金魚は、金魚鉢の形を知らない



驚くほど、人は自分がどんな人間か知ることは難しいもんだ。
金魚鉢の中に居ながらにして、金魚鉢全体の形を知ることが難しいように。

昔の人が、地球の形を想像するしかなかったことにも似ているかもしれない。


金魚にとって、金魚鉢が世界の全てであるように
僕たち人間の世界は「知っていること」だけで出来ている。

つまり、僕にとって僕の世界とは「僕が知っていることの全て」である。
でも、僕は僕の知っていることの全てが、果たしてどれほどの大きさを持っていて、どんな形をしているのか、知る術がない。

子どもの頃、最寄りの駅のそばの雑貨屋さんに、おつかいに行くのが好きだった。

一人で乗ったことのない電車に、
いつか乗りたいとずっと願っていた。

改札口に吸い込まれてゆく大人たち。
いわば、そこまでが僕の知ってる世界の果てだった。

初めて電車に乗ったとき、世界が広がった気がしたけど、
その感覚は嘘じゃなかったんだと思う。

僕は、僕の知ってることの全てで出来ている。

知りたいと思ったことの、全てで出来ている。

僕の世界の、あなたの割合を、
増やしたい。


これは、楓さんへの瓶詰めの手紙


かがやき