映画「Documentary of Nogizaka46 〜いつのまにか、ここにいる〜」

鑑賞記念

 

※かなり強めのネタバレ含みます

ぜひ、ご鑑賞になってからお読みください

 

存在が、人を救うことはよくある。

もちろん、そこに言葉はいらないし、かける必要もない。

 

なぁちゃんが、与田ちゃんに

卒業の報告を事前にすることができなかった

という一節に、強烈に乃木坂46を感じた。

 

そういうことは、ほんとうによくある。

 

途中、飛鳥ちゃんは、

「嫌われたくない」

と何度も言っていた。

 

こう、例えて言うなら、

推してないメンバーの握手に、遊びに行った方が

緊張もしなくて、自分らしい握手ができるとか。

 

結構、経験ある人もいますよね。

 

地元の友達とか。

普段連絡たくさん取らなくても

やっぱり、絶対に「いるのといないのでは違う」

 

それが、存在ってもんかなって思う。

 

存在するだけで、影響与えてる

インフルエンサー

 

桃子ちゃんが言っていた

「自分のままでアイドルやってるから、評価は全部自分自身のことに直結する」

って話。

すごくよくわかる。

 

だからこそ、アイドルは尊いのだと強く思った。

 

可愛いかどうかなんて、女の子が一番気にするポイントで。

それが、可愛いとか可愛くないとか

人にとやかく言われる職業やってるんだからそりゃ大変なわけだ。

 

俺たちだってそうだと思う。

というか、俺はそうありたい。

 

俺のまんまで、アイドルと全力で向き合ってみたい。

人生のまんまで。

オタクとも、こう、真剣な思いで。

ぶつかってみたい。

その先にある景色を、絶対に自分で掴み取ってみたい。

 

それを強く感じた。

 

もちろん

もっと認めてあげたくなった。

 

彼女たちを。

その全てを。

存在意義はここにあるよ!って。

たぶん、いつも迷っているだろうから。

 

 

 んでまあ、存在しているってのは

やっぱり大事なんだなぁということで。


連絡とったり、言葉をかけたりしなくても

やっぱり存在しているってことがイチバン大事なんだなと。


でも、やっぱり言葉があった方が

その存在はより強くなれる


ほんとに一言でいい

それがあるかないかで、

一生分の存在が変わったりする


オタ卒してしまった友達も

あぁ、そういえばアイツのあの握手憧れてたなととか


卒業してしまったアイドルとの思い出とか


そんな全ての存在で

今の自分が出来ているのだから。



卒業は

みんなに平等に訪れるけれど

それは、ずっとそこに存在している


忍び寄るように

その気配に耳を澄ましたら


きっと、存在に気づくだろうか

良いことでないとしても


存在していることに

意味はあるのだから



乃木坂46も

悪くないですね。



かがやき