世の中には、取扱説明書をすごくよく読む人と、取扱説明書を全く読まない人がいる。

僕は後者だから、取扱説明書というものに対して思い出はない。一方、インターネットなどなかった時代には、取扱説明書が、唯一の情報源なので、まだ持っていない・買うことが出来ないゲームや製品の「取説」だけを読んで、それを大真面目に「趣味」としている人までいるくらい、取説とは面白いものなのだとも思う。

当然、僕はスマホゲームのチュートリアルはスキップするし、夏休みの宿題は最初の1ページだけ頑張るし、「気になるメンバーはとりあえず握手してみる」

これが一番の性格が出るところではないかなと思う。

本当に、どちらがよいということはないのだ。

例えば、取説は読まないので、iPhone11でホームボタンがなくなり、ホームに戻る方法が変わったが、僕はそれがわからないまま、1週間も使い、クソバージョンだわとか文句を言い倒していた。

実に無駄で滑稽である。


もちろん、読まない派にも良いことはいっぱいある。

というか、世の中には取説のあることばっかりじゃないのだ。

むしろ、大半のことには取説なんかなくて、試行錯誤していく中で少しずつ上達していくしかない。

それはとても不安だけれど、やってみる以外にやり方を覚える術なんてないんだから、仕方ない。


その昔、ギターが上手くなりたくてその当時好きだったギタリストのライブに行って、出待ちをし、どうやって練習したらいいかを聞いたことがある。

その時聞いた答えはこうだ。

「君さ、シールド(ギターとアンプをつなぐコード)を直角にバミ(テープなどで固定すること)ってる?してない?じゃあ、やってみ」


意味がわからなかった。ギターの練習方法を聞いたのに、シールドがどうこうとか、関係あるんだろうか。

当然、意味がわからなかったので、やらなかった。


1か月後、もう一度尋ねてみた。ギターどうやって練習しますか?と。

そうしたら、

「君、シールド直角にバミった?」


僕は、焦った。やってないからだ。答えに窮していると、飛んできた言葉は厳しかった。


「やらなかっただろ、だからダメなんだ。君が求めているのは、良いギターの練習方法じゃない。『効率の』良い練習方法だろ。世の中にはそんなものないんだ。効率を求めるな。遠回りしろ。それが答えだ」


それ以来、僕は先に答えを求めることをやめた。

確かに、人間は効率を求める生き物だ。

勉強をする前に、

「この大学の受験にはこの教科はいらない」とか

「〇月から始めれば受かる」

とかね。

まあ、別に悪いことでは決してないんだけど、それは「頭がよくなる」勉強とは程遠いものだと思う。

だから、勉強のときはそれでよくても、ギターがうまくなりたいときに同じことをしていても意味がないんだよね、ということ。


僕は良いアイドルが好きだし、良い方法で推したい。アイドルを精一杯楽しみたい。

でも、その方法が一生家に引きこもってTwitterを眺めているだけで手に入るのかと言われたら、答えはノーだ。

何がなんだかわからないけど、握手してみて、好きだよ!って言ってみて、遊んでみて、見つけてみて、探してみて、伝えてみて、語り合ってみて、やっと自分なりの方法ってもんを見つけるんだと思う。

っていうか、別に自分なりの方法なんてなくてもいいんだ。


本当に出来る人は、実は特別なスキルなんて何も持っていなくて、

ただ当たり前のことを当たり前のようにやっているだけなんだって。


ある時、僕は握手会にお花を出そうと思った。

まあ、別に初めてでもなかったし、適当でいいかな、どうせ自己満足だし、

なんて気持ちもあったんだけど、お花に頼らない握手を大事にしていた時期からの脱却、という個人的なテーマもあって、

普段からTwitterで見ていたお花が素敵だったあるオタクにDMを送ってみたんだ。


それはそれは緊張したし、まあ、返信なくてもしかたないかなみたいな気持ちで、

でも、なんかただ情報だけくれみたいなタカリではなく、

どんなこだわりを持っているのかってことがすごく知りたいんです!!

ということが伝わるように、しっかりと熱意をもって伝えたいと思った。


人間は、どうしても自分で考えたことをやってみたくなる生き物だ。

特に、若くて才能のあるような人は、自信もあるし、上から教えられたことなんてクソくらえ!って思ってると思うんだ。


でも、どんなに体力があって、身体能力があっても、ガイドなしで富士山を登りきることは難しいと思うんだ。

看板の指す方向なんてクソくらえ!って思ってたら一生頂上にはたどりつかないと思う。


だったら、すでに頂上にいる人に、どこを歩いて行ったらいいんですか?

って聞くのが一番だ。


もちろん、聞くだけ聞いて実際は一歩も登る気がないゴミも大勢いるだろうけど、

そういうやつらは家で一生YouTubeみながら批判してればいいんだしね。


だから、僕はDMした。熱意をこめて。


そうしたら、めちゃくちゃ長い答えが帰ってきて、

それは要約すると「手間をかけろ」


ってことだった。



あーーやっぱり、富士山はヘリで登ってもなんも意味ないんだなって思った。

そりゃそうなんだけど、ヘリあったら使いたくなるでしょ。

逆に、ヘリ使えよ!って言われなくてよかったなって思った。


「本当にすごい人は、実は当たり前のことしかしてない」


という言葉を改めて実感したのは、その時だった。

手間さえかければ、それが絶対伝わるし、現れるし、自分の満足感になる。

裏を返せば、確かにお金のかかってそうだなーって作品でも、

なんか熱を感じなかったり、これのどこが10マンなんだろうなんて思っちゃうときもある。


それは、とても当たり前のことなんだけど、

なんか凄い人を見ると、僕たちの知らないヒミツがあるに違いないってつい考えてしまう。

でも、やっぱりない。


言い方を変えれば、凄い人は、僕らと同じことをしていても「凄い」ってことにもなるんだろうけど

でもそれは決して目指せないステージではない。

同じ道具を与えられているんだから。


さてさて、長くなりすぎたので、ブログを締めよう。


要するに、

今の自分を変えたくて、なにか行動がしたいなら、

「先人に聞け!そして、教わったらすぐやれ!!」


僕が今、大切にしていることです。


かがやき