例えば、毎週同じラーメン屋に通ってみたり。

それが、都会の中に埋もれるようにして自己主張している狭い狭いラーメン屋だったとしても。

行くたびに景色が変わるなんてことはない。

いつ行っても同じような人たちで混み合っていて、いつまでも変わることないように見える。

それが、当たり前のように見えるけど、

「さあ、久しぶりに学生時代によく行ったあのラーメン屋に行ってみよう」

 

 

と思って目指してみると、その店はなくなっていたりするもんだ。

こんなのはよくある話。

なにしろ5年続く飲食店は全体の15%しかないのだから。

毎日見ていても変わらないのに、本当に変わらないでいるというのは難しいのだ。

 

それと同じくらい、人間関係を「保つ」のは難しい。

決して悪いだけの意味ではないけど。

 

誰かと、話をしていけば、どんどん仲良くなっていったり、

どんどん気持ちがわかるようになっていったり。。。

良い変化がたくさんある。

気になる人、がいつまでも気になる人のまんまでいることはない。

好きになるか、それとも飽きて興味がなくなるか。

そんないろいろな変化が、絶対に待っているんだ。

 

どんなに1回のご飯が楽しかったとしても、同じテンション、同じ空気を、

同じ楽しさを2回味わうことは絶対にできないんだ。

 

もちろん、アイドルや推しメンに対してだって同じだと思う。

1回の握手がどんなに楽しくても、同じ楽しみを2回味わうことは絶対にできないから。

絶対に気持ちは変化していくものなんだ。

その変化は、毎日生きていると感じられないけれど、

思い返すと、絶対に違っている。

きっと、8thバスラからでさえ、気持ちは変化しているんじゃないかな。

 

さあ、ここまでは関係のない話で、ここからが三角の空き地の歌詞のお話。

 

主人公には思い出の空き地がある

 

雑草伸び放題の

三角の空き地

君を送った夜は

いつもここでキスした

 

たぶん、デートの帰り道で最後のキスをする場所なんだろう

もしかしたら、昭和の時代から続くダンスホールがあったのかもしれない。

ちょっとクラっとしそうになる終末感を楽しんでいたのかもしれない。

 

どんなロマンティックも当たり前に思われ
ときめきに慣れてしまう
時には僕たちの帰り道も
ああ 遠回りすればよかった

 

慣れってのは、恐ろしい。

恐ろしいなんてもんじゃない。

自然と、ごく自然と人間関係を蝕んでいく、時間の魔物だ。

慣れたくないなぁ、とは思う。

コロナにも、イベントの中止にも、会えないことにも、

慣れたくはない。いつも新鮮に傷ついていたい。

 

一方で、握手ができるってことにも、推しメンに会おうと思えば会えることにも

慣れたくはなかった。

 

そもそも、わざわざ遠征しないと会えないようなアイドルを推しているのは、

少しでも長くドキドキしていたいからなのかもしれない。

 

それが「遠回りすればよかった」という一言にあらわれている。

帰り道、毎回遠回りして帰れば、いつまでたっても新鮮な恋でいられたのかも???

 

と思うじゃん?きっと違うんだろうな。

それをこの主人公もわかって居ると思う。

だって、人間はどんなことにも、慣れていくものだから。

いつまでも新鮮な恋、どうやったら手に入るんでしょうね。

 

恋は生きている 生きている ちゃんと見ていないと
すぐ心の形は変わってく
何も気づかなかった僕のせいだよ
いつしか気持ちは死んでいた

 

「生きている」ってのが、まさにそれ。

人間、ずっと同じままで居るのって本当に難しい。

絶対に「形は変わっていく」

 

繰り返しになってしまうけど、

それは悪い方向だけではなくて、

ずっと悪いままで居る、というのもまた、同じように難しいんだけどね。

 

そして、それが気付いたら「死んでいる」

でも、ゾンビみたいに、また三角の空き地でキスすることは出来ちゃうんだな。

そこには、ロマンティックはない。

気づかないまま、死んでいくんだ。

 

君の抜け殻が 抜け殻が 目の前横たわる
瞼をそっと閉じれば夏草の匂い
その角を曲がっても
思い出を語れないだろう

 

 

いつしか恋の気持ちが死んでしまっても、

抜け殻は残る。

目を閉じれば、綺麗な思い出にはいくらでも浸れるのに

いざ、三角の空き地を目の前にしても、

何も思い浮かばない。

いつもここでキスしたな、ってただそれだけ。

何も感動しない。それが、気持ちが死んだということ。

 

上手な対比ですよね。

見事な歌詞表現の世界。

現実を直視出来ないことを「思い出が語れない」としつつ

綺麗な思い出の部分を「夏草の匂い」とあらわす。

 

でも、結局のところ、三角の空き地はもうロマンティックじゃないのだ。

ダンスホールが、つまらない空き地に変わってしまうみたいにね。

 

工事車両が入って
何が建つのだろう
そんな感傷的な
僕は君が好きらしい

 

人生には、出会いと別れが同じ数だけあるって?

誰が言い出したのか忘れたけど、

多分、建物だってひとつ潰れれば、またひとつ建つ。

 

恋の空き地にも、新しい工事車両の音がしてきたのかもしれない

新しい恋の予感。

まだはっきりと何かが出来るってわかっていなくても、

足場が組まれ、土が固められていけば、なんとなく予感がする。

 

きっと、そんなときめきに満ちた表情が、好きなんだろうね。

辛いね、自分ではもう、その表情を引き出すことは出来なくて、

だからこそ、何も言えなかったのかもね。

 

言葉数少ない君を腕に抱いて
不自然と気づかなくて…
あの時 その理由を聞いてあげてたら
まだ続いてただろうか?

 

冒頭にも書いた通り、

変化は毎日少しずつ起きるから。

毎日一緒にいればいるほど、変化に気づかない。

思い返してみれば、不自然なところはいっぱいあったのに

それに気付いていれば、違ったかもしれないのに。。。

 

遠回りしていれば、、、と同じもどかしさなのかもしれない。

毎日一緒にいたから、愛していたからこそ、気づかないこと。

いっそ愛情がもっと少なかったら、

しかも、向こうもそんなに気を使ってくれなければ、、、

もっと早く対処できたのかも、なんて考えてしまうかも。

 

花が咲くように 咲くように 愛は生まれ育ち
でも日差しがなければ枯れて行く
水をあげることさえ忘れていたよ
二人は愛し合ってたのに…
一度 美しい美しい花びらが開けば
永遠にずっとそのまま香る気がしてた
手に入れた愛しさは
変わらないものと思ってた

 

花の生命力は強い。

咲く時は、何もしなくても咲くかのように力強い。

それに、楽しみな気持ちがあるから、

水や栄養もたっぷりあげる。

 

でも、咲いてしまったあとも、水は必要なんだ。

特に、花を保つためにはね。。。

 

これは本当に難しい。

愛し合って居るからこそ、安心してしまう。

愛し合って居るからこそ、油断してしまう。

 

内面でどんなに気持ちが変化していても、

それが目に見えなければ。

ダンスホールが、三角の空き地に変わって

そこに新しい建物が立つようなことがないと、気づかないのだろう。

 

大事な人はすぐそこにいた
だけど今は…
手を伸ばしても
三角の空き地だ

 

新しく建った建物だろうと、そんな風に慣れて仕舞えば、

きっとまた、三角の空き地に戻ってしまう。

ああ、見たことのある景色だ、と安心してみても、

もうあの人はいない。

ロマンティックをくれていたのは、空き地じゃなくて、あの人の方だった。

 

三角の空き地に描かれている物語は、きっとそんなものだろうと思う。

土地や建物、時代の変化という悠久の時、日々は感じにくいものの変化と

愛情という変化しづらいものの変化をうまく交錯させたのだろう。

 

僕はこれを、アイドルとファンの気持ちの関係

という風にはこのブログに書き表さなかった。

 

これが、卒業ソングなのかどうか、わからなかったからだ。

そう思う人は、この物語を、センターで歌うあの人に捧げてもいいと思う。

 

「帰り道は遠回りしたくなる」

のタイトルと

「しあわせの保護色」の歌詞「風景も感情も永遠じゃないんだ」は、

きっとこの曲の歌詞から生まれてきたんだ。

 

ということを、書き添えておけば充分だと思う。

 

 

人間関係も、自分自身の感情も、絶対に時間と共に変化していく。

大事なのは、「どのように」変化していくのか、ということだ。

そして、僕はその方向は、生き方次第で選べると思っている。

中田花奈さんと彼女を愛する全ての人のこれからが、

より良いものでありますように。

 

2020.07.12  かがやき