【注意事項】
このブログは、序文があまりにもくだらなく、関係がありません。
もし、ちゃんと歌詞を読みたい方は、序文をスキップされることをお勧めします。
チェンジという英単語にはいろんな意味があって、それはタイミングによって変わる。
そう、文字通り、意味がチェンジするのである。
僕はこれが面白くて大好きなのだが、
同じ言葉で同じ意味を表すというものはいざ使ってみるとやっかいなものだ。
オーストラリアに旅行したとき、現地の空港の外貨両替所で英語が下手なお兄さんと出会った。
まあお兄さんともはぎりぎり言えなくもない、ちょうど30歳くらいの、顔だけみればなかなかかっこいい、
でもたぶん残念なんだろうなこの人は。となぜか確信してしまうような人だった。
もしかしたら、甲羅でもついているのかもしれない。
それにしてもイケメンであることは事実なので、以降ただ彼を「イケメン」と呼びたい。
さて、僕がなぜ彼を気になったかというと、
外貨両替所で「チェンジ・プリーズ」と叫んでいたからだ。
たぶん、両替したかっただけなのだろうが、それは普通、「お釣りをくれ」という意味だ。
受付のやたらに腕が太い黒人女性は、かなりムッとした表情をしているが、
それでも、彼のしたいことが全く理解できていなかったとは思えない。
そう考えれば、ほっておいても問題はなかったのだ。
ただ、当時の僕はイケメンと話したいという欲求のために、思わず助け船を出してしまった。
だいたい、いくら英語が苦手だろうと、両替所の看板には思いっきりEXCHANGEと書いてあるのだから、
そのまま読めばいいのに、馬鹿に限ってオリジナルのアイデアで主役をつかみ取ろうとするのは、
一体なぜなんだろう。
そんなこんなで、無事に彼はドル札を手に入れることが出来た。
それでも、旅は道連れ世は情け
そこでさいなら、というわけにもいかず、
彼はタクシー乗り場までついてくることになった。
こういうときに無駄にコミュ力のあるイケメンというのは、困ったものだ。
僕は空港からすぐに予約してあるホテルで荷物を預け、
早速夕方のタワー・アイにでも繰り出そうと思っていたが、
なにやらその残念なイケメンは、
本来予約してあるホテルをキャンセルしてまで、
同じホテルについてきたいらしい。
なんとも困ったものだ。
さすがに、この旅の間中まとわりつかれるのはやだなぁと
苦笑いでやりすごし、さっさとタクシーに乗ってしまおうと思った。
タクシー乗り場で、ガタイのいい運ちゃんに
ホテルの名前を説明していると、
そのイケメンはほとんど無理やり一緒に乗り込んできて、
叫んだ。
「ゴーホテル!アイム チェンジ!!(ホテル行く、私は変わる)」
きっとタクシー運転手の彼はこう思っただろう
「兄ちゃん、いい女になれよ」
いやらしくニヤけた外国人の顔を生で見たのは
後にも先にもそれしかない。
--------本編スタート-----------------------------------------------------------
さて、歌詞ブログ史上最も品がない序文となってしまったが、
ともあれ「君に贈る花がない」の歌詞は、-タイミング-がテーマの歌詞だと思う。
人間関係ってタイミングがすべてだ。
どんなに両想い(になりかけの甘酸っぱい二人)でも、タイミングが合わなければ
付き合う感じにならないこともある。
告白の答えが、気持ちとは関係なしに、ただのタイミングだけで真逆になってしまうんだ。
歌詞を読みつつ、タイミングひとつのすれ違いで、
時間の前後が変わるだけで、全然違う運命をたどっていたかもしれないストーリーを
じっくりと読み解いていきたい。
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白い (白い)
息が (息が)
道端で話しかけてる
それは (それは)
言葉じゃなく
聴こえない心の声さ
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わかるようでわからない表現なので、なんかの比喩なのかな?
と思ったけど、通常、秋元先生は難解な比喩表現は使わない。
だから、これは白い息が話しかけてきた!というファンタジックな歌詞ではなくて、
『道端で立ち止まって、君に話かけようと思った。
でも、白い息がフーッと出ただけで、気持ちを言葉にすることは出来なかったよ』
という意味だと思う。
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針葉樹の木立に
網の目のように差し込んだ
微かな光の線が
僕たちを照らしている
もしこの感情が1mmでも動けば隠したって伝わる
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この歌詞、マジで文学的過ぎてヤバイ。
僕はこの歌詞を初めて「読んだ」ときに、
赤外線のセキュリティをくぐり抜けるスパイみたいなのを想像した。
わかるかな?
針葉樹(冬にも葉っぱをつける細長い木々)の隙間から鋭い光が何本も射していて、
それがまるで体の動きを読み取っているかのように感じて、一歩も動けない。
ものすごく切ないし、このキリキリとする緊張感がたまらない。
そしてこれは「感情」が主役なんだ。
「好き」という態度を表してしまったら、もう嘘が吐けなくなってしまうから。
1mmでもそんな態度を取らないようにじっと我慢している。
『道端で立ち止まってはみたけど、結局言葉は出せなくて
出せないからこそ、自分の中の好きを改めて自覚する。
でもそれを君には悟られないようにじっとしている』
そんな風に何回も感情をひっくり返しながら想うこと、
それがこの曲の持つ、一番の切なさだと思う。
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僕は君を
君は僕を好きだよ
だけど無理な願い
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ここ本当にすごい。音楽とメロディも相まって
急に別世界へ連れてこられたような感覚になる。
ここまで言えない言えないと繰り返してきた感情を急に吐露しているんだ。
えーって思う。
「君」は好きでいてくれないから言えないのだと思っていた。
普通の恋愛ソングってそうだ。
でも、この子たちは、冬の針葉樹の小道を一緒に歩くし、
どちらかが立ち止まれば、もう一人も立ち止まる
みたいな関係なんだ。
だから、なんとなく好きって気づいている。
想い合うってそういうことだから。
ちゃんと想っていれば、相手の気持ちもなんとなくわかるんだと思う。
でも、言えない。
気づかれてもいけない。
だから、1mmでも感情を動かしちゃいけないって思うんだろうな。
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たった一つ花があり
誰かへと贈るのなら
僕は迷うことなく
絶対 (君に)届けるだろう
だけど その花は
僕たちが出会う前に摘まれてた
悲しいけれど
もうここにはその花は咲いてない
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今までの流れを汲んで、この歌詞を読むと
『もしも僕が人生で唯一の一番好きな人を決めるとしたら、間違いなく君を選ぶだろう
でも、君にはもう既に心を決めた相手がいるのだから
告白することは出来ないんだよ』
って読める。
・・・・・・・?
ここまでならフツウの歌詞解釈ブログで終わっちゃうところかもしれないけど、
僕はちょっと変だなと思う。
この花って、誰の心に咲いてるの?
って話だ。
「僕」の中に咲いてる花を「君」にあげる話なの?
だとしたら、この花を摘んだのって、「僕自身」なんじゃね、と思うわけ。
どうなんだろうな~
これは本当に好みというか、想像するしかないんだけど、
「僕」としても、わざわざ君の幸せを奪おうとはしてないわけじゃん?
それって、自分もある程度幸せだからだと思うんだよね。
もちろん、誰かともう恋人になってしまった好きな人、
両想いとわかってても、そいつと幸せになれよって思いながら我慢する
ってストーリーの方がずっとピュアで切ないけど、
なんやかんや、この人も素直に告白できない理由があったりもするのかなと思う。
実際、そういうことってあると思わない?
今自分に大好きな人がいて、一緒にいることが出来て、
もう充分幸せなはずなのに、
「え?いま、このタイミングでこんなに合う人が現れるの・・・」
ってなってしまうこと、あると思うんだ。
でも、「花」は一本しかない。
もし、器用な人間なら何本も持ってるのかもしれないけど、
世の中、そんなにうまく出来てないし、
そもそも、何人も幸せに出来る!とか考えてるような人は、
こんな曲なんか聴かないって(言い過ぎ)
そんなことを考えながら聴く2番。
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同じ (同じ)
ことを (ことを)
いつだって思ってるのに
二人 (二人)触れないのは
そう誰か傷つけるから
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『二人とも、同じことを思ってる』
これって、同じことってどこまで同じなの?って疑問。
もしかしたら、「お互いにもっと大切な人がいるから、この人とは一緒になれない」
って思ってるのかもしれなくて、
そして、それにもお互い気づいてるのかもしれない。
もしかしたら、もっと若いときなら、そんな
「誰かを傷つける」とかそんなことも考えずに、
一時の感情に身を任せてたのかもね?
なんてちょっと大人ぶりながら、
今はそんなことで傷つけてしまう誰かのことがお互いに気になっている、、、みたいな。
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アスファルトに
ひらひら舞い降りた
雪のひとかけらやがては
溶けてくように
運命は儚いもの
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1番のこの部分もすごかったけど、
2番のこの部分もやっぱりすごく文学的で切ないなと思う。
アスファルトって言葉で一気に現実的な空気に持っていったあと、
『やっぱり、今この瞬間に告白をしなければ
君を好きな気持ちも、溶けてなくなってしまうだろう』
ってことを言っているように思えてならない。
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今この愛しさを避けるように生きれば
すぐ近くに居られる
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この表現もまた、非常に絶妙で、心をえぐってくる。
今すぐにでも「抱きしめたい」ような。
そんな愛おしささえ我慢して「友達の距離」を保ちさえすれば、
すぐ近くにいられるって。
これ「すぐ近く」ってそんなに近くもないところが
また切ないと思う。
そばとか、隣ではなくて、近くだもん。
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君は僕を
僕は君を好きでも
ずっと言えやしない
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一番と同じような気持ちの吐露だけど、
「ずっと」というのが引っかかった。
もしかしたら、この人たちは幼なじみで、
お互いに恋人が出来たりするたびにずーっとこんなことを続けてきたりもしたのかなと想像した。
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たった一つ花があり
友達が見つけたなら
僕はその幸運をきっと (祝い)
喜ぶだろうたとえ
その花に僕も目を奪われ心惹かれても…
裏切れないよ遅すぎたんだ
その花は彼のもの
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この2番サビは本当に絶妙な心理を描いているなと思った。
今度はその子を花にたとえてる上に、
「誰かに取られるとわかった瞬間に自分の中の大切さを実感する」気持ちを絶妙に表現してると思った。
自分の方がこの花に詳しいのに、
本当の花の美しさはわかっているのに!
って悔しさがにじんでるような感じ
わかるかな。。。
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待ち合わせた場所まで
二人の世界は続くけど
遠くで手を振る彼と三人で始まる道
ぎこちなくなっちゃいけないと
いつものように
僕は一人微笑む
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この歌詞の場面もまた、すごいよなぁと思う。
まず、常人はこの場面で「三人」で道が始まるとは書けない。
でも、やっぱり、三人で道が始まるというのが正しいんだと思う。
ずっと一緒にいた幼なじみだけど、
お互いに好きな人が出来たりして、
でも離れ離れになることはなく、ずっとやってきた。
でも、ふとした時に「これってどういう好き?」って気持ちになったり
誰かと付き合うことに対して、嫉妬してしまったり、
それなのに、好き!って告白することは出来なくて、
それでこの関係が壊れて、離れてしまうなら告白は出来なくてもいいや
なんて思いながら、
それほど離れたくないって思ってるのに、
わざわざ奪い取ることまではしない。。。
みたいな。
そこからまた、繰り返しの部分で、
『もしも僕が人生で唯一の一番好きな人を決めるとしたら、間違いなく君を選ぶだろう
でも、君にはもう既に心を決めた相手がいるのだから
告白することは出来ないんだよ』
と聞くと、また違った切なさがある。
お互いに良い関係なのに、恋人にはなれなくて、
それでも相手に別の恋人が出来るとなんとなく悔しくて、
自分の方が本当の良さはわかっているのに!みたいな謎の嫉妬に駆られて
告白さえすれば僕を選んでくれるのかなぁ?
と思いつつ、
実際に告白する度胸、最後までしあわせにするぞ!って覚悟はない。。。
みたいな?
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僕が、この曲から感じたのは、そんなストーリーなのですが、
皆さんはいかがでしょうか?