってしまったが、残りはあと3巻もある。
学ぶ楽しみに期待が膨らむ。

最後に。
人類史を貫く法則として、以下の記述がある。
「商業の発達→貧富差の拡大」(P144)

ここである一文を思い出した。
「日本における停滞の30年は、ある意味では、安定した経済・社会をもたらした。新規の成長企業は少なく、かつての花形業界・企業はいつまでも花形のままでいることができた。経験あるベテランは若手よりも高い生産性を発揮し、親世代の所得よりも子ども世代の所得が低い状況では年長者の優位は家庭内においても揺らがなかった」

商業の発達、すなわち経済発展は、なにものにもかえがたい、すんばらしいことのように思える。
しかし一方で、貧富差の拡大、すなわち、多くの敗者を社会で生み出してしまう可能性があるのだ。

先日、衆議院議員選挙があり、各党、様々な公約を掲げていた。

日本の経済成長を最優先課題とする議論もあった。
仮にそれが実現できたとして、副作用はないのか、淘汰される産業が増え、失業する人だってでてくるかもしれない。

変化の激しい時代に必要とされる人材は既存の枠にはまらない特殊な人たちだけという可能性もある。
世界史を通じて見えてくるものは、眼前の現代史である。

世界史の面白さはそういうところにもある。

 

 

 

P201-300

「諸君の念頭から世俗の思念をすべて追いはらい、ただひたすらあの最後の重大事、死と、審判と、地獄と、そして天国に思いをこらしてください」(P209)
主人公と一緒に、神父の説教を聞くことになる。

メインテーマは、地獄。
地獄がどんなに恐ろしいところかというのを延々聞かされる。
少年たちに語られる説教であり、今、悔い改め、神の道を歩まねば、死後地獄に落ち、とんでもないことになるぞよ、という趣旨なのであるが、人間の想像力の翼というものは際限ないなと思うくらい、地獄の描写は読んでいて気分が悪くなるほどのものだ。

あまりに特異な地獄の光景と、説教の論理的展開は、キリスト教世界特有のものなのだが、宗教なんて人間の中からわいてくるものだから、突き詰めていけば理解できる発想だなと思う。

そんなことより、この描写の恐ろしさの由来は、主人公が感じている恐怖の投影である、というところがこの小説のすごいところなのだと思う。
ただの説教として切り離して聞かされれば、冷静な感想を抱くのかもしれないが、主人公に寄りそっているからこそ、この恐怖も実感として伝わってくるのだ。
そう。主人公は、このキリスト教世界の中で罪を犯している。

説教を聞いた主人公は神父に告解をする。
「わたしは……淫行の罪を犯しました、神父さま」(P269)

キリスト教の世界では淫行は恐ろしい大罪であり、彼は罪の意識に苛まれる。
「学校生活最後のこの年」(P290)とあり、主人公は若くて性欲を持て余しているのが当たり前の姿だと思うのだが、彼は罪の意識の中で激しく自責する。
「でも、肉体のあの部分はわかっているのだろうか、それとも?あいつは蛇だ!野の獣のなかでもっとも狡猾な蛇。欲望をいだくだけであいつは一瞬にしてそれを理解し、それから罪深くも自分自身の欲望を一瞬また一瞬とひきのばす。感じとり、理解し、欲望する。なんという恐ろしいやつだ!」(P259)
男だったらだれしもが経験する、自分の意志とは関係なく下半身が反応する生理現象さえも、彼は神の道から外れることだと恐れおののいている。

こんなもの罪のわけないじゃないか、という僕の思想信条は読んでいる間はまったく関係がない。
純粋さ、極端から極端へはしる振幅の激しさ、その中にある無自覚の狡さ、虚栄心、そういった青年特有の感情に、僕も主人公の肉体を抱きながら振り回されていく。
他人の人生を追体験することが読書の醍醐味だとするならば、これは相当レベルの高い小説だと思う。
どうしたらこんなことができるんだろうと思うくらい、主人公の感じる嵐のような心のざわめきを、そのまま自分の経験として読むことができる。

在野と独学の近代
――ダーウィン、マルクスから
  南方熊楠、牧野富太郎まで

「現在では、科学や学問というものは大学などの研究者が担うのが当然だと思われている。しかし、かつては独学のアマチュアたちこそが学問の中心だった時代があった」(「はじめに」Pⅰ)

アマチュアの学問の世界を、明治から昭和初期にかけて活躍した生物学者、民俗学者の南方熊楠(みなかたくまぐす)(1867-1941)の事績を通して考えてみよう、というのが本書のテーマである。
熊楠は、独学、在野の研究者として名高いという。
ただ「本書は、突出した個人をとりあげたり、埋もれた在野の巨人を紹介したりするのではなく、無数のアマチュアたちを総体として見ることを目的とする」(P10)

このアマチュア総体の中に位置づけられる存在として、多くの人々に言及される。
熊楠の留学先であったイギリスと関連するものとして、ダーウィン、マルクスが、日本での熊楠と関係のある人として、植物学者の牧野富太郎、民俗学者の柳田国男、超能力研究者の福来友吉、江戸学の大家である三田村鳶魚が紹介される。
彼らが活躍した学問の場、イギリスでは学問はそもそも民間のものという意識が強かったし、日本では明治維新の富国強兵政策のもと、官と民が明確に区別されたが、その中でも官と民のはざまで成立した学問空間が紹介される。
そういう学問が行われるフィールドというものをあまり意識したことがなかったので、全編とても興味深く読むことができた。面白かった。

そして、このことは、学問とは何かということも考える契機になった。
「ある意味で、学問はもっとも手軽で安価な娯楽なのである」(P249)というのは、実感としてわかる。
そして「わたしは研究や勉強や独学がつねに正しくて清廉潔白なものであるべきだとは思わないし、さまざまな目的や欲望をもったひとたちが集まるからこそ、学問は発展していくのだと考えている。そもそも学問に正しさばかり求めていたら、熊楠研究などできない」(P196-197)というのには、笑ってしまった。
本書のある意味主役格の南方熊楠、勉強の鬼で、雑誌などに多くの投稿もしてきた。ただし、性格にかなり難があったようで、地元の講習会に酔っ払って乱入して拘引されたり、書面だと雄弁なのだが、対面だとほとんど何もしゃべれなかったらしい。また、一冊の本を書き上げるのは大変だという話しの中で「熊楠はそうした力に欠けていたために、きちんとした著書を残せなかったのだと思う」(P94)と言い切り、学者としてのある種の能力に対してもダメ出しをしている。
いったい熊楠のどこにひかれて、著者は彼の研究をしているのかわからないが、そんなことは余計なお世話なのだろう。

本書を読んでいて、大きく触発されたことを2つ書いておこうと思う。

1つはイギリスにある大英博物館のリーディング・ルーム(閲読室)の話である。
そこは、ロンドンで独学に励むものたちの聖地であったという。「リーディング・ルームには、熊楠はじめ、マルクス、ディケンズ、キプリング、オスカー・ワイルド、コナン・ドイル・バーナード・ショー、シートン、クロポトキン、レーニン、インディラ・ガンジーらが通った。」(P43)「すごかったのがマルクスである。マルクスはリーディング・ルームに『住んでいる』といわれたほどで、1852年ごろから死去する83年まで30年以上も通い、ひたすら文献の筆写に励み、何十冊ものノートをつくり、そこから『資本論』をはじめとする著作が生まれた」(P43-44)
ちなみに、当時は本が高価だったため、図書館の本は基本的に貸し出されていなかった。今のようなコピー機もなく、必要な情報は必死に書き写すしかなかった。生半可ではない努力の末に、歴史を動かすような著作が生まれたことに感動した。

もう1つは、プロ、アマチュアを問わず、これからの衆知をまとめあげる課題として次のように結んでいる。「最後にこれからの学問がどうあるべきかの理想像についても語っておきたい。インターネットの発達によって、大学以外のひとたちが自由に研究し、発表するためのインフラが整備された。(中略)しかし、あまりにも広大なため、まとめることに苦しんでいる。学問が自由で楽しくなければならないのは当然として、そこには成果や進歩も求められる。現状から一皮むけるには、『まとめる』作業こそが不可欠なのだと思う」(P257)著者は、夢想と言っているが、確かに、学問成果をつなげる場というのは大切なことだと、本書を読み終えて考えた。
僕は研究者ではないし、何か発表する場所もない。
ただ、僕の場合は、専門職につらなる一人として、目の前の仕事はもちろんだけど、そこにつながる部分に、自分の学びの全てをつなげていく努力をしなければならないのだろうと思った。今までは、学ぶということが、成果物として明確な像を結んでいなかったきらいがあったが、仕事の部分にすべてをぶつけてもいいんじゃないかという気がしてきた。それは、何かを避けてきた自分が腹をくくる必要があるのではないか、そう思えた読書であったということだ。

最後に、これは、完全に僕のための書き抜き。
柳田国男が発足させた郷土会の項で、僕の大師匠である牧口常三郎についての記載がある。
「郷土会には(中略)のちに創価教育学会を起こす牧口常三郎らが参加した」(P161)
このことは、実は知っていたのだが、柳田国男についても、郷土会についても、今回の読書で理解が深まった。