コロナ禍でなかなか外出できずにいたのですが、

数ヶ月前に用事があり、三宮に出掛けました。

その時撮った写真です。

神戸に越してきて40年。

忘れもしないポートピア博覧会の年。

あの頃は、東京よりも大きい街と思っていました^^

三宮は本当に人生の殆どの思い出がつまっています。

転勤族の娘だったので、東京や地方都市に住んでいましたが、

やっぱり神戸が一番です。

 

これは、小学生時代に配布された本の影響かもしれませんが、

その表紙が、明治時代の神戸の街の絵でして、

子供ながらその絵のタッチに魅かれたのを覚えています。

 

そんな神戸のど真ん中、三宮の景色も、

日々変わってしまってます。

この年になると、あの頃は良かったなんて思ってしまいますが、

若者や我々の子供達にとっては、

今の三宮が将来懐かしく感じる対象になるのでしょう。

40年前の懐かしい神戸の姿も、今のお年を召した方々からしてみれば、

いや、三宮よりも新開地が、西の浅草と呼ばれるくらい凄かったんだよ!

戦前の神戸の街が良かった、、、と思われていることでしょう。

 

写真に撮っていなかったのですが、他のサイトにもあるので、

見すぎて当たり前の存在というか、学生時代は、古いなぁ。。。くらいにしか思っていなかった、

戦前の市電のホームに移動するための地下道が、

今も普通に地下道で使われているのが、神戸のニクイところです^^

唯一、地上に出る階段とそのぽこっとしたフォルムの入り口が、最古の地下道入り口だそうで、

ぜひ、これは再開発されているけれど、残していただきたいものです。

 

1枚目の写真は、かつてお手洗いがあったところです。

大学時代、よくここで化粧直しして、コンパに繰り出しました^^

というのは冗談ですが、化粧直しはよくしていました。

コンパは、誰も聞いてないので、カラオケを一人で歌うのだけが楽しみで、

もちろん男性からは全く声を掛けられることはありませんでした^^

今は、従業員の方の控え室になっているようで、

女性がIDをかざして入っていきました。

このドアは常に開いてて、階段があって、

左が女子トイレ、右が男子トイレ。

あの昭和なお手洗い、ボール型吊り下げ消臭、

どこか写真ないかなぁ。。。

 

2枚目の写真は、OPAの地下1階に通じる入り口でしたが、

今は、OPAが入っていたターミナルビルも見事に解体されました。

ターミナルビルの最上階は、よくデートでお食事をしたものです。

プランタン時代は、友人達とよく買い物をしました。

私達にとって、OPAといえば新神戸OPAでした。

オリエンタルパークアベニュー!

 

3枚目はその地下道の途中にあった、新快速50周年の歩みの展示の一枚です。

他にもたくさん展示してありました。ポスターですが、全部撮りましたので最後にアップします。

JR、国鉄、私の大好物ですね^^

あと廃線跡ね♪

息子が鉄オタなのは、私が原因か!!

やっぱり鉄製の車輛が一番です!!

もうスピードアップより、やっぱり安全第一!

鉄に戻しませんか?高いのかな?

 

4枚目の写真は、三ノ宮のホームからの一枚です。

もうターミナルホテルはありません。

国際会館が見えます。

あの地震も乗り越えた三宮ターミナルビル

あの彼と待ち合わせしたなぁ♪

とんでもなく高いビルになるようですが、

やっぱり山が見えるくらいの高さに、今からでも変更してほしいなぁ。。。

 

高層ビルはもう時代に合ってないんじゃないかしら。。。

イギリスでは子育ては高層ビルでするものではないとのことですよ。

 

阪急電車の駅の天井や、JRのガードには、

戦時中の銃痕があります。

元町にも、戦前の下水管があったりと、

街のいたるところに、近代の歴史を見ることができます。

開発が進んでいますし、個人的に好みの市長も大ファンですが、

刷新するより、そろそろノスタルジーに浸る時代もいいんじゃないかなと、

思ったりした、五十路前のおばさんでした。

 

新快速50年のあゆみポスターの写真です↓

 

電車が遅れるのではない。

乗客が遅らせているのだ。